Kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

年の終わりのためしとて……。

2013-12-31 19:19:42 | どこまで続くかこのブログ

 新年は神社で迎えることになりますので、PCにむかっての「つぶやき」の

今年の〆です。

 子供の頃の唱歌「一月一日」に、♪♪ 年のはじめのためしとて ♪♪ 

がありますが、この「ためし」は「試し」ではなく「例し」だそうです。阿弥陀籤

(あみだくじ)で当ったためしがない、という場合のためし、です。

 

 その「ためし」を年の終わりに持ってきたのは、そうなっていきたいという願

いからです。このブログを通じて多くの方との繋がりがありました。とくにこの

三か月前位から様変わりしてきています。その切っ掛けをつくっていただいた

「信州の屋根裏人」さん、「鹿児島の70歳」さんをはじめ何人もの方との交流

は、私にとって新しい人と人との交流のはじまりではないかと思います。

 毎年その輪がひろがり深まっていくことを願っています、その願いをこめて

「としの終わりのためしとて」 としました。

 あわせて、ブログの世界に 「つぶやき手」として参加できるよう背中を押し

てくれた「才女」さん、「茶千」さんにお礼を申し上げ、なおいっそうのご指導

と励ましを頂けるようお願いします。

 

 終わりに、ブログをつくることは楽しい、その楽しさは自分を表現することの

楽しさだけに楽しいだけではすまない面もあります。そこがまた魅力であり、

自分というものを見つめる機会でもあります。

 ブログの読み手ではある人が、新たな作り手としてブログ世界に参加され、

作り手であり同時に読み手である者同士として交流の場が広がるよう新しい

年に期待します。

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ある男のこんな年の暮。

2013-12-30 21:44:57 | どこまで続くかこのブログ

 その男自身が言ったという記録から、その言葉を。

 

 「おれが子供のときには非常に貧乏で、ある年のことなどには、どこでも

松飾りの用意などをしているのに、おれの家では、餅を搗く銭がなかった。

ところが本所の親族の所から、餅をやるから取りに来いと言ってよこした

ので、おれはそれを貰いに行って、風呂敷に包んで背負って家に帰る途

中、ちょうど両国橋のうえであったが、どうしたはずみか、風呂敷がたちま

ち破れて、せっかくもらった餅がみんな地上に落ち散ってしまった」

 当時、江戸の市中といっても、日が暮れてしまえば手さぐりで歩かねばな

らぬほど暗い。

 「道が真闇(まっくら)がりで、それを拾うにも拾うことができなかった。もっと

も二つ三つは拾ったが、あまりいまいましかったものだから、これも橋の上から

川の中へ投げこんで帰って来たことがあったけ」

 

 さて、この口調で江戸時代、お分かりかと思います。

 母はおのぶ。 父は小吉。

 その人の名は麟太郎、のちの勝海舟です。

 

 この部分は司馬遼太郎 『竜馬がゆく』 によります。

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初詣の準備に、森山神社。

2013-12-29 21:08:30 | 葉山そして人

 門松作成と取り付け、幟の設置、注連縄取り付けなどで午前中いっぱい。

 打ち合わせの後、神社の裏の空き地の松と榊から手ごろに伐りとって運ぶ

ことから始ります。

 先日つくった注連縄を社殿から運び出し、

 

 社殿に取り付け。 

 小さいものは末社の鳥居に。

 この森山神社は、旧一色村の古代からの鎮守の神社で、一色村は葉山町に

なって五つの町内会に分かれています。各々の町内会単位で氏子会があり各

町内会毎に総代、その元に四人か五人の世話人がいます。

 私は第二町内会の五人の世話人の一人、一昨年夏から関わるようになりまし

た。ただ外に出る仕事を持っていたので、本格的には今年からで、注連縄づくり

も今日のような準備も今年がはじめて、人の後をついているうちに終りました。

 後は大晦日の夜10時から、初詣を迎えます。これは一昨年・昨年と経験して

いるのでわかります。それはその時に発信します。

 

