今回の高砂大学校の講演は日銀の話だった。
日銀金沢支店は日銀の支店としては最も古く、明治42年3月に開設され今年で102年になる。
富山県、福井県には支店はなく、北陸3県の日銀の業務は全て金沢支店で行われてる。
日銀は企業の情報収集を行っているので、富山県では北陸銀行、福井県では福井銀行の一画を借りてそれぞれ富山事務所、福井事務所として使っていて、日銀の職員がそれぞれ詰めて業務に当たっている。
日銀は市場にお金を供給すると言う重要な役割を持っており、必要なお金が供給できないとなると大変。昭和38年の三八豪雪では北陸本線が3日間運休するなど各地で交通機関がマヒ、福井県で必要なお金が1億5千万円が不足するという事態となり、日銀の職員数人がリュックサックに現金を一杯詰め込んで金沢から11時間かけて歩いて運んだそう。リュックサックの重さは30kg。
1億円の札束を持たせてもらった、10kgあるあるそうだが思ったよりは軽く感じた。1万円札にすると15kgだが1万円札だけとはいかない。
日銀は銀行の銀行で我々一般の人には程遠い存在だが、我々国民が納める税金は代理店を通じて日銀の金庫に納まる。還付金も日銀の金庫から出される。
銀行の入口にある表示
代理店には日銀から手数料が支払われる、日銀代理店になれば、銀行の信頼性が上がるが、業務が煩雑で返上する銀行もあるそうだ。
日銀と言えば日銀券、現在使われているお札は平成16年から発行されているが、使えるお札は明治時代に発行されたお札も残っていれば使えるそうだ。実際に残っていれば、銀行に持っていくより骨董屋に持っていった方が高く売れそうだが。お札は明治時代以前にも存在していた。
お札と言えば西暦2000年を記念して2000円札が発行されたが此の頃さっぱり見かけなくなった。
肖像画の殆どはお札の右側に描かれているのは、左に描かれていると銀行員が左手でお札を持って数えると肖像画が見辛くなるなるからだそうだ。
肖像画が描かれる主な理由は人は顔を良く見ており僅かの違いも見逃さない、偽札防止に役に立つと言う。
家に小銭があったので、一寸調べてみた。
上段左から、半銭(明治8年)・1戦(昭和10年)・1銭(大正8年)。下段左から10銭(昭和15年)・5銭(昭和15年)・1銭(昭和16年)。下は裏面。
昭和10年から15年の間に何があったのだろうか材質が落ち大きさも小さくなっている。
現在の1円玉の直径は20mm。昭和15年の5銭玉は19mm。10銭玉は22mmで現在の10円玉の直径は23mmで大正時代の1銭玉と同じ。
500円玉の直径が27mmで、明治時代の1銭玉は変形していたので正確には分かりませんがほぼ同じ寸法だった。