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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

見わたせば柳さくら

2023-12-21 19:21:36 | 丸谷才一

丸谷才一・山崎正和 一九九二年 中公文庫版
これはたしか去年秋の古本まつりで買ったんぢゃなかったかと、最近やっと読んだ。
私にとってはおなじみの二人による対談集、全八章のうち「あけぼのすぎの歌会始」と「芸能としての相撲」は、既に『半日の客 一夜の友』で読んだことあるものだった。
初出は昭和61~62年の「中央公論文芸特集」季刊の八回で、単行本は昭和63年、丸谷さんによる「あとがき」までたどりついてわかったんだけど、連載中のタイトルは「日本人の表現」ってことで、ちゃんとテーマがあっての八回つづきの企画だったそうで。
なるほどね、歌会始とか相撲とか祭とか絵画とか忠臣蔵とか、題材があったのはそういうことだったのかと。
ちなみにタイトルは、素性(そせい)の「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけり」(p.68)という歌からとられているらしい、奈良朝文学では桜は語られていないけど、平安朝文学になって急に出てくるようになったといわれてるけど、そんな機械的なもんでもないだろって話のなかで出てくる。
桜については、江戸だって昔はどっかに一本一本の名木があるって状態だったのを、山全体が桜みたいなのにしたのは人為的なもんだって話があって、
>丸谷 (略)飛鳥山に桜を植えたのは吉宗です。それから御殿山に植えたのもそうですし、小金井の玉川上水には一万余植えたというんですよ。ですから、ここのところで江戸の桜というものが極端に増えたんですね。吉宗の文治政策の一環であったというわれているんですけれども、これはすごく頭のいい作戦ですねえ。(略)
>山崎 この場合は、政治的、意識的に文化の中にとりいれた狂気なんですね。将軍たちがどのくらい人類学的な知識があったか疑わしいですけれども、おそらく感覚的に悟っていて、ときどき小出しに狂わせないと、こんな都市は支配できないと思ったんでしょうね。(p87-88)
なんて語られている、勉強になるなあ。
さらに桜の咲き方ってのは、長いこと待たせておいて、一気に咲いたと思ったらもう散り始めてるんだが、これを「序・破・急」の説明にからめて、
>山崎 (略)われわれは「序・破・急」というと、どうも三つの部分から構成された三拍のリズムであるというふうに読みがちなんです。(略)それに対して「起・承・転・結」というのは四拍のリズムだと思ってたんですが、どうもそうではないんですね。序・破・急というのは二拍なんですね。長い「序」があって、「破」と「急」はひとつである。「破」の中に「急」があって、「破」というのは「急」に向ってなだれこんでいく曲り角なんですね。(p.93-94)
みたいに能の奥義の解説をしてくれる、知らんかった。
桜の木を植えたのは徳川将軍だっていう一方で、祭に関する章のなかで丸谷さんがいうには、京都の祭には今でも山車があるけど東京にはないことについて、
>丸谷 (略)その理由としては、明治の藩閥政府が東京の祭を圧迫したことが挙げられるらしい。神田の明神祭、山王祭は徳川家寄りのお祭で、三社祭もたしか家康と関係がある。そのせいで、明治政府は東京の祭を圧迫したらしいんですね。
> 圧迫したくなる気持もわかる。祭にはいろいろな要素があって、たとえばカーニヴァルの場合でも、(略)階級闘争、政治的意見の表明という要素があるわけです。それらがいつも出るわけではありませんが、時に応じていろいろな面が出てくる。政治的不満の発揮なんて面も時には出てくる。(p.190)
なんて教えてくれる、為政者からみると恐れるべきものだったのか、祭が。
このとき丸谷さんたちが見に行ったのが富山の八尾のお祭なんだけど、見てて幸福感があったとして、丸谷さんは、
>丸谷 (略)ここで突如として文学の話になりますが、ふつう文学は人間についての研究だといわれている。しかし、人間についての研究というのは、文学が最終的な目的にしている一歩手前の手続なのではないのか、と思ったわけです。別の言い方をしますと、人間についての真理を解明することが目的だとすれば、それは科学と違わない。ところが、それは文学の最終目的ではないので、人間についての嘘をつきとおしてもかまわないから、人間が明日生きるための活力を与える、あるいは不幸な条件をはらう、そういうことがむしろ文学の本当の目的なのではないのか、という気がします。ただし、近代になって人間がみんな賢くなってきたせいで、嘘を積み重ねて元気をつけたり、生きることを励ましたりするのは難しいから、人間についての真実を極めるという、そういう方便を重ねて文学作品を成立させているだけなんです。ところが、近代文学はその手段としての真実の探求を目的だと思い込みすぎたのではないか。(p.196)
っていう文学論を展開するんだけど、傾聴に値するよね、うん。
ほかにも、丸谷さんの日本の芸術についての意見はおもしろいものがある。
絵画に関する話題のところでは、近代日本でもてはやされるのは上手い下手とかよりも個性だって話から、
>丸谷 (略)近代日本の芸術には、スキャンダルの精神が非常に大きいんですよ。作品それ自体でスキャンダルを起そうとさんざん狙って、その能力が枯渇すると、今度は自殺するわけです。死に方というスキャンダルによって生き延びようとする。それが近代日本の芸術史だったという気がしますね。(p.222)
