亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

写謡 小袖曽我

2020-10-13 | 能楽
我が氏神様の両脇に鎮座しています。敵討ちで知られている蘇我の兄弟の物語です。
以前正月に能を観に行きました。正月は普段より入場料が高いのだが、会場は満員でした。舞台には多くの出演者がいました。曽我の十郎五郎が沢山いた気がします。それは豪華でした。
謡曲教室に通い始めてから頃、小袖曽我の発表会がありました。まだ慣れていない私は言い間違えたら大変と自分が歌う所に赤線を引いて謡いました。
そのころは能楽堂でなくいつもの教室でした。観客は教室の人だけです。
謡い終わったら、皆で拍手。自分達が謡ったのに自分で拍手です。なんだか変な気持ちでした。それでも気持ちは良かった。自分を褒めるってこともいいもんだなと思った。間違えても、言葉に詰まっても、音程が狂っても誰も文句を言いません。謡曲教室とはこんなところなんだなと思った。
 棒を引っ張てある所はワケといいます。この頃は先生もまだ未熟でうまく説明できません。ここは大きく謡うのだと長いこと勘違いして其の処を大きな声で謡っていました。それが間違いだったことが分かったのはごく最近です。ここは確りとはっきり謡う所で声を張り上げて謡う所ではないんです。
 三角の様な印はダシと言ってここで前の言葉と後の言葉を区切って謡います。
小袖曽我は謡の位としては〝入門″です。謡としては最も易しい曲です。
最初の方はなんと易しい曲だと馬鹿にしていると、ページをめくるごとにだんだん難しくなります。最後のところはかなり難しく苦労します。
黄色く塗った部分は小謡の部分で留別(りゅうべつ)といってお別れするときに謡う小謡だそうです。送別会などで謡うのかな。送別会はお別れするだけですけど、十郎、五郎は死んでしまうので、二度と会えません。
敵討ちとは正々堂々と戦うのかと思いきやどうやらこのテキストを読む限り草むらに隠れて弓を射って殺すようで、卑怯です。源頼朝には内緒のようです。当然きつい処分をうけます。生きて帰れません。それでも親子孝行のお手本だそうです。本当はどうだったのだろうか。
黄色く塗った部分です。小謡の本から拾いました。書き方はテキストと同じです。

新型コロナウイルスも大分治まってきました。石川県でもここ数日感染者は出ませんでしたが、残念、今日は2人出ました。まだ油断できません。
謡曲教室はいつ始まるのか?
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