昨日の「てんがらもんラジオ」は、以前の聞き慣れた音楽からはじまり、聴き慣れた村永チトセさん等の声が聞かれました。津曲さん当時80歳だっただろうか、その人の声はなく2年くらい前に施設に入ったということでした。
当時は声とともに映像も見れたのですが、昨日は声だけ。まさにラジオでした。「fmぎんが」として、閉局するが再開も視野におくということです。「てんがらもんラジオ第412回」という声が聴かれる日を大いに期待してます。
一昨日の「しんぶん赤旗」にこういうコラムが載っていました。
「ラジオの歩き方」として「82歩」ですから、かなり以前から連載されていたのでしょう、私は読んでいませんでしたし今回の「てんがらもんラジオ」がなかったらこのコラムにも目を通さなかったと思います。
(書き手のやきそばかおるさんについては やきそばかおる - Wikipedia )
人の気持ちを繋ぐ電波
今月9日に放送されたTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』で心に響く手紙が紹介された。投稿者は横浜に住む45歳の女性。 学生時代は札幌に住んでおり、クラスメートの紹介で岩手県大船渡市に住む同じ年齢の人と文通をすることになった。会うことはなかったが、人に言えないことを手紙で打ち明けられる存在で、思春期の揺れ動く心を支えてくれた文通相手だったという。
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手紙のやりとりはしばらく続いたものの20歳を過ぎると疎遠になった。2011年に東日本大震災が発生。 当時の相手の住所をインターネットで調べると更地になっていたという。彼女は高校を卒業後、東京の専門学校に進学したため現在のことは分からない。 大船渡の森林火災を知り「今も元気でいてくれたら」と願っているという。
ラジオで人を捜して再会を果たした例があり、ラジオ沖縄の特別番組『白線と青い海〜早川さんと饒平名(よへな)さんの730(ナナサンマル)』で放送された。2023年のある日、同局に「人を捜してほしい」という一本の電話がかかった。 声の主は早川亨さん。大分在住の83歳の男性だ。1978年に沖縄の道路を一夜にして右側通行から左側通行に変えた交通変更(730プロジェクト)の際に数カ月間一緒に働いた饒平名さんを捜してほしい」という。とても仲が良く、当時は仕事が終わると一緒に遊んでいたそうだ。
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そこで同局の竹中知華アナウンサーが担当するワイド番組『華華天国』で呼びかけた。なにしろ約45年前の出来事だ。関わっていた当時の施工業者は今はなく、「饒平名」という名字の人も1700人は存在するという。てっきり難航するかと思いきや、約2時間生放送中に続々と情報が寄せられた。そして調査を重ねるうちに、後日、ラジオの生放送でふたりを電話で繋ぐことに成功した。両者は最初こそ照れた様子だったが徐々に嬉しい声に変わった。1カ月半が経ち、ふたりは沖縄で再会。道路に白線を引きながら眺めた綺麗な海を再び訪れた。『白線と青い海〜早川さんと饒平名さんの730』では一連の流れを放送したほか、730プロジェクトについて振り返り「歴史的な記憶を保存し、広く伝えることに大きな意義がある」として高い評価を得た上「日本民間放送連盟賞」の2024年のラジオ部門でグランプリを受賞した。
ラジオは人と人の気持ちを電波で繋ぐメディアだ。先述の文通仲間も見つかることを祈る。
(ラジオコラムニスト)