 十二月二十九日の俳句  星野立子編 『虚子一日一句』 より

   歩み去る年を追ふかに庭散歩    (昭和二十八年)

 (立子文)「草樹会。和光。和光の庭は起伏ある広い一面の芝生である。

  日々続く忘年句会に、父は若い人々に負けずに句を作るのであった。

  二階からの景色は遠く葉山まで眺められた。」

 

 俳人虚子はいく年を追っていますが、凡人kaeruは追われ追い立てられての

今日・明日・明後日です。

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真白き富士の嶺……。

2013-12-28 21:22:27 | どこまで続くかこのブログ

 午前、墓掃除と墓参りをすませお寺さんから下ってくる途中で、後ろの神

さんから 「見て、見て」と声が、前を見ると目一杯に「真白き富士の嶺」。

すごい!と思ったが写真機を持っていない、それに電線が何本も横切って

残念!それで思い出したのが今日の「谷戸の風」(t0kino)さんの富士の

写真です。

 

 この真っ白が、目の前に広がっていたと想像して下さい。

 「谷戸の風」は私のブログからもアクセスできますが、URLは

http://sea.ap.teacup.com/inamuragasaki/ です。

 写真の左側の緑が江の島です、まさに

♪ 真白き富士の嶺 緑の江の島 ♪ の絵です。

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尾花沢 -ある財界人と俳句ー

2013-12-28 20:39:59 | kaeruの「おくのほそ道」

 これは直接「尾花沢」に関係することではないのですが、昨日の「豪商」

との関係でここに置いておきます。なお、昨日「-豪商と風雅ー」とタイトル

しましたが、一般的に「豪商と風雅」を語っているわけではありませんので、

「ある」を加え訂正しました、今回も同じ趣旨です。

 

 財界人の自選句集の 『財界歳時記』(日本能率協会・昭和六十三年刊)

という本のなかの古館六郎の下に(俳号・曹人)とありましたので、この人な

ら記憶にあると思いました。

 所持本に 『古館曹人 句会入門』 があり、そこの俳人としての紹介。

「大正九年、佐賀県に生まれる。五高時代に兄麦青の指導で俳句を始め、

東大ホトトギス会で山口青邨に師事。昭和二十八年俳誌「夏草」同人。現

在「夏草」代表。俳人協会副会長。(略)」(平成元年刊・角川選書)

 財界人としては、「昭和二十一年学徒出陣復員後太平洋炭鉱入社。四十

三年取締役。四十五年太平洋興発常務取締役。同副社長。五十八年退職」

とあります。

 

 その古館氏の「句作の動機ーープロの道」と「俳句と経営――虚と実」。

 (『財界歳時記』 202、203頁)

 ◎ 「句作の動機――プロの道」

≪ 私は五高時代から句作に入ったが、井泉水に心酔する父と風生門の兄

の影響であった。第二の動機は京大に入って山口青邨先生に入門したとき。

第三の動機は会社を引退して俳句に専心しようと決意したとき。趣味から脱

してプロになることであった。プロとは芭蕉や子規の後を追うことでなくて、芭

蕉や子規の志したことを、自分の志にすることである。俳句や歌仙(連句)の

句会を繰り返して、句会が理想的な創造的チームづくりであることを発見して

その開発に十年が経過した。≫

 

◎ 「俳句と経営――虚と実」

≪芭蕉の言葉に、<虚に居て実を行うべし><実に居て虚に遊ぶべからず>

という虚実の教えがある。実は現実で掌の上にあって見えるもの、虚は現実

を取巻くもろもろのもの、例えば宇宙・未来・神・真理・美など。経営学でいうと

未来指向のことである。私がかって会社の役員になって最も困難だったのは

未来指向であった。長期計画は過去から今日までの実績(現実)の上に将来

を積み上げるのではなくて、未来の仮設(虚)から今日の行動を決するもので

あった。難しいのは頭ではなくて如何にして未来指向を実行するかにあった。

俳句は眼前の薔薇を見て、その美しさを詠むのではなくて、薔薇の美しさ(虚)

