クリスマスが近づくと、幼い日の、近くの教会の光景を思い出す。
浅草蔵前という商人の町で生まれ育った私は、賑やかなホームクリスマスの思い出は無い。
その教会には、日曜礼拝に時々母に言われ足を運んでいた。目的は、近所のお友達に会える、遊べるという目的が大きく「祈る」場、とは程等かった。
記憶の一番底にあるクリスマスの想い出は、とても凝った演出の物だった。
イブの夕方、見上げるほどの大きなツリーが飾られた礼拝堂に沢山の大人、子供が集まり、クリスマスソングが流れていた。暖房はだるまストーブだった。
神父様のお話は、音楽にかき消されよく聞こえなかった。突然、その神父様の近くに、ひとりの青年が急ぎ足で神父様に耳打ちをした。
「みなさーん、とっても嬉しい報告です!」神父様は,一段と大きな声で身を乗り出した。
「サンタさんから、今浅草橋の上を飛んでいると電話が入りました。もう少しでここに来ます、いい子で待っていましょう!」そんな内容だった。
歓声が上がり、ジングルベルに合わせ踊り出す子供もいた。
それから間もなく、大きな袋を担いだサンタクロースが、正面玄関に現れた。
簡単な挨拶をして、子供、一人一人に声をかけプレゼントを配り始めた。私は小さな木琴とお菓子を頂き、嬉しくて友達と見せ合った記憶が。
そのあとの事はよく覚えてないのだが、サンタクロースの赤い洋服が古びていて、可哀想だなーと思った事と、白いお鬚の奥の顔が、時々教会で見かける男の人に似ている(スタッフの方?)と思った事だった。
子供って、いいなー、何にも疑うことを知らない。サンタさん、携帯電話を持っていたのですね、すでにあの時代。
質素なたたづまいの、古い教会。母が手渡してくれる献金などたかが知れていた。あの沢山のプレゼントの原資はどこから・・・、この季節になると、あの、温かな優しい時間が思い起こされ、それは両親以外の人達から施された私の「やさしさの起源」なのです。
いまから65年ほど前のお話です。
