Kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

被曝というものを目で見てほしい。

2012-09-30 15:39:40 | せいじの政治カフェ

 1999年の今日、9月30日は茨城県東海村の核燃料加工施設 「JCO東海

事業所」 で臨界事故が起きた日、写真はその時被曝したOさんの右手。

上は被曝8日目、下は26日目。

写真は http://mfsocket.blogspot.com/2011/03/blog-post_27.html によります。

http://bit.ly/hnBKJj は京都大学の小出裕章氏の講演、1時間46分ほどのものですが、

その48.00~53.00位に同じものが掲示され説明されています。

 放射線は見えず、匂わず、触れず、ですがそれによる被害はこういうものだ、ということを心

刻みながらこの問題を考えていきたいと思います。

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人生の冬季を暖かく。

2012-09-29 23:01:11 | どこまで続くかこのブログ

 吉田松陰の言葉に「十歳にして死は、その十歳の中に自らの四季がありま

す。~五十歳や百歳にも、その中に自らの四季があります」 とあります。

 kaeruの身でこの言葉を引用するのもおこがましいのですが、今日あった事

の感想として浮かんできたので引用いたします。

 

 今日、兄と弟の三人で60余年ぶりにある姉妹と食事を共にし、歓談してきま

た。 私は高校を卒業するとすぐに故郷を離れましたので、人とは没交渉で

いきなり60余年前と対面という形になり、老いた顔のなかに面影を探しました。

姉は80を四つほど越え妹は喜寿、挨拶のやりとりのなかに甦ってくるものがあり

その頃の歓談の感覚が体に広がってきました。


 姉にあたる人は、兄の職場の先輩で三つほど年上、付き合いは家族ぐるみの

交際となり、女兄弟のいない私にとって二人の姉という感じで行き来を楽しんで

ました。 まわりでは当然結婚、という兄たちは事情があって別れ、 兄嫁になる

べきだった人は東京に嫁いだと聞いたのはかなり後であったような気がします。

その後、兄も弟も姉妹との手紙等のやり取りはあったようで、没交渉の私とは違い

この間の状況も心得ていました。


 70歳代から80歳代と人生の冬の季節を、暖かく過ごすには何よりその季節を

通して生き甲斐ともいうべきものを持ち続けること。 合わせて過ぎた日々のなか

に蓄えられている 「薪」 を生活という居間の 「思い出という暖炉」 で燃やすこと

は過去のことでなく現在の日々の活力になって心身を暖かくしてくれるのです。

の事の大切さを実感した一日でした。

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おーい ハイク。

2012-09-28 22:43:26 | 詩的なつぶやき

 「おーいお茶」 は伊藤園のコマーシャル、「おーいハイク」 は今夜のタイト

ルです。 昼飯時のお茶のボトルに第22回 「伊藤園新俳句大賞 英語俳

句の部」 三句が載っていました。 

 その中に、kaeru=蛙の俳句がありました。

  the flog and I watching the same butterfly

    (蛙と私 同じ蝶を じっと見ている)

   アメリカの50歳の方、英語俳句の部 優秀賞の一つです。

 他の作品も含めて下記のHPで見られます。

http://www.itoen.co.jp/new-haiku/22/gaikokugo.php

 

  『俳句の国際性』(星野慎一著・博文新社・1995年)という本には 「なぜ

俳句は世界的に愛されるようになったか」 という副題がついています。 星

野さんの専門のドイツ文学での「俳句」ばかりではなく、英語、ロシア語な

どを通じて 「俳句=haiku」 が人びとの心をとらえている有り様が紹介さ

れています。

 この本に星野さんが昭和20年代半ばころのドイツの一人の婦人との文通

を通じて感じたことを述べています。この平凡な一主婦の手紙に 「敗戦後の

ドイツのみじめさは、とうてい日本の比ではありません。でも、音楽があるかぎ

りドイツは滅びない、となぐさめています。」

 星野さんの言葉 「戦争に敗れても、バッハも、ベートーヴェンも、シューベル

トも滅びない。~彼らの音楽は今後も演奏されるにちがいない。」 そして、

「日本には何があるというのか。」と問いかけています。

 

