kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

ガンを我が身に引きつけてみる。

2019-01-28 17:35:29 | 「がん」を読む

この本、

第4章の冒頭に、

高齢になると、がんの罹患率が高まります。がんの死亡率も男女ともおおよそ60歳代から増加し、高齢になるほど高くなります。なぜ年をとるとがんになるリスクが高まるのでしょうか。単純な問いかけではありますが、これに答えることは簡単ではありません。そこで、本章では「老化とがん」の研究の歴史を振り返りながら、老化が進むと、なぜがんのリスクが高まるのか、そしてそれを防ぐには何ができるのか、最新の科学的知見に基づいて説明していきます〟

と書かれています。

娘と生活を共にしていくなかで、父親として娘との50年史を振り返る得難い時間を共有できたことは記しておきたいことです。それとガンという病に対する向き合い方です。

本人が標準治療を拒否したことで、現在のがん治療を巡っての問題をわずかではあってものぞけたとの思いがあります。かなり以前の丸山ワクチンをめぐる問題が記憶にあって、ネット情報で現在もスッキリした形で対応されていないことを知りました。

娘が信頼し服用をはじめた薬も、50年という時間を背景にしながら未だに薬として認められていないという実情も身を以て受け止めています。

戸惑いの日々のなかで、目に入ったのが、

「しんぶん赤旗」の昨日の「本と話題」でした。

三冊が紹介されていて、その一冊が『「がん」はなぜできるのか』です。その第4章が「我ら高齢者」のことで、本全体が娘のガンを理解するためにも我が身のガン対策のためにも必読、と受け止めました。

第4章を先回りして読んでみて、「老化とがん」の関係の理解がガンそのものの理解に深く繋がっている、との感想です。


向井明美さん、「梅の精」?

2019-01-17 22:42:50 | 「てんがらもんラジオ」

今日の「てんがらもんラジオ」の向井さんの話の部分ですが、途中からです。それも12分間と32分間に分かれてしまいました。月曜の再放送であらためてアップしたいと思います。

https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=292008744837284&id=100020844812524

   バスガイドの向井さんが未だ見ぬ名所を語るとき、まず耳に飛び込んでくるのが「なんと!」と言う感嘆詞の多さ、自分も未だ行っていない観ていない場所への感嘆詞です。確かにネット時代ですからアレコレの映像を見ての話ですが、お屋敷の百畳敷の部屋に広がる二百鉢の梅の盆栽、三万本の白梅が丘を埋める八女市の谷川梅林も耳からだけで想像できます。

   ガイドで培った言葉の力が映像を伴って来るのでしょう。すると各梅の名所の梅の精霊が向井さんの口を借りて、聴く人を誘いに現れるのではないかと、風邪気味が抜けないの私の頭には思えてくるのです。向井明美さんが「梅の精」だとすると白梅か紅梅か、言うまでもなく紅梅でしょう。高浜虚子の句に、

   紅梅の紅の通へる幹ならん

がありますが、実際に紅梅は幹が赤く枝を切れば切り口も赤い、向井さんの感嘆詞の多さは、紅梅の精のなせる技でしょう。梅の精が現れたならば次は松の精の一句、

   梅の精は美人にて松の精は翁也

夏目漱石の句ですが、先程の梅の盆栽二百鉢の座敷には五葉松の盆栽がそれも樹齢80年から230年という、句に詠まれている翁そのものの姿で250鉢置かれているのだそうです。

   しばし座敷のなかにただずみ耳を傾ければ、梅の精松の精の語り合うのが聴こえてくるかもしれません。こう書くと向井さんの語った「恋の神社」に触れないわけにはいきません。耳で聴くと「鯉の神社」とも聞けるのですがまぎれもない「恋の命・コイノミコト」を祀ってある神社です。

   ここは若いカップルで賑わうそうですが、それはそれとしてシニアも向かうべきでしょう。いやシニアこそ足を向けるべきと密かに思うのですが、如何でしょうか。全国のシニアが銀婚金婚ダイヤモンド婚には、手を携えてこちらへ、恋の命に感謝せねば済まないでしょう。

福岡県筑後市水田62番地の1⛩恋木神社

   終わりに、昨年上田での中学校の同級会で、ガソリンスタンド経営の友人が「真田丸」の後、目に見えて車が減ったとのこと。「西郷どん」後の鹿児島に限らず観光地のありよう、筑後七国の取り組みも話されていましたが、「てんがらもんラジオ」発の新コースが生まれてもいいのではないでしょうか。


80歳代の健康……我が身の心臓。

2019-01-16 21:17:22 | 健康・からだ

   娘の闘病生活を受け止めていく上で、80歳代の親ともなれば我が身の健康が心身ともに「良」であって欲しいものです。この間娘と話をしてると自分の病状を父親に言うことを遠慮していたのは「お父さんは心臓が悪い」からだった、たしかにガンの話は心臓に良い話ではないでしょう。

   一昨々年の11月頃のこの「つぶやき」を見てみると、横須賀共済病院での心臓の検査入院に関することを書いています。記録というものは大事なことだと思い、カテゴリーとしての「健康・からだ」にこの2年間「つぶやき」が無いのは健康に問題無しだったのかと思い返しています。2017年の10月から11月にかけて風邪でグズグズした日が続いたが、別のカテゴリーにしていました。

