kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「つぶやき」はデマではない。

2024-01-31 23:46:27 | 算数+数学

こんなタイトルにしたのはこれを見たからです、

全体で何を言っているか読んでみて下さい、

 

地震で繰り返される、原発危険デマを止める

地震で必ず起きる原子力批判  1月1日に発生した能登半島地震で、北陸電力の志賀原子力発電所の安全性をめぐり、デマ、不安をあおる情報が流れている。3週目に入ってそれら...

NPO法人 国際環境経済研究所|International Environment and Economy Institute

 

これを読んだ、志賀原発と活断層との関係で曲折があったこと指摘した記事が幾つかあったと思い、アレコレ見ているうちに2月に入っていました。

我が「つぶやき」は少し整理しなければと思い、取り敢えず「デマを止める」という声を紹介しておきます。


能登半島 もう一つの「原発」

2024-01-30 22:49:28 | kaeruの「しんぶん赤旗」

 志賀原発に関連したコラムを「しんぶん赤旗」で読んだ記憶があり、それを紹介したいと思って探しているうち時間をかなりくってしまいました。そのコラムとは別ですが、経済のページにあったこれ、

 正月を襲った能登半島地震で大きな被害を受けた自治体の一つ、珠洲市は能登半島の北端にあります。 1954年の市制施行当初、3万8000
人を数えた人口は現在、1万2000人足らずと3分の1以下となってい
ます。 東日本大震災直後の2011年秋、この珠洲市を取材しました。

 珠洲市では2003年まで原発建設をめぐり住民が二分されていました。 関西電力が北部の高屋町、中部電力が東端部の三崎町寺家地区に立地を計画。地元の北陸電力は調整役という3社体制が構築されていました。

 推進派は立地地域の住民の子どもを原発賛成を条件に関西電力や中部電
力に採用するなど、 なりふり構わず反対派を切り崩しにかかります。 推進
派と賛成派の天下分け目となる1993年の市長選で反対派は僅差で勝利
できませんでした。しかし、投票総数が合わないことが問題となり、最終的に最高裁が「開票手続きの根幹において誤りがあった」と選挙無効を直言したのです。

 出直し選挙でも推進派が当選したものの、当初の市長候補(現職)は立候補すらできませんでした。 市長選では負けたものの、反対派は団結してねばり強くたたかいを続け、2003年12月、電力3社は原発計画の凍結を発表したのです。立地予定地だった高屋町寺家地区も海沿いにあります。 高屋町は道路の寸断で孤立状態にあり、寺家地区は揺れに加え津波被害が直撃しました。もしこの場に原発が建設されていたら、東電福島原発と同様の大事故となり、住民たちは震災被害に加え、故郷喪失となったおそれもありました。 住民たちの団結とだたかいが守った地域への一刻も早い救援と復旧を願います。 (清水渡) (2024・1・10)


昨日のやり直し……。

2024-01-27 22:09:24 | どこまで続くかこのブログ

昨夜の続きです、

私のメールに飛びこんできたのは、暦の説明、

1月25日が二十四季節の大寒で、七十二候の「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」です。25日から 29日の五日間がそれに当たります。

こちらも「水沢腹堅」についての頁です、

大変読み難く、現物でも読むのに苦労してますので、

まず、下の方の日付 1月25日ー29日【大寒 次候】

俳句が記されています、   

   濃く淡く木々影落とす氷面鏡   池内友次郎

       (氷面鏡「ひもかがみ」)

頁左上の一文は、

 沢に氷が厚く張りつめるころです。「水沢(すいたく)」は水のある沢のこと。「腹」という字は厚いという意味も持っています。

 極寒の時期ならではの厚い氷の風景。そんな氷には、鏡のようにまわりの風景が映ります。それを「氷面鏡(ひもかがみ)」といいました。どんなに厚く張った氷も、あたたかくなれば解けるもの。「氷面鏡」も、歌に詠まれるときは、「解く」を導く序詞(じょことば)として用いられました。

頁左下の説明は省略します、すみません。


丸山晩霞の短冊

2024-01-25 21:55:44 | どこまで続くかこのブログ

丸山晩霞という名前をまったく初耳とは思わなかったが、その人の作品を短冊として自分のものにするなど思いもしなかったのでした。先日の七福神巡りで七人の福の神から揃って福を授けるとLINEで「つぶやき」ましたら従姉妹のR子が「そのうちいいことがあるかもよ」と言ってきたのはこのことでした。

