西勝寺の鐘楼
この前、金沢駅周辺の歴史深訪していたら、珍しい鐘撞堂を見つけた。
鐘は普通はむき出しになっているものだが、不思議にもこの鐘は中に入っていて見えない。
おばあちゃんがスマホをいじっている。
「スマホですか。何を見ているのですか」
「さっき見た鳥の名前を調べている」
さっき双眼鏡を持って高い木を見上げていたおばあちゃんだ。
「何を見ているのですか」と尋ねたところ。
「ねえ、アレアレ見える。」
見上げると木のテッペンに、お腹が白くて羽が黒っぽい大きな鳥が一羽とまっている。
「サギ?」「違うみたい」
その鳥の名前を調べようとさっきから一生懸命スマホの上で指を滑らしている。
鳥の写真がずらり並んで出てくる。
みんな似たり寄ったりで、特定はできない。
「たくさんあって分からない」と諦める。
便利なものが出来たものだ。でも鳥の特徴をつかむ能力がないと、多くの鳥の中から選び出すのは難しい。
人の顔も同じだ。お店の人は言う、一度見たら絶対に忘れないと。私は何度見ても覚えられない。人の顔の特徴を掴むのが下手なのだ。
顔を覚えられないというのは社会生活をしていくのは難しい。
家内は言う。「興味がないからだ」。興味がないでは済まされないのだが。
こればかりはどうも苦手だ。
もっとも、鳥の名前なんてわかる筈がない。
雀というのは、大雑把にいって、小型の鳥全般を指すらしい。カラスも見方によっては雀の仲間だそうだ。
木のテッペンにとまっていたのは、すずめ?いやそれにしては大きすぎる。なんだろう。