kaeruのつぶやき

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不破さんの「未来社会論」ー5ー「異常気象」

2018-09-28 21:29:29 | kaeruの『資本論』

https://weathernews.jp/s/topics/201809/280085/

 

(以下、不破さんの「前衛」 掲載文より) 

「利潤第一主義」がうみだした地球温暖化の危機

   いま人間社会を襲ってい最大の危機は、地球温暖化の危機です。その影響はいますでに気候の大変動として現われています。今年に西日本を襲った史上空前の広域豪雨も、進行する地球温暖化が予想を超える巨大災害をひき起こすことを、まざまざと示したものでした。この危機がこのまま進めば、地球上での人類の生存が不可能になる、こういう深刻な事態がいま進行しているのです。
   温暖化というこの事実が確認されたのは、30年ほど前でした。その後の調査で、地球大気の温度は1860年頃を転機にして上昇傾向に転じ、その上昇が21世紀に入ってもずっと続いていることが確認されています。いままでの上昇はほぼ1度程度ですが、それだけでも、すでに気候のたいへんな異常変動を地球全体の規模でひきおこしています。

   問題は、地球大気の変質にありました。

   私たちは、大気のもとでの生活を当たり前のこととしています。しかし、実は地球大気は、そのことを可能にする特別の条件をもっているのです。それは、地球の大気の中の二酸化炭素が0.04%と、ごくわずかな量だというこです。二酸化炭素は、地球に降り注ぐ太陽熱を外へ発散せないで、内にこもらせるという作用(温室効果)をもっているため、   大気中のその量が増えると、大気の温度は上がってきます。

   温暖化の原因はなにか。それもすぐつきとめられました。地球大気のなかで二酸化炭素の濃度が増え続けていたです。そのために、地球大気の温度上昇が始まったのでした。これは、地球という惑星の、誕生以来の歴史を逆転させる大事件でした。

   地球が46億年前に誕生した時には、大気は二酸化炭素を主成分とした原始大気でしたから、地球表面は猛烈な高熱状態で、とても生命が存在できる条件はありませんでした。その大気の構成に、35億年前、海中での生命の誕生とともに転機が起こりました。「植物の光合成(こうごうせい)」と呼ばれる若い生命体の作用ーー二酸化炭素を吸収して酸素を吐き出すーーのおかげで、地球大気の構成が次第に変わり、4億年前ごろに、二酸化炭素を主役としていた初期の状態から、窒素と酸素が主役となる現在の状態に到達しました。そこで初めて、生命体の地上への上陸が実現し、さまざまな生命体が地上で活動し、やがては人類とその社会をうみだす新たな地球史に道を開くことができたのでした。

   私は、四億年ものあいだ、地上での生命体の進化をささえ、人類の誕生と進化を守ってきた地球大気を「生命維持装置」と呼んでいます。この「生命維持装置」に1860年頃を転機として変化が起き、大気中の二酸化炭素の増大という危険な過程が始まったのです。
    なにが、この危険な転換をひきおこしたのか。答えは明らかでした。最大限の利潤を求めて、時には「大量生産、大量消費、大量廃棄」をスローガンに、ひたすら生産の拡大を追求してきた資本主義の産業活動が、地球史が4億年もの時間をかけてつくりあげてきた「生命維持装置」を破壊し始めたのです。
    問題は、この産業活動が、もっぱら石油と石炭の燃焼をエネルギー源としておこなわれ、大量の二酸化炭素を大気中に吐き出すことです。次の表を見てください。地球温暖化の転換点となった1860年といえば、「資本論』の刊行とほぼ同じ時代ですが、この時代と約150年後の現代との、人間社会の二酸化炭素排出量を比較した表です。

                     人口    二酸化炭素排出量       同1人当たり
1860年代    13億人         4.8億トン               0・37トン
2014年       72億人     361 . 4億トン        5, 02トン
        倍率          4倍           75.3倍                   13·6倍