に身を置いて眼前の薔薇(実)を詠む。これができれば俳人は一人前なので

ある。≫

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尾花沢 -ある豪商の風雅ー

2013-12-27 21:54:47 | kaeruの「おくのほそ道」

 芭蕉が尾花沢で頼った清風は、紅花問屋であり大名に貸し付けするほど

の金融業も営む豪商でした。山形盆地一帯の紅花を集荷し京都を主な出

荷先としていたので、清風は京や江戸に出かける機会が多く俳諧師とも付

き合い俳人としても名を知られ、芭蕉との付き合いも当時で十年近くになっ

ていました。

 芭蕉は「おくのほそ道」で、清風を「かれは、富めるものなれど、心ざし、い

やしからず」と評しています。「清風さんは、お金持ちだけれども心は卑しくな

い珍しい人物ですよ」と。『徒然草』で兼好が「むかしより、かしこき人の富め

るはまれなり」といっていますが、そのまれなる人だと言うのです。

 

 清風の話を「おくのほそ道」からずれて少し。

  (金森敦子著 『芭蕉「おくのほそ道」の旅』・より)

≪清風はこれから三年後に家督を相続し、清風の代で(紅花問屋)島田屋は

大いに発展する。清風は剛胆さの持ち主でもあったようだ。 元禄十五年(17

02)には江戸品川で紅花を焼いたと見せかけて実はカンナ屑(染めたおが屑

とも)を焼き、紅花の値をつり上げて巨利を得たとか、吉原の遊女高尾大夫を

仙台侯と争ったとかの話は、いかにも元禄期の大商人にふさわしい華やかさ

がある。

 芭蕉が訪れてから十七年後の夏、江戸から来た二人の俳人が紹介状を携え

て清風を訪ねた。ひどい土砂降りの夜のことだった。ところが清風は、「今は俳

諧をやめているし、その紹介状を書いた人にも心当りがない」とピシャリと戸を

閉めてしまったという。

(略)

 その後に尾花沢を訪れた旅人は「清風のことを尋ねしに、今は孫の代にて家

も衰え、風雅の道はしらぬ人といいぬ」と記している。≫

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尾花沢 -句と句意-。

2013-12-26 21:47:51 | kaeruの「おくのほそ道」

■奥の細道の旅 (12月26日着信) 

