亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

死んだらどこへ行く

2023-05-11 | 法話
新聞の連載をパソコンに写しているが、面白いことを書いてあったのでちょっと書いてみる。
「それは、後生、ということだった」
「ゴショウって、なんだっぺな」
 前列に坐った女がきいた。親鸞は答えた。
「後生とは、死んだ後のことをいう。そなたは自分が死んだあと、どこへいくと思うていなさる?」
「どこさもいがね。死んだ者は谷さかっぽられ、鳥やけものの餌だっぺよ。そんで腐って骨だけのごっぺ」
「そじゃ、ねえ」
 と、うしろのほうからこがらな老人が声をあげた。
「人は死んだらあの世さいくべ。あの世で、先にいっちまった爺(じっじ)婆(ばっば)や、親や、兄弟、友達などと会って,ながよく暮らすべ
宇都宮家の武士の一人が、ひとりごとのようにいう。
「偉い坊さまから前に聞いたところでは、われらは死んだあと、極楽か地獄のどちらかへいく、ということであったが」
 道場に集まった人びとが、急にざわつきはじめた。それぞれが自分の考えを口にしはじめたのだ。
「ま、まて」
 と、香(か)原崎(わらざき)浄(きよ)寛(ひろ)がみなを手で制した。ざわめきが静まった。浄寛は言葉をつづけた。
「わしのほうからきこう。親鸞どのは、人が死んだら、どこへ行くと思われる?」
わかりません
 親鸞がそう答えると、ふたたび道場内に私語する声がひろがった。香原崎浄寛の声が高くなった。
「これは意外なことをきくものだ。親鸞どのは法然上人に深く帰依(きえ)された念仏者ではないか。ひたすら念仏もうして浄土に往生する、それが法然上人の教えだと思うておったが。わからぬとは、こっちがわからぬ。わかるように説明してもらおうか」
2011年に連載された五木寛之作「親鸞」の中から拾った。
五木さんの小説はやたらとへらがなが多い。ほかの作家と違って易しくて面白い。
先日の法話会で講師を務めた老僧がちょっといいことを言った。
「佛さまは目に見えないし姿も形も匂いもありません。
 仏さまは言葉です。阿弥陀様とは南無阿弥陀仏という言葉を唱えることが阿弥陀様そのものです。」
分かったような分からないような説明でしたが、むしろそちらの方が説得力があるような気がした。
この科学の発達した時代、見えもしない仏さまを誰が信じよう・・・・。
人を説得するには100年かかる。でも、人間さまを超える超能力者がいたとしたら人は、そのモノに恐れを抱く、それを考案したのが仏さまでその仏さまを信じさせれば、人を短時間で説得させることができる。
仏さまは偉いんだぞ~。何でもできるんだぞ‼‼。
人間様は見えない仏さまに脅えて言うことを聞くようになります。
昔の人はうまいこと考えました。
 お釈迦さまのお弟子さんがお釈迦さまに訊ねた。
「お釈迦様は死んだらどこに行くのですか」
「私はまだ死んでいないのでわかりません
とお釈迦様は答えた、とネットに載っていたことがある。
死んだら地獄、極楽にに行くという考え方は、釈迦が死んでから数百年たってからインドで新しい宗教ができた。その教えの中に地獄、極楽が登場します。それが仏教の教えと混ざってしまって、いつの間にやらお釈迦様が言ったように後世に伝えられているのです。これは仏教本来の教えではないのです。


何の花か知らないけど、アスファルトの隙間から顔を出して逞しく咲いています。
ツツジの季節です。
歩道の植え込みの中を占領しています。
綺麗です。
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1 コメント

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Unknown (みゆきん)
2023-05-12 13:06:10
死んだら・・・
お化けになって悪さしたいな~
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