兄の認知症が進行しているのかそうでないのか、わかりません、が去年は一緒に温泉へ行かなかったのが今回は近くの町営の温泉へ、甥と一緒に出かけました。翌日の昨日は一家あげて上田城公園へ、そういう時の兄の後ろ姿には以前の頼もしい兄貴に戻ったようにさえ見えました。
人生での付き合いで言えば兄弟が一番長いことになるでしょう。一緒に暮らした期間という意味でなく、家族という成長の場を共にし時代を共有してきたという意味です。それでも各々が独自の「家族」であったことを知らされたのが「弟」の存在でした。
飲み喋りしている最中に義姉が仏壇から小さな板の束を持ってきました。亡くなった者の名前と命日が記されたものです。そいうものがあるということは知っていましたが、私は一枚一枚見たことがなかったのです。姉が見せてくれたのは昭和十八年某月某日の日付とO歳と印された名前です、男の子の名前。私たち三人兄弟の上に姉がいたが数ヶ月かで亡くなっているということは知っていましたし、兄が作った家系図にも載っています。
私の下にもう一人弟がいた、〇歳と言うのだから生まれて間も無く亡くなったということ? 当時の年齢では生まれたら1歳でしょう、それを〇としたのは? など父母がいたら聞けたものをと思います。それにしても兄も弟もその弟のことは知っていたのです。兄が12歳の頃のことですから当然でしょう、私より3つ下の弟が知っているのは? と言うと聞いていたと言うのです。なぜ俺が知らないのだ!と言うと「兄貴はそれだけ家族との会話がなかったんだ」と言われてしまいました。
確かに家にいても本ばかり読んでいた記憶がありますし、今でも無口だったという話しか出てきませんから、私だけが知らなかったのでしょう。それにしてもこうして兄弟や兄嫁と話し込んでいると自分が見えてきます。そういう過ぎた自分のうえに今日の自分がいるわけで、自分への愛おしさが湧いてきます。兄宅への訪問懇談は自分への「温故知新」でもあります。