R子の実家は長野県東御市袮津ですが、そこを引き払う事になり自宅にあった丸山晩霞の作品の内これを、私に贈ってくれました、

     

二日ほど前に「贈ります」とLINEで……。実はその時まだ晩霞について名前をおぼろげに記憶にあるくらいで、袮津出身の画家だということも知らずにいたのです。ですからR子には、短冊との連想で日本画の画家だと思って御礼を言っていました。

短冊をいただいてからWikiで、水彩画の先駆者と知りました。

丸山晩霞 - Wikipedia

丸山晩霞 - Wikipedia

 

 

 

 

コレクション - 長野県東御市 丸山晩霞記念館

高原の秋草 / 丸山晩霞 1895〜99年 解説を読む 本作は丸山晩霞自身が「その年の夏吉田氏が私の郷里にやってきて、高原に秋草の花の咲いているところを共に写生した」、「...

長野県東御市 丸山晩霞記念館

 

このなかの一枚、

  

機会をつくりこの絵を見に袮津(私の記憶にある地名は禰津)に行こうと思っています。

禰津は上田在時代、年がら年中行っていた叔父叔母の家で、R子は姉妹のいない私たち兄弟にとって妹でした、それは今でも変わりません。 


あらためて「がん」について

2024-01-24 23:56:14 | 「がん」を読む

あらためて、というのは今日1月24日が山本勝哉さんが亡くなって一周年で、清浄寺での彼の一周年忌は21日でした。

一年前の「つぶやき」です、

一人のがん患者の死 - kaeruのつぶやき

一人のがん患者の死 - kaeruのつぶやき

「逗子葉山がん患者会」のこと-kaeruのつぶやき葉山新聞社の山本勝哉氏が呼びかけて設立された「逗子葉山がん患者会」ですが、その山本氏の「思い」が記されているのが...

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彼が遺したものは数多いのですが、そのなかでこの取り組みが始まりました。

チラシ文中から、

逗子名曲鑑賞会は故山本勝哉氏を発起人として2022年に始まりました。
山本氏のご逝去によりその存続が危ぶまれておりましたが、
元N響第一ヴァイオリニストの前澤均氏をはじめ、 逗子・葉山ゆかりの音楽家の皆様のご協力を得て、2024年度も「逗子名曲鑑賞会」 を継続し、 皆様にお届けできる運びとなりました。
地域ゆかりの一流の音楽家の皆様の演奏をライブでお楽しみいただき、贅沢なひと時をお過ごし下さい。

音楽に無知な私でも大変嬉しいことです、継続に取り組まれた倉田氏の努力に敬意を表し、鑑賞会が逗子葉山をはじめ多くの音楽愛好者の手によって、大きく広がることを期待します。

「逗子葉山がん患者会」は2020年9月の講演会を機に設立され、山本さんのもとで2回ほど集まったあと、止まっています。

私は膀胱がん罹患時一度抗がん剤を服用した後、手術の成功で薬の服用も無しに定期的な検査のみで過ごして来ました。その検査も最初の3ヶ月おきから半年ごとに、今年からは一年に一回という有難い経過で、日常的にはがんを体験したことを忘れているくらいです。

とは言え、がん患者の娘と過ごした8ヶ月余の日々、血尿で「やられた!」とトイレで声にした2019年6月26日は記憶に刻まれています。

今日の「のぞみ会」の集まりでも山本勝哉さんと夫人のことが話題になり、この機に「がん患者会」に繋げねばと思いました。


『連鎖の海』

2024-01-23 22:45:43 | 逗子 鎌倉 それぞれ

今日のワイコマさんのブログを紹介します。

明治43年(1910)の今日、鎌倉七里ヶ浜沖で12名の逗子開成中学校生徒が遭難し全員死亡した「遭難の日」として書かれています。

 

今日は、明治時代の遭難の日 - 日本の屋根裏人のワイコマ日記です

今朝の信州は気温が0度~1度南風がなんとなく春の感じを乗せてきているような気がしました。空はほぼ快晴です。1月23日の暦を見ますと、明治時代の遭難事件が二つ最初に...

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『連鎖の海』という本が、この事故に三つの謎があるとして小説化しています。

文字部分を拡大しておきます。