kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

川柳って面白いものですね。

2018-08-31 23:07:51 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもんラジオ」336回 村永さんのブログ

 「てんがらもんラジオ」336回を聴き終わりまして、こんなイメージでした。4人のレギュラーを四つ葉のクローバーに例えてみます。子供の幸福を保育士としてあるいは家族として、願ってきた姿が互いにクロスされ、更に葉の一枚が湯上りの肌色(ピンク色)をしていた、という感じです。

その肌色がこちら、

 紅雀川柳ブログ「世界でひとつだけの句集」 

作家の田辺聖子さんが「川柳というもの自体が人肌なつかしい文芸ジャンルである」(『道頓堀の雨に別れて以来なり  川柳作家・岸本水府とその時代』)と書かれていますが、それが川柳の基本にあると思います。

例えば、紅雀さんの手作り句集から

「他には何も見えませぬ」とは言いますが、

浮かんでくるのは梓みちよの、♬ こんにちは 赤ちゃん ♫

ですから紅雀さんは川柳で、

    湯上りの赤子のように抱かれよう

とも詠むのです。

 放送のなかで「エロ川柳」 とか「エッチ川柳」 とか言われてますが、川柳は人間の百様百態を詠むのですからエロもエッチも視野のなかに入って当然です。ただ川柳を通じて人間の面白さー古語辞典的に「面前が白じろと明るくなり、様々なことが見えてくる」ー自分の人間としての面白さ、そこには醜さ非情さなどもある、それも含めてです。それだけにヒューマン・人間愛に裏付けられた生きるエネルギーを感じられる句こそ川柳の面白さと言えます。

映画評論家の水野 晴郎(みずの はるお)さんの「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」にもじって言えば「本当に、川柳って面白いものですね〜」。

 注:明日、孫の見送りで横浜港へ行く打合せ等で、息子等とやりとりをしつつの「つぶやき」でした。再放送を聴いたうえで補足したいと思います、とりあえず第一稿とします。


三つの時間 ー「時刻・人生・歴史」

2018-08-30 00:30:59 | どこまで続くかこのブログ

一人一人に纏わり付いている「時間」には、三つの層があります。一番身体に近いのが「時刻」、自分の親とか兄弟や子供なんかにつながる時間が「人生」、この人生という時間帯のなかに世代をいくつか織込むと「歴史」、「時刻」「人生」「歴史」の三層です。この層が流動している様相を三次元で描いて下さい。

最初の「時刻」は時計を頭に描いてもらえばいい話です、話せば色々あるでしょうがここでは省略。

 「人生」については、吉田拓郎の「人生を語らず」の歌詞では「今はまだ 人生を語らず」というのですが、歌っている顔を見れば人生を語る年齢ではないことは分かります。ならば幾つになったら語るのか ? 

それは第一の「時刻」の連続のなかでこの連続が有限だという実感を待った時、己の寿命を感じた時でしょう。そこにはすでに寿命を終えた者、親や兄姉をはじめ年齢的に己の前を歩いていた人々。もちろん自分より年齢が若くても先に逝ってしまった者も思いのなかに描き、その流れのなかへ己も溶け込むということを意識する時です。

同時に、歴史と人生が重なって見える時期です。寿命とか人生は見えても歴史は見えない、あるいは見ない人もいますがその人にも「歴史」がまとわりついているのですが歴史不感症では、感じません。

実は「kaeru の夏休み」で集中してかかったことから、こんなことを考えてみたくなったのでした。休みを無断でのばし、結果は中途半端で終わり、引き続き関わっていかねばならないのですが、副産物として、頭の運動課題を持つことができました。


結核対策は高齢者が要です。

2018-08-28 02:46:41 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもんラジオ」335回、兒島淳子さんの結核予防週間(9月24日から30日)の話は「あゝ野麦峠」からはじまりました。

そこでその本の表紙を、

この文庫はこちらで読めます(全ページではありません)。

books.google「あゝ野麦峠」

この本のあるページに「明治四十二年十一月二十日午後二時、野麦峠の頂上で一人の飛騨(ひだ)の女工が息を引きとった、名は政井みね、二十歳〜」とあります。担いでいるのは兄の辰次郎、その像がこれです、

wikipedia「あゝ野麦峠」

結核は「産業革命時代の病気」と言われました、兒島さんも当時の紡績工にとってこの病が死神であったか話されていますが、こういう数字があります、
 
   明治24(1891)年から同45(1912)年の22年間の間、結核による年平均死亡者が82,725に対してコレラ3,388、赤痢•疫痢(えきり)
13,960、腸チフス6,492、天然痘4,331。紡績工だけの数値ではありませんが、いかに結核が猛威をふるっていたか想像出来ます。
 
1919年に結核予防法が制定されます、約100年前、日本で結核予防が国の施策としてはじまって約100年間というわけです。当初の予防策として感染予防の狙いもあり、公立療養所が設置されました。以前鎌倉の高齢者施設の方に市内に医療機関の多いことを尋ねましたら、結核療養所があったことが関係していると聞きました。
湘南地域が都会に近い割に結核治療の「大気、安静、栄養の原則」に適した地域だったのでしょう。

しかし、現代の治療法は薬で治すに移っています、国内の最後の療養所が閉院したのが2013年という記録があります。更に結核をめぐる状況で注目しなければならないが、高齢者対策です。
 
ひと昔前は、結核にかかるのを怖れていたのは若年層でした。現代はこれが逆転、兒島さんの問いかけ「平成27年度に結核に罹(かか)った17,625人のうち65歳以上がどの位か?」、これが70%以上なのだそうです。
ですから現代の結核予防の最も重要なのは高齢者対策というわけです。そこで思い出したのが義父のことです。数年前に97歳をこえて亡くなったのですが、亡くなる2、3ヶ月前に「医者から聞いたが胸に陰がある、以前結核に罹った跡だそうだ、まったく気にしなかった」と話してくれました。
結核菌に侵されても発病させない体力があり、良い条件があったのでしょう。現在高齢者の発病にもこの時期罹ったということもあるでしょうが、以前の病原が体力の衰え等で発病に、という場合もあるでしょう。いずれにしても兒島さんの結核予防の提言を実施しましょう。

一つ 適度な運動、
二つ 充分な睡眠、
三つ バランスの良い食事、
四つ 定期的な検診。