 この問いかけを受けてのkaeruの思いをお伝えするにはかなりの字数が

必要でのようです、なにより思いが 「あれを思いこれを感じ、そっちの考え

も考慮の範囲」 という調子でまとまっていません。 ただ 「俳句と3・11以

降」 が日本人の 「自然観の復興」 という点で通じているという感じでいます。

 

 今夜も、官邸前国会前を人びとが埋めています。

 「日本には何があるのか」 の問いかけは、3・11以降の日本社会のありよう

を、60余年前の設問を今の時点で再設定されたものと考えます。

 そういう視点も入れて “『即時原発ゼロ』の実現を ー 日本共産党の提言 ”

も読みとってみようと思います。

 

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疲れた時にはブログを書こう。

2012-09-27 22:47:14 | どこまで続くかこのブログ

 今朝5時5分前に揺り起こされてしまった。あと5分間眠れたのに、と文句

を言うとケイタイの目ざましが鳴ったとkaeru夫人がおっしゃる。そんなはずが

ないと言っても駄目、この5分間は玉露の最後の一滴の様に美味しい時間

なのに。

 昨夜寝たのは2時頃か、頭ボンヤリ体ぐずぐずをごまかしながら仕事、帰

りの江ノ電の終点・鎌倉で車掌に起こされ、お疲れ様と自分に言って、自宅

に戻って眠気覚ましにコーヒーをと見たら終わっていた。

 

 夜の会議にそなえて 「赤旗」 昨日の“「即時原発ゼロ」 の実現を 日本共

産党の提言” を拡げたが、目には入るが頭に入らない。 それでも健気にも

1ページ+3段ぐらいは目を通した。

 夜の会議は参った、眠りはしなかったが口がまともに開かない。欠伸とい

うものは眠気を覚ます努力の表れだそうだが、なるほどと思いつ欠伸。

 

 帰宅して最後の一滴の 「つぶやき」 をここに、そして 「お休みなさい」。

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『天地明察』 読後感。

2012-09-26 21:47:38 | せいじの政治カフェ

 渋川春海の 『天地明察』 は09年の作品ですから、東日本大震災、特に福

島原発事故による昨今の諸問題に直接かかわりをもつものではありません

が、私が魅かれる根底にはそれ=3・11以降の問題意識があります。

 

 すこし飛びますが、中学生の時、クラブ活動で天体観測に一時夢中になった

ものでした。3人しかいないクラブ活動、それも同級生のみでしたが、1台しか

ない望遠鏡で交代で月面を見飽きることなく眺めました。

 3人のうち一人は農業を継いだが行き詰まり、勤め人になりそのうち酒びたり

、結婚はしたがかなり早く亡くなりました。 もう一人は自分の代で90余年続い

た酒屋を閉じることになり、その苦境を店の二階で聞かされました。 しばらくし

て病から車いす生活になってしまったという便りをもらいました。

 戦後の復興期、高度経済成長期、少年から青年、成人へと今日のような社会

をつくり担ってきた世代です。

 

 そういう世代として、3・11を受けとめています。 

 日本政府が原発問題を経済問題・エネルギー問題の対象としてとらえている時、

ドイツ政府は倫理問題として、人の生き方にとって原発はいかなる価値を持つの

か、という問題の対象としています。こういう括り方は短絡的過ぎるかもしれません

が、視点は間違っていないと思います。

 春海が天の動きを見定め、天意を把握し人智をあつめ天意を象にすることに全

精力を注ぐ姿勢は、現在の社会にかかわる姿勢として学ぶべきものに満ちている

というのがこの小説を読んでの感想です。

 

 

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今日は八月十日なんです。

2012-09-25 22:36:42 | どこまで続くかこのブログ

 今日は八月十日なんです、といきなり言っても 「お前はバカか」 と言われる

くらいでしょう、 でもそうなんです。 

 

 来年のカレンダーが出揃い、本屋の一角をかなり広くとって並べられていま

す。 どれも2013年1月1日(火)からはじまるものです。 某カレンダーもそう

ですが、その日は11月20日なのです、解りました? そう旧暦のカレンダー

です、某カレンダーとは “『天地明察』日めくり” です。 詳しくは 

http://www.nkcalendar.co.jp/meisatsu/    で見られます。

 他のカレンダーにも旧暦の日付が書いてありますが、参考にという感じ、また

二十四節気は書かれていても七十二候まで触れているのは少ないのではない

でしょうか。 それに月齢が絵ばかりでなく数値で表わしているのがいいです。

以前 「お月さんカレンダー」 とかいうものを買ったのですが、一夜一夜の月の

絵が描かれているだけで正確な月齢が分からないものでした。

 

