珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

これは言えると思う

2020-03-04 | 思うこと
娘と話していたら「私はネットで、好きな人をボロカスに言っている人を見ても放っておく」と言っていた。
言っても無駄だし、それもその人の考え方の一つだからと言われた。
大人だね~と言ったら
「それに私が言わなくても、ママみたいなタイプの人が言い返すからいいの」
あっそ( ̄▽ ̄;)

でも私が言い返したところで影響力なんか全然ないよ。
場合によっては酷評されて終わり。
あくまで自己満足で、あくまで私が勝手に思うことで、だからこそ気軽に書いているところがある。
(気楽には書いているけど無責任に書いているつもりはない)

何でもそうだけど、人はネガティブなことには煽られやすい。
私はどっちかというと楽天家で、そういうのは煽られない方かもしれないけど、こういう効果は強いのはわかる。
例えばS時代に
「そんなことすると罰が当たるわよ、地獄に落ちるわよ」そこまで言わなくても「よくないことが起きるわよ」
なんて言葉や空気?のようなものは、同じくらい、
「なわけないでしょ(笑)」「そんな言い方はするもんじゃない」
と言われてる。
でも圧倒的に脅しのような言葉の方が真に受けられて、影響力があって、記憶に残る人が多い。
印象が10対1くらいになるというのか、人によってはそれが全てになるのかな。

刺激的なのか刺さりやすいのか、それがいいのか悪いのかは知らん。
でも何であれ、ネガティブなことを言った方が、売れて数がとれて注目される。
(そういう人が多い)
これは言えると思う。
コメント (14)    この記事についてブログを書く
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14 コメント

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Unknown ()
2020-03-04 14:24:33
少数ですが、逆にこういうネガティブなことを言われて、強い違和感を感じてその場を去る人もいます。
最近そんな人の話をききました。
「その会社を批判するわけじゃないですよ」と前置きした上で、
「僕はある会社で有難いと言われて聞いたトップの人の話が、否定から入った宗教のような話だった。それを聞いて落ち着かなくなって先のことも決まってなかったけど辞めました」と言っていました。
相手を批判より、自分からその場を去った。
若いのにすごいなあと思った。
何度も書きましたが「だってそんなこと言われた」「言われたから従った」「そしたら損した」「だから××は悪い」は腐るほど聞きますが、そんなものはあって当たり前。
要は自分とつくづく思います。

私も騙されたようなことや失敗なんていっぱいありますよ。
そのたびに言いたいだけ文句も言ったけど、要は私に隙があったんでしょうね。
今はそう思います。
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Unknown ()
2020-03-04 17:58:59
批判してもかまいませんが、※気分がわるくなるなら読まないでくださいね。
決して人のワルグチじゃなくて、私が思う意見を書いています。
誰を憎いわけでも攻撃したいわけでもないので。

対話の「少し活動家」さんの言われている「功徳」の意味は確かに私も教わりました。
「棚からぼた餅のようなものではなく、どんなに困難な事があっても悠々と乗り越えて行ける強靭な生命力だったり、それに打ち勝つ強さであったり」というのは誰でも聞いたはずなんですよ。
でもアンチブログになると、聞いたはずのこれを絶対に書かないで
「功徳って、カパコピに願えばラッキーポイントのようにいいことがあると思ってる、バカじゃね?」みたいに書くんですよね。

「新聞を多部数とらないと事故に遭う」なんて私でも聞いたことがない。
言われたとしたらその人個人がおかしいに決まっている。
それ=Sの教えなんて言ったところで、笑われるだけです。
それは「お金を出せば出すほど幸せになる」と一緒で、一瞬でも自分が真に受けたからあとで腹が立って「こんなおかしいこと言ってる」になるんですよ。
全く響かないこと言われたら「んなわけあるかい」と刺さるわけがない。

