kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

時代を詠む、ということ

2016-12-31 17:38:27 | kaeruの五七五

今年最後の日に届いたのがこれです。

表彰状などには縁がなかったのですが、これは嬉しいものです。

俳句による表彰であり「不屈」という機関紙からの表彰ですから。

「不屈」は治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の機関紙です。

どんな句が表彰されたのか写真の右側に見えますが、

   いわし雲市民野党の総集会

と詠んだのです。

   選者の望月たけしさんの〈評〉

   日本の新しい時代が始まった。市民と野党の共闘があらゆるたたかいを成長させている。「いわし雲」は鰯が群がるように見えるのでそう呼ばれている巻積雲。季語としてぴったり決った。

   実は治安維持法犠牲者ということで、新年になったら取り組もうと思っていたことがあります。新年の4月1日は俳人西東三鬼が葉山町で亡くなって55年になります。

  三鬼の生涯と俳句を考えるとき、治安維持法を抜かすことはできません。治安維持法違反の嫌疑で逮捕拘引されたのです。三鬼が言うように「私の俳句を憎んだ人々」の存在が露わにされました。どんな時代にどんな俳句が憎しみの対象になったのか、その人々は俳句という文芸の何を恐れたのかなどなど節目の年に勉強してみようと思うのです。

  そんな時の表彰状ですから、その課題に取り組むことの催促状とも受けとめました。


  さて、これから何時ものおじさん宅で年越そば、そのあとは神社での初詣を迎える準備です。

良い新年をお迎え下さい!


自分の歯、自分の頭。

2016-12-30 22:50:52 | kaeruの『資本論』

   入れ歯の前二枚が欠けたので歯医者に行ったのはかなり前でしたが、入れ歯を作ったのが五年前、かなり口に合わなくなってきたと思っていたので作り直すことにしました。

   正月までには新しい歯で、と急いでもらったせいかできたものが口に合いません。年明けに調整することになってそれまでは上の入れ歯が新しい歯、下が今までのものという新旧の取り合わせで正月料理を食べることになりました。

   この五年間に自分の歯が4本無くなって、現在は3本そのうちの一本は危険状態ですから80歳で20本からみると相当危機状況だと思いますが、何より食べるものが旨くないのが困るのです。残った歯で噛む煎餅と入れ歯でかじるそれの違いに、いかに自分の歯が自分らしさの基本になっていたかを痛感しています。

   これは歯のことだけでない、というより歯以上に自分のらしさの基本になっている考え方、これが私の考え方だと味合える脳内にする自覚した努力が必要です。今夜のカテゴリーは「kaeruの『資本論』」、先日今年最後の資本論の講読会でしたが今回もまったく目を通さず参加して担当者の報告を聞くだけでした。

  前回の講読会の該当部分は一読してノートにするつもりのままになっています。先ほどノートを取り始めましたら文中に第1部で解明されていることが注記されていました。その部分に目を通したのですが、学んだおぼえがないのです。第9章でかなり短い章です、第8章「労働日」は報告担当で力をいれたのでその後を流してしまったのでしょう。論理の組み立てからなっている資本論ですから、気をゆるめるとこういうことになるのです。

  とはいえこれだけの大書です、進んだり戻ったりして脳内に蓄積されていくのでしょう、急がず緩めず自分の頭で考えるということに徹しましょう。


「てんがらもん」249回 川柳と表現欲

2016-12-29 18:12:16 | 「てんがらもんラジオ」

 今日の「てんがらもんラジオ」を紹介するChidoriさんのブログの写真の一枚です。

そのブログは、chidori-20161229  で、

番組は http://www.ustream.tv/recorded/98431973  で。

この写真にChidoriさんがつけている紹介文とは違いますが私の紹介文。

鹿児島県の川柳界をリードする3人、男性が鹿児島県川柳協会・麻井文博会長、後ろの女性は同副会長・馬場ナオミさん、そして手前はおなじみの紅雀さん、ここでは鹿児島県川柳協会前会長石神紅雀さんと記すべきでしょう。

「てんがらもんラジオ」とのつながりで今年を振り返った時、生まれてはじめて川柳を詠んだ、それにはまっている、そんな思いでいるであろう人があの人この人と浮かんできます、私もその1人ですが。

いったい川柳の魅力は何か、何が私達をとらえているのか、そんな思いへの答が今日の番組で見られました。それは石神さんが川柳の話ではなくキンカンのことを話していた時の手の動きです。

口はもちろんかなり活発に、それ以上に手が動くのです。自分の思いを表現したくてしたくてたまらない、私は耳が悪いのでアイパッドのスピーカーに耳をつけて聞いていたのですが手振りに気をとられて離れてしまい内容は分かりません。

ただこの自分を表現したい、その気持ちはいたく伝わってきました。それが川柳で出来るという喜びが鹿児島県川柳協会前会長を、現会長と副会長をとらえ伝播して私達が伝染した、ということでしょう。その伝播力を考えると川柳会ではなく川柳界と言いたくなるのです。

川柳についてこんな文章がありました。

川柳は約250年、庶民の共感や連帯感を生みだしてきた文芸です。「そうそう、そうなんだよ」と共感しつつ川柳を読む楽しみは、江戸時代も今も変わりません。

この文章の「読む楽しみは」を「読み詠む楽しみは」にしたいと思うのです。


映画「ゆずの葉ゆれて」、ダブル受賞。

2016-12-28 21:29:00 | 鹿児島・薩摩

まずはこの映画、見落としているのが今年の悔やまれるひとつです。今回ロシア・ソチ国際映画祭での「主演女優賞」と「ロシア連邦映画監督協会会長賞」のダブル受賞で再上映されたら是非、と思っています。