 この 「日めくり」 に期待しているのですが 「旧暦」 というのが気に入らないの

です。 現行の暦が新だからでしょうが、 kaeru的感覚からいうと新暦に対して

真暦といったらどうでしょうか、あるいは 「月暦」 でしょうか。

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幼名、六蔵。

2012-09-24 21:19:23 | どこまで続くかこのブログ

 渋川春海、幼名六蔵というのでした。

 昨日は春海の幼年期・少年期の名前が本にまだ出てこない、と書いたの

ですが、出てきました。

 春海が「六蔵!」と呼びかけられたのは、山崎闇斎という、春海に幼時か

ら神道をおしえてきた希代の “風雲児” であると冲方丁は紹介しています。

「六蔵!」に続いて 「改暦の儀、よう排命したの、どや、怖くて震えんとんの

じゃないかあ?」 と。

 春海が徳川幕府の陰の総裁・保科正之から改暦を託され、二十九歳とい

う最も若い春海を責任者にして 「改暦プロジェクト」 が結成されました。

 800年間にわたって宗教統制、政治統制、経済統制の要にあった宣明暦

(せんみょうれき)、「800年という歳月によって、術理の根本となる数値がず

れ」 て算術家や歴術家の間では半ば公然と議論されてはいた、と作家は書

いています。。

 宣明暦の暦法に従えば、1年の長さは365.2446日。実際の観測による

長さとは僅かであるが1年より長い。1年で0.24日、800年間に2日の誤差

となっている、と。

 それを正さなければならない、たかが暦のことと思うなかれ、ということ知る

ためにこの小説を読んでいます。春海の前にどんな困難が現われるか、それ

を若い春海を中心にしたプロジェクトがどう克服していくか、文庫本下を読んで

いく楽しみです。

 

 それにしたも、いわゆる旧暦から現行の新暦へ移るときの明治政府の 「お

粗末な対応」 はどう考えたらいいのだろう。天意も民意もあったもんではない、

というありさまだったと思うのですが。 

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昨日のタイトル、訂正します。

2012-09-23 22:48:34 | 非詩的なつぶやき

 昨日のタイトルにある 「渋沢春海」 は 「渋川春海」 の間違いでした。 訂

正します。 ついでに 『天地明察』 に書かれている渋川春海の名前について

少し書きます。

 この人には三つ名前があります。 渋川春海、次に安井算哲、もうひとつ保

井算哲。 最初に名前として紹介されるのは安井算哲 「(十四歳のとき父が死

に)父の名を丸ごと継いで安井算哲と名乗った」、「それが本来の春海の名で

ある」と。 「河内国渋川郡を領したことから、まず渋川家を名乗り」 さらに 「播

磨国の安井郷を領し、安井家を名乗」 りました。

 春海は父算哲の晩年の子だったので、算哲が生まれた時には父は養子を

もらっていて安井算知といいました。 そこでその算知を立てるとき、あえて一

字変えて “保井” を名乗った、と書かれています。

 それでは、十四歳安井算哲を名乗る前、十三歳で同年代の四代将軍家綱

の御前で碁を打つ公務を勤めた時は、なんと名乗っていたかは文庫版上に

は書かれていません。 

 幼年期、少年期の春海の姿を読みたいものです。こういう才能を発揮する

人のそういう時期のエピソードでも 「天才の片鱗」 を知りたいものです。 ま

た、生活・教育環境など生育期にどんな環境にいたのかも。 資料などない

のかも知れませんが、それだけに作家の想像と創造で書き出してもらえた

らと思います。

 

