法話会に行ったら、一冊の小冊子をくれました。「終の住家での看取り」という見出しでした。
昨年6月に金沢東別院で東京大学名誉教授が講演された物を纏めたもののようです。
それを読んで思ったことを少し書いてみたいと思います。
一部抜粋
――唯識に、「一人一宇宙」という考え方があるのですが、それは、一人ひとりが、全部、違った一つの宇宙を持っているということが言われているのです。しかも、そういうことを言ったのが、今から1600年とか1700年前の人たちです。それを今、脳科学が少しずつ明らかにして、「ああ、そうなのだ」となってきているのですから、すごいことなのです。
私たちは同じものを見ているのだけれども、自分の経験と記憶に基づいて、それぞれ違う意味をつくっているのです。そういう違う意味を紡いでいきますと、その意味の世界が分かれるのです。したがって、みなそれぞれ違う意味の世界に住んでいるわけです。これは認知症であろうがなかろうが、全く同じことなのです。だけれども、時々、認知症の高齢者で、外から見ていて、明らかにおかしいと判る場合があります。
会話をしているときに、だまって相手の言うことをきいているとしだいに相手のいっていることが分からなくなってしまいます。他人の会話についていけない自分が情けなくなってしまうことがあります。性格のおとなしい私は反論しないので、いつもついていけなくなって、人なかに出るのがいやになってしまいます。同じ言葉を使っていても人によって違う意味で使っているのですね。人と話をする時は積極的に自分の意見をいって、絶えずそのずれを修正しながら会話をしないとだめなのですね。
天気が良いのでぷらりと出かけました。ここは加賀藩の歴代藩主の墓がある野田山墓地のすぐ隣にあります。平日なのに大勢の花見客が訪れています。向こうには金沢市街が広がって見えます。
「満開だというから来たけどまだ満開じゃないじゃないか」という不平を言う人もいます。
ツツジは早いもの、遅い物があって、いつが満開というのは難しいですね。
いつの日か、ここは何処?
私は誰?
そんな時がくるのかな
そこまで長生きしましょうよ( ̄w ̄) ぷっ