文永年中(1264~1274)諸国に火災がひんぱんに起こり、時の鎌倉幕府は畠山某、富樫某を使者として遠江の秋葉の神に鎮火を祈願した。下社の折り、御神体を戴き大野郷の宮腰の地に一社を建立して鎮火社と称した。前田家も祈願に命ぜられて、崇敬も厚かったと言う。
すぐ隣には立派な忠魂碑があります。
今日は父の命日で近くの光明寺の住職さんにお経さんを上げてもらいました。
「お経の文句は誰が作ったのですか?」と聞きました。
「阿弥陀経は中国の偉いお坊さんが書かれたものです。ほらここにも書いてあるでしょう。姚秦三蔵法師鳩摩羅什奉詔譯と。姚秦は、昔の中国の国名で、三蔵法師は秦の国の皇帝から与えられた高い位で、摩羅什奉とは、高僧のお名前です。インドからもたらせられた有難いお釈迦様の教えを漢文に置き換えられた物です。」知らなかった。目から鱗です。