 冲方丁著 『光圀伝』 が「赤旗」の読書欄に紹介されています。 「水戸光圀

の73年の生涯を描いた時代長編」 だそうです。幼年期・少年期も十分に描

き込まれているに違いありません、これも読みたくなりました。

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渋沢春海と岡田眞治さん

2012-09-22 18:20:44 | せいじの政治カフェ

 昨夜、官邸前抗議行動の行き帰りに読んだのが『天地明察』 だということ

は昨日書きました。 もう一冊ザックのなかにあったのが、岡野眞治(まさは

る)さんの『放射線とのつきあい 老科学者からのメッセージ』 でした。

 

 この本のカバーの顔写真を見たことのある顔だと思ったのは、岡野さんが

昨年5月NHK 「ネットワークでつくる放射能汚染地図」 に出ておられたから

で、福島での放射線測定活動や鎌倉の自宅での取材に応えていたからでし

た。 今年で86歳になられる方ですが、「はじめての出版で戸惑う~わずか

ながらの長年の蓄積を元にした内容が原発事故でご苦労されている方々の

お役にたてばとの思い」 と 「この本を福島で被災された方々と愛する妻にさ

さげます」と 、「あとがき」に書かれておられます。

 この老科学者を 「(放射線を)はかるひと」 と呼んでいるのはNHKディレク

ターの七沢さん。 60年以上の歳月、水爆実験後の南太平洋や原発事故後

のチェルノブイリ、米艦船の放射漏れを追って佐世保や横須賀、今は自宅の

鎌倉で一日も欠かさず 「はかり」 続けて来られた岡野さんを紹介しています。

 

 「あとがき」と七沢さんの文を読んで、岡野さんと渋川春海との共通点を知

りました。 「はかる」こと、徹底して現地ではかる、そこから春海の場合は天意

を解明し、新しい暦づくりへと発展させて行き、岡野さんの場合は、放射能に

よる汚染の実態を正確に解明し、「その情報を得た市民が自分の考えで行動

を選択できるようにする」のです。

 天意を人間界の言葉にして示したもの=暦は人間に “昨日が今日に、今日

が明日へ、ずっと続いていく” という確信を目に見えるようにしています。 それ

ゆえ、暦が現実の天意=天体の動きとずれて 「本日が実は明後日である」(月

食などの現象と暦上の予定) というようになった時、暦を現実の天体の動きに

合わせる=改暦が行なわれました。

 

 昨夜の抗議行動も “昨日までが今日を生みだし、今日のあり様が明日をつく

る” という当たり前のことの上に立った行動でした。その際、岡野さんの「もの

を決めるには科学のルールをわきまえなければなりません。このことは現実の

数値にのっとり判断することが必要です」(あとがき) という言葉の意味を自分

の行動の基本に置きたいと思います。

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寛文元年十二月朔日(ついたち)。

2012-09-21 23:57:19 | どこまで続くかこのブログ

 井上ひさしの 『四千万歩の男』 の伊能忠敬がその一歩目を踏み出した

の何時だったのだろうか、 読み直してみたいと思います。

 Wikによると、寛政十二年閏四月十九日=1800年6月11日。 寛文元

年十二月朔日=1662年1月20日、は 『天地明察』 の渋川春海の第一歩。

 

 今夜、官庁前抗議行動の行き帰りの電車のなかで、その辺まで読みました。

案ずるより産むが易し、で読みだすと面白いのです。 勿論案じた通り和算に

関するところは分からず飛ばし読みで通過しています。 それにしても当時(江

戸時代)の数学(算術と称していたようで)の能力の高さは、世界的な水準に

あったのではないでしょうか。

 江戸という都市の人口が世界のトップクラス(下記参照)であった以上、それ

を支えた建物・道路・橋などの建造物の造作修繕、物流の管理運営などなど、

すべてに渡って世界トップクラスの数学的見識抜きに成り立たなかった筈です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3

 春海は自分の歩測と算術によって算定した当地の緯度が、天測が弾きだした

数値と一致していることに驚愕します。 「己の解答と、天の解答と。その二つが。

信じられなかった。」

 天は設問を抱いている、人に解かれることを待ち続けながら、 自然科学の力

をもって解かれることを。 同時に春海の物語が物語っているように、その力も社

会の構造と深くかかわっていることは明白です。

 放射能・放射線、そして原発。 それに関して、 鎌倉在住の岡野眞治さんとい

う1926年生まれの科学者が問いかえてくるのも、その問題を前提にしています。

 

 今日という時間が無くなります、明日へ。

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