鳥がいたので写し終わったら、栗鼠が枝をかけていて、写そうとしたら屋根に移ってしまいました。
季節の移りは早い!この紫木蓮は今日の午後、
こちらは昨日のブログで紹介した、昨日の午前9時頃、
明らかに蕾から半開きへが分かると思いますが、写真より現物を目にすると、咲こうとする勢いが直に伝わってきました。
明日は本開き寸前でしょう、とはいえ天気によります。
さて桜の方ですが、まず庭の古木は、
下から見上げたところ、満開寸前という感じです。近くの桜より少し遅めで老木だからでしょう、人間と同じで歳相応に動きが鈍い?
こちらは近くの花の木公園の桜、
そんなに本数が多くはないのですがお花見には、気安く来れるのでしょう二組の人々のお花見が宴たけなわという感じでした。
この公園の入口では、躑躅🌺がすでに、
つつじ🌺・躑躅は「葉山町の花」で「花の木公園」の花は躑躅を意味し、公園全体はつつじで覆われています。
桜が散れば躑躅の季節です、春から夏へ、夏の葉山です。
我が家の桜も満開、という感じですが、その紹介は明日にして今日は、
と
タイトル通り、我が家の玄関前の主役交代の時期です。水仙が長い期間玄関前に限らず、家の周りのアチコチを飾り「こんな所にも」と思わせられたことも度々。仏壇の花としてこの期間、花の少ない冬から多くの春の花に混じって,お線香の煙を受けてきてくれました。紫木蓮を仏壇に供えたことはないのですが蕾ひとつでしたら……とも思えます。
タイトルのもう一つの件、今日は横須賀共済病院へ。主な目的は前立腺のことで、何か医師から診察があるかと思っていましたが、頻尿症状況の様子見を続けて6月の来院に合わせて対応します、ということでした。明日はカテーテルの件でクリニックへ、明後日は眼科、次の日は歯科。もちろん目と歯は膀胱には関係していませんが、何れにしても病身ゆえの一週間のはじまりの月曜日でした。
季節の変化は周期的ですが,90歳代に向かう身心は傾斜傾向のなかに置かれるているのでしょう。その位置を自覚しながら舵をとって行くこと、周りの景色を観ながら、ある時には周りに働きかけながら……。
この裸の日本列島の我が三浦半島を見て、
まずは葉山町の位置だけは印付けておきたい、と
何故この列島図が重要かということとか、を考え出したのでので、とりあえず自分として考え記録する手始めに、足跡だけ残しておきます。
あわせて時々勉強も、
「葉山を離れて」などと意味ありげなタイトルを書き込んだ時、「葉山から何処そこへ行って、何をして、如何だったか」の報告のつもりでした。
それが異常事態などという言葉が入り込む事態になるなんて……、でも人生こういう事は決して少なくはないでしょう。気をつけましょう、と言っても起こり得ることが予想される場合は気をつけ方もあるでしょうが、それ以外は、その場その場の判断に頼りしかないでしょう。
さて、葉山を離れて向かったのは東京青山、そこにある国立新美術館、
これです。
私と音楽の縁の無さについては述べていますが、絵もダメ。
それなのに何故出掛けたのか、それも体調不調の身体で……、一応言い訳を述べておきます。
ここに弟が毎年出品しているからです、それを前提にこの招待を貰ったのは尿道カテーテルなど無縁の頃で、かなり時間的に余裕があった頃です。是非行こうと大事にしまったのです、その場所が分からなくなり、かなり探したのですが、不明。今年はやめようと弟に、妻から話してもらって一件落着となったのですが……、先日弟がまた送って来てくれました。
よほど自信作を出品したのか……、これは見に行かねばならないと。
この展示会は素人の「絵描🧑🎨さん」などが、出品しあっているので特に審査とか入選などの仕組みはありません。
かなりの規模の展示会です、印象に残った何枚かありますが、今回は弟の2枚だけ見てきた証として、
この場では「緊急事態」に繋がるような事はなかった、と思います、ので以上で〆……。
さて、 そうだ、妻と一緒に行っているのでした,補足します。帰り主導してくれたのが妻ですから。
東京港区青山は彼女が保母として働いていた地域です、青山以外にも赤坂の保育園などで、保母、主任保母、園長など勤めた地域ですから。懐かしさみあったのでしょう、その変わり振りに驚きも含めて……、葉山に戻る入口探しを兼ねながら。
これが「緊急事態」に繋がったと私は素人判断をしてます。