○現在地 尾花沢に到着しました。

○次の目的地  立石寺

○次の目的地までの距離  15.0km

○次の目的地までの歩数  20,016歩で達成です。

 長谷川さんの「おくのほそ道」では尾花沢については、二三行と「紅の花」の

句を記しているだけで、そのことは前回ここに書きました、(2013-12-21)。

 ただ一昨年ここを訪れた時、街を歩いていて「芭蕉・清風歴史資料館」という

建物に出会い、列車の時間に間に合う間と寄ってみました。そんなこともある

ので「長谷川・おくのほそ道」とは別にすこし書いてみたいと思います。

 まず、ここで詠まれた句を

    涼しさを我宿にしてねまる也

   這ひ出でよ飼屋が下のひきの声

   まゆはきを俤にして紅粉の花

   蚕飼する人は古代の姿かな    曽良

  句意  岩波文庫『おくのほそ道』 脚注による。

    涼しさを… 他人の家であることを忘れ、涼しさを一人じめにして、のんびりと

        くつろぐことである。「ねまる」は土地で「くつろいで坐る」の意。

  這ひ出よ… 蚕室の床下で蟇の低い鳴き声が聞える。蟇よ、ここに出て来て

        私の相手をしてくれの意。

  まゆはきを… 前回記。

  蚕飼する… 養蚕する人々の清浄を旨とした質朴な服装に古代の人々の姿を

        感じとった吟。蚕飼は春の季題だが、ここは夏蚕とみる。

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へろへろと…… 自解。

2013-12-26 17:33:22 | 五七五の気分。

 昨日の秋元不死男の句 へろへろとワンタンすするクリスマス 

の「自解」がありましたので、そのまま紹介します。

 白鳳社刊 現代の俳句 『自選自解 秋元不死男句集』

≪ 私の胃は、甘いものに弱いかわり、脂っこいものには案外つよくできいている。

 胃をこわして外出をしている時、何かを食べたくなるとウドンのかけかワンタンを

 食べることにしている。数からいうとワンタンの方が多い。これを食べていれば

 安心だと思い、ワンタンをすすり、こわれた胃袋をかばってやる。

  昭和二十四年の作で横浜時代に作った。

  少年のころ支那町が川向うにある吉浜町に棲んでいた。夜になると車を引いて

 支那そば屋がきた。ワンタンが好きな私を知って母はときどき寝ているわたしを起

 こしてワンタンを食べさせてくれた。

  クリスマスの晩にワンタンをすすった。 庶民的でかなしいこの安価な食べもの

 が、わたしにはどんな高価な食べものよりも味わいふかく思えるのは、そういう

 少年時代の思い出がなつかしく回想の渦をかき立てるからかも知れない。≫

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クリスマスの俳句。

2013-12-25 20:51:38 | 五七五の気分。

 今日25日はクリスマス⇒キリスト教、一週間経たないうちに除夜の鐘⇒

仏教、そして初詣⇒神道。 神も仏も盛りだくさんな年末年始の始まりです。

 そう言えば以前仕事関係で行っていた病院で、玄関口にクリスマスツリー

が飾られて、今日が過ぎるとその場所が門松に変わっていました。

 

 そういう国ですからこの国のうんだ世界最短の詩である俳句の世界にも

もろもろの宗教行事が詠み込まれています。

 今日はクリスマスを詠んだ句を、

  へろへろとワンタンすするクリスマス    秋元不死男

  聖樹立ち何かうれしき療舎かな       角川 源義

     聖夜更く地はいくさ無き灯にあふれ     松本 幹雄

 聖夜劇三句

  聖夜劇木より顔出す木になる子       落合 水尾

  クリスマス羊の役をもらひたる        西村 和子

    しんがりの羊はわが子聖夜劇        松崎 幹

 

 神を信ずるも信ぜざるも共に、こころ深く豊かなひと時を。

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本州縦断の出発地・大間町に立って。

2013-12-24 20:59:43 | 本州縦断

 第1回目の「本州縦断」は単に面白そうなアプリだと、漠然とはじめてこと

でした。当然本当の旅としては不可能なことですが、日常1万歩/日を目標

にしていましたので、その目安になれがいいと単純に思ったのです。

 今度2目ですから、1回目よりすこし進歩させたいと思います。

 そこで、出発地の青森県大間町について見てみます。

 この左側の写真の緑色の風船様の印が大間町です。因みに写真の左・

津軽半島の突端が石川ゆかりの「津軽海峡 ・冬景色」の竜飛岬です。

  

 同時にこの半島が「下北(核)半島」ともいわれる状況が右の図です。

 この図はhttp://www.magazine9.jp/genpatsu/120808/ から転用させ

てもらいました。この図は「マガジン9」に2012年8月8日UPされたものですが、

図の前の全体のリード部分を移しておきます。是非時間をとって全体に目を通し

て下さい。

≪下北半島の先端、本州の最北端に位置する大間町。豊かな自然に恵まれたこの町はまた、1980年代から大間原発の建設計画が進められてきた、下北「核」半島の一角をなす場所でもあります。計画はどのように持ち上がり、地元の人たちはどうそれと向き合ってきたのか、そして建設工事が中断された3・11以降、大間原発を取り巻く状況や人々の思いはどう変化しているのか--。少年時代を大間町で過ごし、東京に暮らす今も頻繁に故郷を訪れているという山田勝仁さんがレポートしてくれました。≫

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