これはと思う新聞記事をパソコンに書き写しています。
今回は2011年に連載された五木寛之作の「親鸞」から拾ってきました。
平時は武芸の鍛錬に汗を流し、いったん事あれば弓矢をとって合戦にはせ参じる。戦いの場では身命を賭して相手を倒し、敵を殺す。それがしもこれまで何人、何十人の敵を斬ってきた。殺されたくなければ、相手を殺す。武運つたなく敵に殺されようとも、それこそ武門の誇りというものだ。我ら坂東武者は、親が倒れれば親の屍(しかばね)をふみこえ、子が殺されれば子の屍をこえて敵を倒す。一人殺すごとに、武名があがり、家は栄える。そのことをやましく思うたり、殺生の罪を犯したなどと気に悩んだことは一度もない。心はつねに朝日のような光に満ち、花と散ることを喜びとする。そこには一点の闇(やみ)もないのだ。このようなわれら武士に、どうして念仏が必要なのか。
武士は死ぬのが当たり前でそれを苦と思っていない。普通の人とは違うのです。
ロシアとウクライナが戦っています。死ぬのが怖いと思うと戦はできません。
プーチン大統領は金ぴかの豪邸に住んでいます。
それなのにロシア兵はまともに給料はいただけないそうです。
どっかでピンハネされて消えていっているようです。
これなんて花?
お向かいさんの奥様に聞きました。
「さあ、分かりません。」
「あんた、花の名前を知らなくて植えているの」
雑草の中で見事な花が咲いていました。
せめて雑草ぐらいはむしって下さい。
花が可哀そうです。
「そうね」。っていうだけでぜんぜんむしる気がありません。
それが現代人です。