まったく慣れない尿道カテーテルなるものを股間にぶら下げながら、かなりの時間歩き続けていたわけで、本来ならば適時にトイレにより排出しておくべきことだったのです。
結果として、京急逗子葉山駅まで辿り着くことが出来ました、やっとトイレにと駆けつけると何人もが待っている状況、これはダメだ、改札を出て先の公衆トイレへ、すでにお漏らしの感じが……感じから現実に。
以上までのことでしたら我が身のみの「異常事態」ですんだのですが、本番は帰宅して、着替えてどっこいしょと座り直し体温を測って、39度こえて、え! もう一度測っても39°7。
40度近い体温は少なくとも2回は経験してます、その都度、身体全体を維持できなくなる状態でした。ところが今回は「そんなに高いの」という感じで買い物をして来た妻と、夜食は普通にとれたのです。
その夜の記憶はないのですが、翌朝一日の39℃こえ、午前も午後も38°こえ、夜7時半近くで40.7°になっていました。その日は一日高熱患者として床のなか、でも汗が出てこない、これは未だ未だ40°ラインが続くのだろうと思いつつ寝込んでいました。
そして、日付が変わったのは気付かず寝入っていたのですが、汗に起こされました。これは今でも手の感覚に残っていますが、上下合わせ6枚の寢衣(汗をかくからと妻が着せてくれたのかしれません、覚えていないのです、枚数は間違いありません)にほぼ同量に汗が染み込んでいるという感じでした。
あゝ、何度になったのか? と…なんと! 36.1℃ (0時20分)
39°の時は2回測ったのですが、今回は「これで治った」。その日朝の5時台 6時台 7時台 9時台、各々38.3 37.2 36.336.8 と推移し、基本的に平熱状況に戻りました。ただ体力的に回復が遅い、無理せず早めの回復を、です。
iPadの方が「バッテリー残量少」です、ここまで……。
緊急事態がそもそもの始まりなのですが、そこから始めると長くなりそうなので、とりあえずの現状報告として、LINEでの孫娘と婆ちゃんのやりとりを貼っておきます。この間LINEと電話で2回ほど孫娘から連絡があったのですが当方は「緊急事態」状況で、返信していませんでした。
なお、このLINE面は今日のものです。
「葉山を離れて」と「緊急事態」の関係などは明日にします、まだ疲れやすい体調です。
人生で初めて立って歩いた赤ちゃんとそれを目撃する母親
レンズを向けていたのは……、父親でしょう。
このチラシが送信されてきました。
多分今日のタイトル「葉山町とガザ」にはピンと来ない、という気持ちではないでしょうか。私は主催される「暮らしでつながるパレスチナ逗子葉山」の「暮らし」が「いいな」思ったのです。
Gooブログで言えば👍(パチパチ)を連打したでしょう。
葉山町とガザを地球上で見ると、
同じ画像に二つ以上の地名を表示出来るか? 出来ませんでしたので……。
まず地理的に、そして
「暮らし」の前提になる「時間」、二つの国となると時差です、7時間の時差、いま昼どきのガザです。
そういう日常生活の根底に国と地域の歴史がある、暮らしのなかに歴史を知り、その先を考える場にしたいと「4月27日」を受けとめています。
昨日朝の床の中で,歌がわいてきました、
♫ 糸引き車は お母さん コットン水車も まわってる
この部分しか記憶に出てこないのです。起き出して調べてみようと,思いつつ寝入ってしまいました。
そして昨日は、前日いただいたコメント(下の「縦糸と横糸」)の「中島みゆき 糸」に惹かれ、その歌をめぐってのブログになりました。
でも、コメントをお読みいただければ分かってもらえると思いますが、昨日の朝の私の「歌」は、糸車さんのお母さんの「和歌集」の一首のイメージだったのです。
縦糸と横糸
HN(ハンドルネーム)糸車
今は亡き、母から譲り受けた一冊の「和歌・色紙集」の中に
「五十年を 共にたぐりし 糸車 織りなす綾の 美しくあれ」
という歌が詠まれていました。
母は知り合いから頂戴したようでしたが、大切に手元に置いていました。
糸車は実家の蔵にありましたので見たことはあります。
中島みゆきさんの「糸」という歌をご存じでしょうか?という素敵な歌があります。
yu-tyubuで聞けますので♪
そして思い出しました、「もずが枯れ木で」の一節で、正しくは
「綿ひき車は お婆さん」でした。
これが全体の歌詞です、
ところが、この歌が歌われた当時、サトウハチロウの原詩は、
この違いについて、大変多くを学ばせてもらいましたのが、こちらのブログです。