はじめは招魂者と称し、卯辰山にある卯辰神社の下にあった。草創は、明治元年(1868)。越後陸奥の乱で戦死した加賀藩兵103名の霊魂を祀るため、加賀藩14代藩主前田康寧の命を受けて建立された。以降、藩知事から1000俵を毎年寄付され、春秋の2回、祭典を執行した。
後に、西南役の戦死者や、日露戦争の戦没者も合祀している。
昭和10年、神殿を現在地に建立し、招魂社の心霊を遷座した。以来、大東亜戦争までの心霊を合わせ祀っている。昭和14年4月1日、石川護国神社と改称した。
さすが護国神社、そこらの神社とは規模が違う。
この神社は普通の神社と違って、昔の偉い人では無く、明治以後にお国の為に戦って命を落とされた兵隊さんを祀ってあります。
鳥居をくぐるとその雰囲気違いに圧倒される。
戦前はお国のお抱え神社だったが敗戦によりお国から切り離された惨めな神社だ。
それでも多くの遺族達に支えられて運営されてきた。
だが、このところ、頼みの遺族がどんどんお亡くなりになり、そのお子様方の関心もうすくなって参拝する人も少なくなり、経営が逼迫しているらしい。
我が叔父もフィルピン近海で戦死し、お世話になっている。
小泉元首相が周りのお国の意向を無視して強引に靖国神社に参拝して問題になった。
日本の国は死者が神の国に行くと、善人も悪人も皆平等である。
そのことは、近隣諸国には理解されていないらしい。
さて、彼らの国では、悪人はあの世に行っても嫌われるのだろうか。
仏教では、地獄極楽と言うのがある。
お寺さんでは、地獄極楽はあの世ではなくこの世にあるのだと教えている。
私達は、悪いことしたら、死んだら地獄に行くんだぞとひつこく言われて育ってきました。
でも、本当だろうか?
私達日本人は悪人の罪をあの世まで追いかけて追求する心は持ち合わせていないような気がする。
はたして、真実は?あの世で地獄があるのだろうか。
シベリア抑留者慰霊の碑
極寒の地シベリア、私の知り合いにも何人か抑留帰りの人がいた。
小便をしたらその場で凍りついたという。寒さと飢えで多くの人が命を失ったという。
敗戦で、日本国は、アメリカ軍の管理下に置かれた。
もしソ連の配下に置かれたえとしたら今の日本があっただろうか。
ソビエトは北海道の瀬戸際まで来ていた。
もう少し昭和天皇の降伏宣言が遅れていたら大変なことになっていたかもしれない。
広島、長崎に原爆を落とした、アメリカ。とんでもない非道な国。そんな国の言いなりになっていかなければならないのか。
いや、言いなりになっていたからこそ、今の日本があるのではないかと思う。
今、護国神社を訪れて戦争の悲惨さとその意味をつくづく考えさせられた。