亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

乱輩(らっぱ)

2023-05-06 | 歴史
10年前の地方紙に連載されていた歴史小説、堺屋太一作「三人の二代目」をパソコンに写しているが、読んでいるだけではなかなか理解できない歴史小説は書き写しているとよく頭に入る。
書写とは凄いなと思っている。

宇喜多秀家の従兄弟の詮家(あきいえ)は、生来の狂騒人(きょうそうじん)。戸川達安(みちやす)は筆頭家老を降ろされた大物。共に分権主義者で日蓮宗徒だ。朝鮮出兵や政治工作に費用をかけ、収入増の為に領国検地を進める秀家のやり方は気に喰わない。
 実力大老徳川家康にとって、彼らの不満に火をつけるのは簡単だ。旅の僧や商人になりすました乱(らっ)輩(ぱ)を送り込み、
「宇喜多様の大阪詰めの御家老中村治郎兵衛様はなかなかのお方、キリシタン寺に多額の金銭を御寄付になり、諸大名家の御女中らを次々と改宗されておられる。秀家様やお豪様も赤い葡萄酒で丸め込まれておられる」
 などといわせればよかった。
「それは許せぬ。加賀から来た余所者の治郎兵衛を斬る」
詮家や達安は息まいて大坂に上がって来た。
これを知った秀家は、中村治郎兵衛を加賀に逃がした。それがまた詮家たちを怒らせた。
「さては秀家様も同腹、治郎兵衛を引き渡されるまでは断じて引かぬ」
 と申し合わせ、同志250人ほど集めて宇喜多家下屋敷に立て籠もった。秀家は、
「かつて御母堂の申されたのはこのことか」

人の弱みに付け込んで、こんなことやられたらたまったもんではない。
あることないことを言いふらして敵をこてんぱんにやつける。
家康の得意技らしい。
中村治郎兵衛とは宇喜多秀家の奥方に加賀藩前田家がつけてやった人らしい。
利家もたまったもんではなかったろう。

地震
昨日の話だが、犬の散歩に行こうと玄関を出たら「地震です」とどこかから聞こえてくる。どこから声がするのだろうと周りを見渡したがわからない。
そしたら家内が飛び出してきて、「ねえ、分かった?すごく揺れたわよ」
何も感じなかったので、どこで、地震があったのだろうと人ごとのようにおもっていたが、本当に足元で起きていたのだった。
 自分の身体がまだ十分回復していないので、体がふらついていて、地震の揺れとは区別がつかないのだ。
どうやら声の主は携帯電話だったようだ、今はけたたましい警告音ではなく優しい女性の声で知らせるようだ。

コメント (1)
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