    資本主義のもとで、社会がこの危険に気づくのはおそかったのですが、対応策はさらにおくれました。

   国際連合での最初の本格的討議が1977年の京都会議でした。それから18年を経てようやく2015年に、「地球温暖化」防止の目標と義務を定めた「パリ協定」が締結されました。しかし、エネルギー消費の増大はその後も依然として続いています。世界最大の二酸化炭素排出国であるアメリカで、トランプ大統領が、「地球温暖化」などはマスコミがつくり出した〝フェイク·ニュース(虚偽報道)〟だと称して、「パリ協定」からの脱退を宣言する始末です。

  「地球温暖化」の脅威は地球の全地域で、その危険な姿をますますむき出しにしつつあります。日本でも、洪水をともなう台風と豪雨が季節を無視して各地を襲い、〝過去に記録がなかった大災害〟といった報道が各地でくりかえされています。
   この問題に取り組む国際機関IPCC (気候変動に関する政府間パネル)は、2014年度の報告書で、21世紀初頭から同世紀末までの気温の上昇を2.6〜4.8度とする予測を発表しましたが、事態は、この予想の最悪の線か、あるいはその線を超えかねない勢いで進行しているとみるべきでしょう。
   「地球温暖化」はまさに資本主義そのものがひきおこした人類社会の危機です。この危機を解決する力を発揮できるかどうか、それは、資本主義社会が21世紀に生き残る資格があるかどうかが問われる問題だということを、声を大にして言わなければなりません。


椋鳩十の文学・思想と信州・鹿児島。

2018-09-27 23:15:19 | 「てんがらもんラジオ」

  「てんがらもんラジオ」340回、「椋鳩十の遺徳をしのぶ松風会」事務局長・畠野洋子さんが来月7日の「第11回椋鳩十祭」の案内を兼ねての4回目のゲスト出演でした。

   私はこれまでの畠野さんの話から、児童文学者椋鳩十について知るようになったのですが、今日の話の内容をまとめるにネットにあったこのしんぶん記事を見ていただきたいと思います。

   畠野さんが椋鳩十が作詞した校歌の話をされました。Wikipediaによると県外の2校を含めた小学校32校をはじめ、全体で46校(学校外の2を含め)の校名が挙げられています。その歌詞の特長は現代風に言うと地域おこしに繋がるもののようです。

   その地域性が甑島での島唄復興に椋鳩十作詞「里小唄」が受け入れられたのではないでしょうか。椋鳩十は地域性をどこから受け取って自分のものにしてきたのだろう、と思います。

   畠野さんが2014年8月の番組で最初に話された時の私は感想として、「(椋鳩十の)思想家としての面を知りたい」と書きました。

   その手掛りのひとつが畠野さん話された椋鳩十の中学生時代のことです。義理の兄に連れられて屋久島に行った時、そこに故郷の南信州の山々の姿を感じたというのです。私にはそれが思想を育てる苗床のような役割をしただろうと思えます。

そして、この苗床に時代が思想を育てていきます。

(この画像の全体は、

http://200mangaso.cocolog-nifty.com/fksm1gnpt/2012/02/post-6654.html )

画像で言われている「何度も通った島」が甑島で、書き上げたのが『孤島の野犬』です。

   畠野さんが椋鳩十が鹿児島に居を構えたことに対して、「鹿児島は武士の国でした。そこで生活していくことは大変なことだったでしょう」との趣旨を言われましたが、それだけに椋鳩十の生きること生きるものへの賛歌は深まったに違いありません。


