お寺にはお釈迦さまがいない。
今年になって初めて法話を聞きに行きました。
言われてみれば不思議です。どうして・・・
それは、お釈迦さまは仏様の化身としてこの世にお生まれになられたからです。
お釈迦様は仏様の教えを私たち人間に伝えるためにお生まれになられたのです。
お釈迦さまはインドの北にある小さな共和国カピラヴァストゥの王子としてお生まれになった。
お釈迦さまはお生になってすぐ、お立ちになられ、7歩進んで、右手で天を指し左手で地を指し、四方を顧みて「天上天下唯我独尊」と言われた。
生まれたすぐの子がそんな事する訳がないわね。
でも仏教ではそれをそのまま信じるのが教えなんや。
六道というのがあります。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天。
人間はこの六つの世界をさまよっています。
この六道から更に一歩進んで初めて本当の人間になるのです。
天上天下唯我独尊とは決してお釈迦様だけが特別に偉いと言う意味では有りません。
六道の世界から一歩前進せよといわれているのです。それがなかなか出来ないのが人間という物です。
お葬式の弔辞には不思議な事にいつも天国しか出てこない。お浄土という言葉は出てきませんね。
天上には地面が有る訳ではありません。
ふわふわ浮いているだけでいつ落ちてくるか分らない不安定なところで決して極楽ではありません。
天国とはいずれ訪れる病気、死、老の苦しみから少しでも遠ざけてごまかしているだけの世界、ごまかしの世界が崩れるときは地獄の何倍も苦しまなければいけない。ごまかしの世界を越える道の事を7歩というところで現わされてくださった。・・・・(略) 合掌。
私は仏教を信じている訳ではありません。ただ、面白い話が聞けるというだけであつかましくお邪魔しています。
昔、父が生きていた頃、毎日のようにこんな話ばかり聞かされていたので、仏教はほとほど嫌いになりました。
それがどうしたわけかこの歳になってありがたく聞けるようになった。でも仏教信者になった訳ではない。
これも謡曲を習い始めた性だろうか。 謡曲の世界では仏教言葉が山のようになって出てきます。
仏教の事を知らなければ謡曲は理解出きません。
私は仏教信者ではなく、仏教学を学んでいます。
わが家の宗派は日蓮宗ですが、お経だってほとんど知りません。普段から「困ったときの神頼み」で、考えてみれば罰当たりな人間です。
ようやく桜が満開になって、春爛漫となりました。
寒さが長引いたせいか、今花という花がいっせいに咲き始めていますね。