「知らざあ言って聞かせやしょう」、これ歌舞伎の「白浪五人男」の「弁天小
僧菊之助たァ、おれのことだ」の名科白ですね。ついでに、この台詞には鎌倉
関係の地名が「七里ガ浜、江の島、(江の島の)児が淵、上の宮、岩本院」が
よみ込まれています。
この場面で女装を見破られ、居直って正体は盗賊であると明かすわけです。
見破られる切っ掛けになったのは腕の桜の刺青です。さて、弁天小僧は居直
りの正体暴露に及んだのですが、商品が自分で暴露する前に見破ることはで
きないのでしょうか。
見破る方法について「(弁天小僧の場合は腕の刺青でしたが)商品の分析に
は腕をまくらせても、叩いても拝んでも正体が現れるものではない」と、マルクス
的に言えるでしょう。
それなら何が必要か? それです、推理する能力=どうしてこうなるのか? こ
の中はどうなっているのか?と、見抜く力です。「抽象力」と言い表わせる人間
的能力です。対象(物)の本質をつかみ出す能力・分析力と言っていいでしょう。
これはkaeru的俗話ですが旧漢字の「戀」、これを分析したウタ。
「戀の一字を分析すれば、糸し糸しと言う心」とは粋なことです、これを「恋」に
すれば、「恋の一字を分析すれば亦で抑える下心」とか。どちらも「戀・恋」の
本質を言い当てていると思うのですが。
弁天小僧に戻ります、小僧が男だとバラされるだけではなく、盗賊だと明か
すには、もうひとつ舞台解説が必要です。小僧は武家の娘としてお供と鎌倉・
雪の下の呉服屋へ現われ万引き(をした様に装い)、番頭の振り上げた算盤
で額に傷を負い、それをもとに百両をせしめます。それを居合わせた武士が
見破ります、「詫び金目当ての騙りだ」と。
私は歌舞伎などと縁の遠い者ですから、本を見ながら筋を追っているので
すが、呉服屋の店先、店主、番頭、丁稚が居て武家の娘とお供が絡む、そし
て武士がそれらしい役割をする。この関係が小僧の正体・本質を顕にする舞
台になっていると感じます。
「商品の分析」というのも、「商品」とはどういう関係のなかで「商品」になれ
るのか、を見抜ければ武士(労働者)らしい役割がはたせるのでしょう。
かなり宮沢本から離れてkaeru話になってしまいましたが、もうしこしお付き
合い下さい。