不破さんの「未来社会論」ー4ー「原発問題」

2018-09-26 21:41:14 | kaeruの『資本論』

   昨日は、アメリカの若者のあいだで社会主義旋風が吹き出している話で、不破さんの示す「三つの問題点」のその1を紹介しました。

今日はそのその2「原発問題」です。

今日の「しんぶん赤旗」記事中の解説部分です。

「社会通念」で火山リスク容認

【 解説 】
   広島高裁の昨年12月の決定は、阿蘇カルデラで約9万年前に起きた過去最大級の噴火について、「火砕流が到着した可能性は十分小さいと評価できず、原発の立地は認められない」と判断し、今年9月30日まで伊方原発の運転停止を命じました。
   今回の決定も、過去の阿蘇カルデラ噴火の火砕流が伊方原発敷地に到達した可能性を認め、規制委の内規である「火山ガイド」に従うなら「伊方原発敷地内に原子力発電所を設置することは認められないことになる」としています。
   昨年12月の決定が火山ガイドを厳格に適用したのに対し、今回は、火山ガイドの内容が不合理だと判断。巨大噴火の危険の想定について「社会通念を基準として判断せざるを得ない」などと主張。巨大噴火が発生する可能性が「相応の根拠を持って示されない限り」、伊方原発の立地は不適とはならないと結論づけました。
   現在の知見では巨大噴火について「前駆現象を的確にとらえることはできず、具体的予防措置を事前に取ることはできない」と認めているにもかかわらずです。つまり予測不可能な巨大地震が巨大地震が原発の運用期間中に発生する可能性を「相応の根拠を持って」示すという、不可能な要求を住民に課しているのです。
   四電の申し立ては9月30日を過ぎれば、利益がなくなります。住民側弁護団は声明で「四電の保全異議の申し立ての却下を避けて、急いでずさんな決定を出したのではないか」と指摘します。
   実際、今回の異議審で、住民側は火山や地震の専門家の証人尋問を求めましたが、広島高裁は全員を不採用。四電側には火山灰対策に関する文書を卓急に提出するよう促すなど、審査を急ぐ姿勢を示したため、住民側は裁判官の忌避を申し立て、却下されています。

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不破さんの掲載文より。

 原発問題ーー人類社会への社会的責任の放棄

   次に原発の問題です。

   第二次大戦後の世界で、原子力発電が安全性の問題や本当のコスト問題などの本格的な検討もなしに、安易に広がったのも、利潤第一主義の害悪の典型的な現われの一つだと言わなければなりません。なかでも、被爆国である日本を、411基の原発が立ち並ぶ世界第三の原発国家[★]に変えてしまったのは、その害悪の最大のもので、それを推進してきた日本政府と電力業界の責任は、徹底的に追及されるべきでしょう。
 

   ★ 世界の原発数と国別順位 2018年1月時点での世界の原発総数は443 基、国別の順位を見ると、1位·アメリカ99基、2位·フランス58基、3位·日本42基です。国土面積の小さい島国の日本に、世界の原発の10%が集中しているのです。

 

   原子核の分裂、融合の際に起こる核エネルギーの発見(1938年)は、人類史上の一大事件でした。不幸なことは、この核エネルギーの利用が、もっぱら戦争のための軍事利用という目的で始まったことです。最初は原子爆弾の研究・開発がヒトラー・ドイツ、次いでアメリカで始まり、この競争で勝利を収めたアメリカは、1945年8月、広島・長崎の巨大な惨害をうみだしました。これは、反ファシズム世界戦争の大義を傷つける人類史的な暴挙でした。