とかって、すごいことを言ってみたり。
日本画ってのは松竹梅を描いたり仙人を描いたり、なんかめでたい感じを出して呪術的な意味合いのものだったんだけど、
>ところが洋画が入ってきたときに、洋画は突然、そういう呪術性はまったくくだらないものである、絵というのは芸術なんだから、純粋な芸術性が大事だ、というわけで、たとえば林檎があるとか、かぼちゃがあるとか(笑)、百姓家の裏庭なんかを描いて、「これが芸術だ」と示した。芸術性がわからないやつはバカだといってそっくりかえった。
>その典型的な態度は松ではなくて白樺を描いた(笑)。白樺というのは雑木でしょう。その「松ではなく白樺」という態度に、一群の若い文学者たちが興奮して、雑誌の題にするんです(笑)。そのくらい、感受性にとっての大事件だったと思うんですよ。文化史的大事件なんです、あれは。(p.243)
って洋画が日本文学界に与えた影響を解説してくれたり、たぶん丸谷さんは白樺派が好きではないと思うんだけど。
丸谷さんの文学的趣味については、映画について語ってるとこで、ちょろっと、
>丸谷 かわいそうでかわいそうでたまらない話というのを喜ぶ趣味が、むかしからわからなくてねえ。少女小説というのは、だいたいかわいそうなものでしたね。私も読んだことは読んだけれども(笑)、女の子というものは、なぜこういう話が好きなのか、不可解だった。僕の女性研究は、あれから始まったのかもしれない。(p.291)
なんてことも言ってたりするけど。
ちなみにこの映像に関する章では映画だけぢゃなくてテレビドラマもとりあげてて、「北の国から」の第三作を見て、
>丸谷 (略)でも、これだけの才能を持っている脚本家やスタッフ(略)が、これだけのエネルギーを使ってこの程度のものを作るのは、ちょっともったいないという感じがします。というのは、これは二時間半でしょう。あのエピソードで二時間半もつはずはない。一時間の話です。
>山崎 これは物語の時間が遅いだけでなく、カメラワークの時間が遅い、演技そのもののテンポが遅いんですね。したがって、試みにビデオの倍速を使って、実際のスピードの倍にあげてみたら、ごく自然に見えた。(笑)(p.271)
なんてやりとりがあるんだけど、実は監督や役者を批判してんぢゃなくて、丸谷さんが毎回二時間枠ぢゃなくて短いときも長いときもあるシリーズにすりゃいいのにというのに対して、
>山崎 それは、おそらくテレビの編成にまつわる宿命的な問題でしょうね。日本の場合、具体的にいえば、民放で二時間の作品を制作することになれば、まず作家が話を思いつく前に、スポンサーを見つけておかなければならない。そうすると、広告が何回出るか、したがって製作費が幾ら出るか、すべて決ってしまうんですね。(p.272)
みたいな指摘がされてるのが興味深かったりした。
べつの章では、いま何かと話題の宝塚歌劇も見に行ったりして、創業者の小林一三を天才だって二人でほめるんだけど、
>山崎 (略)そのうえ、頭がいいと思うのは、役者を女性ばかりにしたということです。宝塚が多くの人の支持を受けている大きな理由はたぶん、あんなに安い値段で、日本でレヴューがみられるということですね。(略)あれを男優を入れてプロでやったら、昭和初年でも、おそらく費用は数十倍になるでしょう。ところが、お嫁入り前の若い女性、どうせお稽古事をしてすごす世代、いわば労働力としてはタダに近い人たちを、しかも学校の生徒という名目で集めれば……。天才ですね、こういうことを考える人は。(p.316)
とか言ってるとこだけ見ちゃったりしたら、こらこらそういうのが過密な公演スケジュールになっちゃうんぢゃないのとか思ってしまうんだが、そのちょっと後では菊池寛と並べて比較して国民文化ってものを意識した人だとして、
>山崎 日本社会全体に及ぼした影響は、宝塚と文藝春秋とでは、どちらが大きいかわかりませんがね。
>丸谷 今度、いろいろ読んでみて、小林一三のほうがやはり柄がひとつ大きかったのではないかなあという感じはしました。柳田泉が小林一三の小説を読んで、この調子でいけば、尾崎紅葉くらいにはいったろうといってますが、それは間違いないでしょう。尾崎紅葉になるだけの才能をぜんぶ実業に向けた。文化ではなくて文明に向けたわけですね。ずいぶん柄の大きい、優秀な人だったと思います。(p.322)
ってぐあいに評してる、やっぱ天才なんだと。
さてさて、丸谷さんの日本の芸術論、文学論はあちこちでいろんな表現されてるけど、本書のなかで、
>丸谷 山崎さんのいったことを僕の言葉でいえば、「人間は多層的な存在である」ということを日本人は昔から考えていたんです。そのことの表現としてあるのが、日本文学の多義性なんですね。日本文学は『新古今和歌集』において頂点に達した。それは王朝文学が何百年もかかって準備したものが、言葉の多義性を非常に極端に使うことによって、人間の多義性を最高に表現したと思うんですよ。(p.375)
ってとこがあって、これは、おお、そーゆーものなのかー、と感心した。
それと、こういうのを引き出しちゃう山崎さんとの対談ってのは、やっぱ随筆や評論を読んでるだけよりおもしろいかもって思った。
コンテンツは以下のとおり。

 あけぼのすぎの歌会始
 桜は死と再生の樹

 芸能としての相撲
 胡弓を奏く祭

 旧宮邸の美術館で
 映像的世界 1987

 企業がつくる町
 雪の日の忠臣蔵


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