   毎日薬を飲むようになったのが、心臓の検査入院の結果なのですから、それだけでも「健康・からだ」として独自に記録してくるべきだった、と反省してます。

   一昨年の検査入院の結果は、緊急に対応しなければならない問題はありませんが、動脈の血管を守るためにと毎日の薬の服用と、2年後に再検査ということでした。その再検査を昨年受け、その場でカテーテルの必要を検討するので年明けにもう一度、となり10日の心電図の結果カテーテルの必要無しとのことでした。

   昨日、心臓検査の結果を共済病院の担当医からの報告書にもとづき診療所の医師からも、前回とは違い「2年後に再検査」などとのこともなく、薬服用の日常を前提に「異常無し」ですね、との話でした。一方娘を支える主力・我が妻にいささか不安が……、これは診療所段階で対応できるようですので、私の風邪にあわせて医師に相談していくとのことでした。

  「8050問題」その様相は千差万別ですが、ある家族家庭の部分的な問題の水準ではない社会的問題であり、ケースケースにより対応も社会的な対応を必要とする課題だと思います。そのためには当事者が社会へ発信していくことでしょう。

   昨日「てんがらもんラジオ」の向井さんの話から受けた「友よ、手を繋ごう!」のためにも「友よ、声をあげよう!」。


「しんしんと肺碧きまで……」

2019-01-15 14:06:44 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもんラジオ」を久し振りに聴きました、と言っても10日の再放送でしたが、この放送は今年新しい年号を迎えるに相応しいゲストの話でした、感想はあらためて……と思います。

タイトルにした「しんしんと肺碧きまで……」とは、

篠原鳳作の俳句、実はこの句が頭に浮かんだのは「てんがらもんラジオ」の昨年と言っても2週間余前のゲスト児島淳子さんの話の感想をつぶやこうと思った時でした。

児島さんは話の切り出しに「しんみりした話を……」と言われたのですが、保健師さんの話が「しんみり」するとなると「死」に直接繋がる話だろうと思ったのです、やはりガンという病に関することでした。番組中のガンに関する話と向井明美さんの高次脳機能障害を含む前半部分の録音です。https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=286530412051784&id=100020844812524

放送は12月27日でしたが、その前日私ども夫婦で娘とともにガンの治療の相談で千葉県のある病院に行っていました。

翌日の28日は娘の50歳の誕生日であり、この「つぶやき」が先月12日で〝我が身の「8050問題」〟などとナゾめいた言い方をしましたが、80代の親が50代の娘をガン患者として抱えてしまったという内容でした。当時娘が突然沖縄から一人で私どもの家に身を移して来ることになりました。ガンの治療をすすめたい、と言うのです。いや、ガンとははっきりとは言葉にせず気持ちと身体を癒し休みたい、とのことでした。

自分が信ずる治療法が夫の理解を得られず、その軋轢(あつれき)から逃れたいの思いでとった対処でした。娘が信ずる治療法とはいわゆる標準治療を拒否し、代替治療と言われるものです。

ガンという病が尋常でない病気であるとは思ってはいましたが、娘の命の問題として突きつけられ、標準治療ではない治療法にすでに身を置いている娘とこの治療問題をどう共有したらいいのか、手探りの治療でもどういう方向ではじめるべきなのか、自分のなかで方向を定めたい、いっ時でも早くという戸惑いと焦りのなかでの日々。

妻は私よりもかなり早くから娘やその夫と電話メールでやり取りをしていて状況を深くつかんでいたようで、娘がこちらへ来る前にある病院へ行ってみようと言うのでした。私もその病院の関係者が著した本を読み、ここなら娘と信頼を共有できるだろうと行ってみて、その感を深くできました。

それが先に記した病院で、そこで本を著した高橋医師の診察を受け、薬の処方も受け次の日程も決めました。診察を受けている最中娘のうなずく顔や途中で私に握手を求めて来たりして、これは十分な手応えだと安堵(あんど)したものでした。

ところがその安堵が私の風邪の引き金になり、一気にこじれた風邪に襲われて、咳と鼻水に発汗発熱で寝込み、娘の寝ている一階には咳が出なくなるまでは降りないと決めて閉じこもりの寝正月でした。 

その寝床で一冊の本『海の旅ーー篠原鳳作遠景』を読み、なぜ児島さんの話について感想を書こうとして「しんしんと肺碧きまで海の旅」が浮かんできたのか分かってきました。「しんみりした話」が「しんしん」を想起させたこと、この海が沖縄宮古島と鹿児島を結ぶものであり、娘の肺にカゲがあると聞いていたことが意識の奥にあったからでしょう。

もう一つ、この番組での向井さんの話に関連してですが、向井さんはバスガイドとしての話ではなく高次脳機能障害という病の娘さんを持つ母親としての話でした。この話への感想はバスガイドならぬ人生のガイド、いや同じような境遇のなかで悩む人々との同伴者であろうとする姿、「友よ、手を繋ごう!」と呼び掛けつつ手を差し出す姿として映ったのです。