「てんがらもんラジオ」を久し振りに聴きました、と言っても10日の再放送でしたが、この放送は今年新しい年号を迎えるに相応しいゲストの話でした、感想はあらためて……と思います。
タイトルにした「しんしんと肺碧きまで……」とは、
篠原鳳作の俳句、実はこの句が頭に浮かんだのは「てんがらもんラジオ」の昨年と言っても2週間余前のゲスト児島淳子さんの話の感想をつぶやこうと思った時でした。
児島さんは話の切り出しに「しんみりした話を……」と言われたのですが、保健師さんの話が「しんみり」するとなると「死」に直接繋がる話だろうと思ったのです、やはりガンという病に関することでした。番組中のガンに関する話と向井明美さんの高次脳機能障害を含む前半部分の録音です。https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=286530412051784&id=100020844812524
放送は12月27日でしたが、その前日私ども夫婦で娘とともにガンの治療の相談で千葉県のある病院に行っていました。
翌日の28日は娘の50歳の誕生日であり、この「つぶやき」が先月12日で〝我が身の「8050問題」〟などとナゾめいた言い方をしましたが、80代の親が50代の娘をガン患者として抱えてしまったという内容でした。当時娘が突然沖縄から一人で私どもの家に身を移して来ることになりました。ガンの治療をすすめたい、と言うのです。いや、ガンとははっきりとは言葉にせず気持ちと身体を癒し休みたい、とのことでした。
自分が信ずる治療法が夫の理解を得られず、その軋轢(あつれき)から逃れたいの思いでとった対処でした。娘が信ずる治療法とはいわゆる標準治療を拒否し、代替治療と言われるものです。
ガンという病が尋常でない病気であるとは思ってはいましたが、娘の命の問題として突きつけられ、標準治療ではない治療法にすでに身を置いている娘とこの治療問題をどう共有したらいいのか、手探りの治療でもどういう方向ではじめるべきなのか、自分のなかで方向を定めたい、いっ時でも早くという戸惑いと焦りのなかでの日々。
妻は私よりもかなり早くから娘やその夫と電話メールでやり取りをしていて状況を深くつかんでいたようで、娘がこちらへ来る前にある病院へ行ってみようと言うのでした。私もその病院の関係者が著した本を読み、ここなら娘と信頼を共有できるだろうと行ってみて、その感を深くできました。
それが先に記した病院で、そこで本を著した高橋医師の診察を受け、薬の処方も受け次の日程も決めました。診察を受けている最中娘のうなずく顔や途中で私に握手を求めて来たりして、これは十分な手応えだと安堵(あんど)したものでした。
ところがその安堵が私の風邪の引き金になり、一気にこじれた風邪に襲われて、咳と鼻水に発汗発熱で寝込み、娘の寝ている一階には咳が出なくなるまでは降りないと決めて閉じこもりの寝正月でした。
その寝床で一冊の本『海の旅ーー篠原鳳作遠景』を読み、なぜ児島さんの話について感想を書こうとして「しんしんと肺碧きまで海の旅」が浮かんできたのか分かってきました。「しんみりした話」が「しんしん」を想起させたこと、この海が沖縄宮古島と鹿児島を結ぶものであり、娘の肺にカゲがあると聞いていたことが意識の奥にあったからでしょう。
もう一つ、この番組での向井さんの話に関連してですが、向井さんはバスガイドとしての話ではなく高次脳機能障害という病の娘さんを持つ母親としての話でした。この話への感想はバスガイドならぬ人生のガイド、いや同じような境遇のなかで悩む人々との同伴者であろうとする姿、「友よ、手を繋ごう!」と呼び掛けつつ手を差し出す姿として映ったのです。