私がSで人間関係で殆ど悩まなかったのは、別に私の周りだけ特別いい人ばかりだったわけじゃなくて、おそらくヘンな発言は「この人が個人的に変なんだ」と取り合わなかったんだと思います。
今から思えばですけどね。
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Unknown (早霧)
2020-03-05 22:38:54
先日あるアンチの方のブログにコメントをした事で、有意義な対話とは何かという事について考えさせられました。
やり取りを終えたあとに、暖かい気持ちや相手を思いやる心、尊敬の念が芽生えたり、これまでの自分の考えに何らかの要素が加わったかどうか。対話の成果とはそこに尽きると思います。
以前コメント欄でブルーノートさんが、TSさんと徹底的に話して最後はお互い今の場所で頑張りましょうという事で終わったと書いておられましたが、内容は聞かずともとても有意義な対話だったんだろうなと思いました。
勝った負けたなんてそんな経験に比べたら、きっとちっぽけな事です。

>私がSで人間関係で殆ど悩まなかったのは、別に私の周りだけ特別いい人ばかりだったわけじゃなくて、おそらくヘンな発言は「この人が個人的に変なんだ」と取り合わなかったんだと思います。

それは福運がありますね!
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Unknown ()
2020-03-06 07:42:19
「少し活動家」さんは早霧さんかな。
どっちにしろ「対話する」という点なら、私は少しはマシになったかなと思います。5、6年前よりは(笑)

「少し活動家」という点で「たくさん活動家」だった人からは、だからわからないんだ!!という反発があるかもしれませんね。
まあバリ活VSユル活の間には昔から書いてますが深い川が流れています。
じゃあSが悪いというより、活動の仕方にも問題があったのかな?と私はどうしてもここを考えていますけどね。

一つ信じたら、あれもこれも(理不尽もパワハラも非常識もブラック企業のようなことも)懸命に受け止めて頑張ていたら、そりゃのちに頭にもきますよね。

「我見はいけない」「信心で受けとめなさい!!」「この信心はバカになってやりなさい」「利口はダメなんです」「でないと功徳はないんです、宿命転換できないわよ」「子どもが可愛くないの?!」「根性ないわね」
私はそんな感じのことを母親が、折伏した婦人部から年中言われているのを見て育ちました。
折伏したおばちゃんが典型的なそういうタイプだったんですよ。
(で、母親がまた何でも真に受けるタイプ)
まあ脅しを含めてこういう人いますよね。
こういう人を真に受けたら「192ヵ国」とか「お金を出せば戻ってくる」とかも心の底から信じるんだと思います。

私は強信でしたが何ていうか、そういう二人のおばちゃんを真近で見ていたので、教えというよりそういう人のインチキみたいなものは感じたのかもしれません。
意識は全くなかったけど、インチキくさい人、そういう指導は刺さらなかったんだと思います。
ピンと来ないことは流していたので、人間関係は腹も立ちませんでした。
もともと好きなことには熱心だけど、興味のないことは見向きもしない、投げやりもいいとこって性格でしたからね(笑)

むしろアンチになってからそんなんじゃダメなんだと思って、一ついいと思ったら懸命に擁護して好きなものは徹底して「いいようにいいように」やったんですよ。
それが私に足りなかったんだと。
アンチは全肯定、アンチは最高!!アンチの人に悪い人はいない、皆大好き!!みたいに(笑)
そしたら後からシンドくなってしまって、あーやっぱり何でも「いいところも悪いところもある」それを冷静に見なくてはと思いました。

チョイ活が感じわるく聞こえたら、全肯定ではなくて「ここはいけどここはダメと見ている人」という見方はできないかなあ?と思います。

白黒からグレーに。
物事を二極には考えないように、ここ数年やってみたらいろんな意味でラクになりましたね。
それは優柔不断とは違って、意思表示ははっきりすればいんですよ。