以下、またまたフェイスブックからの情報ですが一覧しておきます。


亡くなった兄のFBを見つけました

2016-12-27 20:19:49 | どこまで続くかこのブログ

少しFBがらみの話が続きますが、夏に兄を亡くした年の暮に相応しい話としつぶやいておきます。

今日、FBで弟の名前・小池荘市を見つけようとしていたら、

兄の写真に出会いました。小池啓之、この夏に85歳で亡くなったのですからこの写真はかなり若い頃のものです。

「友達」の女性は従姉妹の娘さんで、確かパソコン関係の専門家でした。兄は私よりかなり早くからパソコンなどを駆使していたようです。

「基本データ」に、

とありますので、FB開設の目的は子供の頃の繋がりを求めてのことでした。開設したのは

 亡くなる三年ほど前、丁度医者から認知症の初期と言われた頃と思われます。「無職で働き始めました」など文意のあやふやな所はその表れかも知れません。

この頃、私なり弟が兄とFBで交流し刺激しあっていたら脳の退化を少しは遅らせられたのかと思うのです。

「友達になる」をポチしてみよう、と思ったのですがためらってしまいました。少し経ってそれでもやはりポチしよう、このページに戻ろうとしたのですが出てきません。正に隠れてしまったという感じです。

もしボチして、リクエスト承認の連絡があったら!


葉山点描

2016-12-26 22:45:53 | 葉山そして人

   仕事先へ急ぐ朝の早い道の脇の小川、と言ってもこんな風なのですが鴨が、ごじょごじょ泳いでいました。どの鴨もネギを背負ってはいません、彼らをとって食おうという野蛮人はこの辺にはいないのでしょう。


  ここは仕事先、昨年の今頃「富士山の見える筈の庭」と言って紹介した庭からの光景です。

   腕は悪くてもカメラがよければ少しははっきり見えると思いますが、雲と雲の間に薄く見える筈なのです、そう思って見ていただくそれらしいのが富士山です。

 

   こちらの富士山は葉山町在住の洋画家 金崎秀利さんの作品です、

   この人がフェイスブックの友達の葉山町町議の金崎ひささんのご主人とははじめて知りました。

 

 

アーチストの話と言えばこのアート展も注目です。


   葉山町の魅力の多彩さ、少しでも触れていこうと思います。


フェイスブックでこんにちは!

2016-12-24 22:45:11 | どこまで続くかこのブログ

   このブログでも「フェイスブック漬け」などとつぶやいたのですが、その後も漬かり続けていました。ところが「天野清司」とか「Seiji Amano」と「Seizi Amano」があってどれも以前つくった記憶があるものです。

   下の「天野 清司」なるフェイスブックも「Seiji Amano」が登録名で日本語表示ではこうなります、という説明がありました。

さて「友達」の辻誠一さんは鈴音さんの息子さん、友達になって頂きました。いつかお会いできればと願っています。

飯田さんはNHKの放送記者で神奈川の選挙情勢を教えてもらいたいと思っています。鎮西さんは市民運動から新しい政党を立ち上げたいと頑張っています。Choiさん、韓国情勢に大変詳しい情報を届けてくれます。

以上の方々はフェイスブックでの交流が始まったばかり方々です。

関根さんは私と同じ職場で活動を共にし、その後小金井市の議員をつとめ来春の市議選で若い人と交代するとのことです。

現在友達39人と表示されています。その内知人は24人(同一人が他に2人)、他は未知の人でした。何れにしてもこの方々の刻々の情報は社会の鼓動として伝わってきます。

これにツイッターがあります、こちらが「つぶやき」の本流なのですから手も口も出さねばならないのですが、届いた「つぶやき」だけに耳を向けている状況でこの活用はこれからの課題でしょう。


「てんがらもん」それきた みたろう 本編

2016-12-23 22:12:00 | 「てんがらもんラジオ」

    前回ゲストで出られたのは昨年の4月でした。その時の感想をこのブログで「キーワードは夢」とタイトルにしたのでした。それは、よしきた やったろうという芸名を40歳代で考えていたこと、いつかこの芸名で人の前に立ち人を喜ばせたいと思っていた、そんな夢があったことと繋がっていました。  

   今回視聴している最中にタイトルが「それきた みてやろう」と頭に浮かんでだのですがやや訂正して当タイトルの「それきた みたろう」に。

  なぜそんな風に反応したのだろうか、考えているのです。 

   やはりよしきたさんの元気に反応したのでしょう。「気を送る」とか言います、あれです、元気の気が送られてきたのです。やったろうさんが元気な高齢者に共通しているのは明るさだと言われました、明るさの源は光の発進源です。 よしきたさんの発光源は40歳代に描いた夢にあるのではないでしょうか、夢を名前に凝縮させ持ち続けてきた、そう言えるでしょう。

   夢を光源として発光し続けるためにはエネルギーを自分のなかに蓄え続けなければなりません。人に内容のあることを話そうと思えば、内容づくりに責任を持とうとします。その為、よしきたさんは図書館通いをされています。そんな姿勢は今回も見られました。上床さんがインフルエンザ予防の話をしている時、紙に筆記しはじめました。

  発信し続けること、そうなれば受信せざるを得ません。呼吸の原理と同じで吐くから吸うのです、吐く力は吸う力です。そして聞こえてくるのはkaeruよ、お前の40歳代の夢はなんだったか、との問いかけです。その夢はお前の吐く息のなかにあるのか、と。

「ある」と、それは鹿児島の旅で受けたエネルギーにも繋がるものだと答えられるのは喜びでもあります。