「嫌じゃ嫌じゃ、狡い。父上は私を騙くらすおつもりか」「黙らっしゃれ!聞き分けのない。いつまで情をはるつもりか。それでは取り付く島も無かろう。神妙にせい」
一方はいさめ、必死に言い聞かせているようです。
「母子の中を引き裂こうなどと。子は物ではない。捨て猫でもない。一二三はすみの子ぉや。腹を痛めた実の子をいくら嫂(あね)さまとはいえ、やれぬ、離せん」
すみ女はわが子を胸に、床にへばりついたまま耐え忍んでいる様子でしたが、突然、泣きじゃくって叫びました。
「どんな子も、他人にくれてやる子など、おりますものか」
「お昌どのは他人ではないぞ。甚忠(元安)どのも承知してくれた」
「あの人は父上に遠慮してのことじゃ。私は承知できん。二年前の私、子を死産した。先の子を流し、やっと出産た子。なのにまた奪るってか!? かどかわし(誘惑)じゃ」
すみ女はまっすぐな気持ちで言い放ちます。
眉間に皺を立てながらも、一方が宥めます。
「おいのぉ、解っとる。お前の気持ちなど、とうに・・・解っとるて」
「解っておんなさらん。実子実母は肉の千切れじゃ。死んで離れるまで千切れたところから血が滴って止まらぬわ」
「すみ!弁(わきま)えぬか。鬼か蛇にくれてやるんじゃあるまいに」
一喝した一方が勢いで娘の背中を殴りつけたようで、母親に抱かれた子は火がついたように泣きました。
戸口にいる昌子は青ざめ、耳を塞いで、くずおれました。
「お父さまは医師じゃ。医師なら解っておんなさろう。千切れたあちゃみ(粘膜質剥き出しの所)に塩を擦りつけたらどうなるか」
一向にひるみを見せないすみ女。ふだんの純朴な女からは想像もつかない言葉が次々と飛び出しました。
「この場に及んで何を申す。お昌どのは幸三一筋。その女心が解らぬか。引き千切れた子の命を、お昌どのに托すのじゃ。心から託すのじゃ。よこせ、こっちゃへ。一二三をよこすのじゃ」
「なぜさようなことを。承知でき申さん」
「すみ、なんと聞き分けのない。お前がそんなに愚か者だとは思わなんだ。考えてござれ。お昌どのはどんな思いでおると思うてか。おまえとは比べものにならんぞ」
「勝ってや。父さまはどうして嫂さまばかり立てて、実の娘に弓を引こうとなさる。私かて、兄者を殺された。母親は私を生むとすぐに亡うなられた。母の愛とて知らぬ」
「解っとる、わかっとるて。みーんな解っとる。ことさら申さんでも」
「父さまはどうして私をどん底に突き落とそうとなさる。実の娘と嫂さまと、どっちが可愛い、どっちが大事じゃ」
なかなか母子の縁を切れぬすみ女は、口を尖らせて叫びますと、泣きしきる子を掻き抱き、号泣しました。
「馬鹿を申せ。どちらも大事な娘じゃ。整わんことを申してからに」
「違う! 違うちがう。あちらは二百石取の御家方のお嬢さま。私など、粗末に扱われても仕方あるまい」
「馬鹿もん!」
とうとう、すみ女の頬ははたかれてしまいました。床にくずおれて睨みつける娘を眼下に、一方は申しました。「痛かろう。のぉ、これが一二三が生きていくという証じゃ」
〈私情にとらわれてばかりで、己をわきまえぬ者は、母親として失格なのじゃよって・・・〉
一方は泡のように呟き、
「なぁ、すみ。この子をお昌どのにいいのに育ててもろうては。幸三と一二三のためじゃ。兄者が一番喜ぶぞ。四方丸く収めて、小川家を立て申さぬか」といなすことしきり。
「なんと業なこと。十月十日(とつきとおか)、腹に妊もった子。1人は――、もう1人は――」
すみ女は思い切れないらしく、未練がましく宙に向かって指をおります。
「どうじゃな、すみ。先の子は道を通して、一二三を導いたのじゃ。さすれば、先に逝った子も浮かばれようて」
「得手勝手な世迷言を・・・」
「お前とお昌どのとて、生みと育てを受けもって、この子に倍の愛を注ぎ込んでやっては――」
「先も子の分も?」
「そうじゃとも。案ずるには及ばぬ。のちに一二三を鄙の土くれにするよりも、両翼をはばたかせて大空を飛び交うほどの、日本の男にしてやらぬか」
「父上ときたら、嫂さまに気をくばってばかり。私の気持ちはどうしてくれる」
「くどい! くどいぞ。身のほどをわきまえぬか。お昌どののような女はいまい。おまえは今からでも産めようが・・・」
「さような・・・」
「よいな、すみ。お昌どのこそ一二三にふさわしい母上じゃ。お昌どのなら、お前の気持ちを決して忽(ゆるが)せにはし申さん」
一方にすれば、そろそろ娘の口から