あと「こんなこと言われたらSが悪い」じゃなくて、同じことを言われても大丈夫な人がいるってことは「自分次第」ってことですよね。
人より自分にもっとスポットを当てればもっと合理的になるというか。
人は変えられないけど自分だったら何とかなる。
時間と労力とストレスが大幅にカットされる。
無駄が嫌いな私には、これはいいなあと思いましたけどね。
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Unknown (早霧)
2020-03-06 08:05:15
あー、この書き方だっそういう風に読めますね(笑)
少し活動家さんは私ではないです。
出勤前なので取り急ぎそれだけ。
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Unknown ()
2020-03-06 08:18:08
了解しました。
すみませんした!!
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Unknown ()
2020-03-06 13:08:44
折伏したおばちゃんの名誉のために言っておきますが、いいことも言ってたんですよ。
「愚痴はいけない」
私はこれだけは納得しました。
言っても解決するわけじゃないなあと、それも子ども心になんとなく。
そこはチョイスしました。
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Unknown (早霧)
2020-03-07 01:09:42
改めてコメントさせていただきます。
>バリ活VSユル活の間には昔から書いてますが深い川が流れています。

これなんですが、私はそんな風には思わないんですよね。
そもそも、バリ活なるものの定義って何なんでしょう。
役職ですか?活動に費やした時間ですか?折伏の数ですか?財務の多寡ですか?
役職なら地区幹部か支部幹部か本部幹部か、どこからがバリ活でどこからがユル活なのか。また正役職はバリ活で副役職はユル活でしょうか。
活動時間は週何日、何時間以上を何年以上がバリ活なのか。
折伏は何世帯以上、財務は何桁からがバリ活でしょうか。
こんなものは言った者勝ちの世界で、誰にも決めようがない話です。

前に奥さんが信心反対の地区リーダーさんがいた事を書きましたが、彼はユル活だったか?断じて違います。
家庭も大事にしながら、できる限り自分の部員さんの幸せのために動いていた、立派な活動家です。
会員時代、「功徳とはどんなに困難な事があっても悠々と乗り越えて行ける強靭な生命力だったり、それに打ち勝つ強さ」と捉えて真剣に祈り、折伏に励んでおられた海さんはユル活だったか?私は違うと思いますよ。
私に言わせれば、どんな役職であろうとどれだけの時間を費やそうと、押し付られたと感じて嫌々やっていたり、部員さんをやれ非活だユル活だと下に見たり、Sで行われている指導を曲解して捉えてきた方々こそ「バリ活」などと名乗る資格のない人です。
共通の知り合いなので挙げますが、鯛焼きさんは立派なバリ活です。でもそれは、鯛焼きさんが支部長だからではありません。彼の姿勢や振る舞いが、Sの指導を体現したものだからこそそう言えるのだと私は思います。鯛焼きさんが裏では私の事をユル活のクセにとか、いのはさっさと活動しろよとか考えているとお思いになりますか?

Sを批判する方々がバリ活だユル活だと言うのは、絶対悪であるべきSに良い所があるなんてけしからん事を言う私のような人を黙らせたいだけだと思います。ちなみに私は自分の事を「バリ活」だったと思っていますが(笑)
だからあんまり気にしない方が良いと思いますよ。

※不都合であれば承認はお任せします。
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Unknown ()
2020-03-07 08:28:03
>絶対悪であるべきSに良い所があるなんてけしからん事を言う私のような人を黙らせたい

これありますね。
でもそう書かれても遠慮しないで黙らない、私のような奴もいるわけで(笑)
それぞれの考え方なので、いろんな考えがあっていいと思うんですよ。
私はこっちを選ぶということですね。

何度も書いていますが「全く同じもの」を絶対的に全肯定して微塵の批判も許さなかったのに、嫌になったら、今度はいいところなんて一つもない一理もないと肯定を微塵も許さない。
これはそう思う気持ちはすごくわかるんですが、私は今はそんなふうには思わないし、思いたくない。
一理もよさがなかったら、なんで大勢が何年も夢中になったの?
今全面否定している人には、じゃあ微塵も欠点がない完全無欠な人間で、非の打ちどころのない理論を言ってるの?と思います。
そんな二極じゃないですよね。
そうなると失うものがあると思うんですよ。

