去年の今日のブログです、と送られてくるので「なるほど1年前は」と思い出しすことが多々あります。
今日はこれです、
今年も二月下旬に出かけますが、上田で「真田丸」を見るのも面白いでしょう。そんなことを思って、ふと「幸村(信繁)に弟はいたの?」と思い系図を見ましたら、いました。
信勝と昌親とでていましす。そこでインターネットで検索(一部略)。
真田信勝は1605年2月、徳川秀忠の上洛に従大番組として従っています。大番組と言うのは旗本で、警護を担当する精鋭。一方、真田昌親は兄・真田信之と共に関ヶ原の戦いでは徳川家康についており、信繁らが九度山に蟄居した際には、松代から生活費を届けにきてくれたこともある。
この説明では信勝昌親は信之信繁とは異母兄弟だったようです。二人とも徳川方だったようで、それなりの役割を果たしていたのでしょうが、いわゆる歴史に名を残すことはなかったということです。
その点ではここに写っている三人も歴史に名を残すことはありません、ブログに名を残しておきましょう。