それから話はちょっと変わるけど、宗教を信じる人に数学みたいな「1+1は2みたいに目に見えるようなデータを出せよ」というような幼稚な理論をいうのも的外れ。
信じるってそういうことじゃないんですよ。
何でも一列の理屈に並べるもんじゃない。
一つの理屈に全部をはめ込もうとするのは違うと思いますね。
そういう人は、例えばそれを大切に思っている人の前で平気で「本尊なんかこうしてやったぜ」とくだらない武勇伝を言う。
その人の中では「大事なものか不要になったから捨てるか白黒しかない。あとは切り捨てで知ったことではない」のかもしれない。
でもそんな話をわざわざすることに感じる、白でも黒でもない「全然別のライン」というものがあると思う。

バリ活とユル活は確かにいろんな見方はありますね。
私はそれは「適材適所」だったという言葉がしっくりくるかな。

役職の量にばらつきがって不公平ということなら話は簡単で、そんなものはいくらでも改革できますよ。
やろうと思えば単純に、新聞配達、集金、拠点提供、しゃべる人、報告や集計、会合出席、書類作り、送迎、選挙関連担当、その他を徹底して振り分けるシステムにするとか。
こういうところが「リーダー」とか「信心」という曖昧な言葉でごまかしてどんぶりですね、Sって。
私から見たらこここそ白黒かっちりつける部分でグレーにしたらいけないところ。

白黒つけるべき部分と、白黒つけられない部分をはっきり明確に整理整頓する。
アンチの批判もごちゃまぜで曖昧じゃなくて整理整頓したいですね、性分なので(笑)
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Unknown (早霧)
2020-03-07 10:51:18
海さんは私がはじめてブログを読ませてもらった時の印象とやはり同じですね。何者も恃まず、自分が信じる道へ自分の足で歩みを進めておられる。

>役職の量にばらつきがって不公平ということなら話は簡単で、そんなものはいくらでも改革できますよ。
>こういうところが「リーダー」とか「信心」という曖昧な言葉でごまかしてどんぶりですね、Sって。

これは私の個人的感想ですが、これまではまさにそのグレーさこそがSの人材育成法、訓練法の1つであったのだと思います。いわゆる「苦労は買ってでもせよ」を仏道修行として実践させるという事です。
実際、私の周りにもいろんな幹部や先輩がいましたが、魅力的で尊敬できる方というのは単に口がうまいとかしゃべりが達者とかではなく、総じて他人のために苦労を惜しまない人ばかりでした。そして皆さん暖かく熱い心を持つ人でした。
それは、きっとこのやり方で培われてきたものなのだと思っています。

一方で、会員や活動家の数が減るにつれて現実的に負担は増えていくのも事実です。それは私が非活に転じた原因の全てではなくとも1つではあるので、手放しに今までのやり方が素晴らしいと礼讃するつもりもありません。
ごまかしてどんぶりという見方も、会員から搾取しているという見方もできるでしょうが、私は単なる金や労働の問題だけでこういうやり方を取っているのではないと考えていますし、不公平を無くす事によりメリットと同時にデメリットも生まれると思います。
それらを踏まえて、また今の世相や次の世代を鑑みて、人材確保と育成のバランスを取る改革をしていく予定があるかどうかですね。

改革というフィルターを通せば、アンチの方にも2種類の方がおられる事がわかります。Sに良くなってもらいたいアンチと、Sをぶっ潰したいアンチです。
前者の方となら十分対話が成り立ちますが、後者の方との対話はかなり難しいと思いますね。「Sは潰すべき存在、だから良い所なんかあってはいけない」という考えのもとに実像が歪められるので、なかなか議論が噛み合わないのだと思っています。

あとは人間性っていうかもう品性ですよね。他人が眉をひそめるような事を嬉々としてするのは見ていて単純に不愉快ですし、いくら恨みつらみがあろうと、そんなものに忖度する必要もないと思っています。
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