   戦後、アメリカは、それにくわえて核エネルギーの軍事利用の新しい道の開発にすすみました。核物質を燃料として燃やして、画期的な航続力をもつ潜水艦をつくろうという研究です。この研究が超スピードで成功をおさめ、1954年には原子炉(動力炉)を動力とする最初の戦闘艦、原子力潜水艦第1号のノーチラス号が完成し、活動を始めました。
   ここから、利潤鄕第一主義の活動が始まりました。これを民間用に転用すれば、安いコストで大量の電力をつくりだせるという思惑で、アメリカの電力業界がそれに飛びついたのです。しかし、軍部の手による原子炉の開発は、もともと戦争用の開発ですから、安全などは二の次、三の次でした。またコストが安いといっても、計算されているのは、当面のいわば運転コストだけで、原発が吐き出す大量の放射性廃棄物の処理の問題などは、まったく頭の外においた話でした。
   こうして、人間社会の運命にかかわるこれらの問題に目をつぶったまま、アメリカの電力業界が、軍艦用の「動力炉」を転用して原子力発電を開始し、それがすぐ日本の電力業界に持ち込まれたのでした。アメリカの場合でも日本の場合でも、民間への転用に当たって、安全性の検証や後処理後始末までふくめたコスト計算などを、本格的にはやらないまま、利潤第一主義に突き動かされてこの転用を強行してしまったのです。
   日本自身が福島原発の大災害を経験したいまでも、日本の政府と電力業界は、原子力発電の継続に固執しています。これはまったく道理の立たない無謀きわまる政策です。自民党政府と日本財界はいまでもこの原子力発電にしがみついていますが、それは、国民にとっても日本経済にとっても、その将来を脅かす何重もの危険をはらんでいるのです。
   (1) 第1は、原発大災害の危機です。
   世界はすでに、アメリカのスリーマイル事故(1979年)、旧ソ連のチェルノブイリ(1986年)、日本の福島原発事故(2011年)と、三度にわたる原発大災害を経験してきました。なかでも、福島の原発事故は三つの原子炉が爆発し溶融するという史上初の大規模災害でした。7年たったいまでも、爆発した原発内部の実情の調査さえ、序の口についたかつかないかという段階にあり、炉底に沈んだ溶融核燃料を取り出すことなどは、まったく何の見通しもついていません。
   日本のように地殻や気候の変動の激しい列島では、どの地域の原発であろうと、こうした大災害を引き起こす可能性を必ずはらんでいるのです。
  (2) 第二は、原発が生み出す使用済み核燃料を処理する有効な方式が見いだせず、この面だけからいっても、日本の原発がすでに存続不能の状態に陥っていることです。政府の原発推進政策には、この点で、最初から「トイレなきマンション」づくりという批判が浴びせられてきました。これに対して、政府はいつも、使用済み核燃料理する「核燃料サイクル」をつくるから心配ない、とこたえてきました。しかし、実態はどうか。何十年たって日本国内での再処理施設の建設がすすまず、ごく一部をヨーロッパに送って、イギリスやフランスに再処理をお願
ている始末です。いま、使用済み核燃料は、それぞれの原発が特別のプールをつくって、そこに貯蔵していますが、そのプールにすでに1万8000トンの使用済み核燃料が収容されており、すでに満杯状態に近づいている原発も各地に現れてる始末です。
   問題はそれだけではありません。再処理された核燃は、体積こそ大幅に縮小しますが、放射能はそのままでから、人間が近寄ったらただちに生命を落とすほど、猛烈な危険性をもった放射能の塊(高レベル放射性廃棄物) になります。そしてこの放射能が人間に危険を及ぼさない程度に減衰するまでには数万年から10万年かかるといいますから、この処分は簡単なことではないのです。
   いま一番有力な方法といわれているのは、「地層処分」といって、地下数百メートルのところに貯蔵室をつくってそこに閉じ込める方法ですが、地球は、誕生以来、地殻レベルの巨大な変動を続けてきた惑星です。比較的地殻が安定しているとされるヨーロッパでも、万年といったスケールで、地下の貯蔵室の安全を誰が保証できるのでしょうか。
   とくに日本のような、三つの大陸プレートが重なり合う独特の地帯を基盤とする火山·地震列島で、数万年もの練練にたえる適地を見つけるというのは、まったく不可能だというべきでしょう。
  (3) 第三は、原子力発電継続は、国民の莫大な経済的負担なしにはなりたたないことです。電力業界は、原子力発電の開始に当たって、電力コストが安いことをうたい文句の一つにしましたが、これはまったくのごまかしでした。
   そのさい、コスト計算の費用にくみいれたのは、発電機能にかわる直接の経費が主で、災害が起きた場合の損害補償や被害を受けた地域の復旧の費用などは、計算の外においていました。実際、福島の原発事故の場合にも、当事者の東京電力は、損害補償の一部を負担しただけで、あとは国がやるのが当然だという態度をとっています。国が負担するというのは、結局、経済的負担を国民の税金でまかなえということ。こんな無法な態度を平然ととっている産業界は、電力業界以外にはありません。失敗した「核燃料サイクル」の中核、もんじゅ、の後始末も全額公費で、国民の負担に転嫁されます。
   さらに、日本ではまだ実現からほど遠い状態にありますが、核燃料廃棄物の再処理にくわえて、最終の産物である高レベル放射性廃棄物の「地層処分」のコストまで計算に入れるとすれば(現在ではまったく計算不可能ですが)、その建設および数万年におよぶ管理のコストは、おそらく天文学的な数字になるでしょう。
   現在の原子力発電は、これらの巨大な費用はすべて社会が負担することを前提にして、なりたっているのです。史上空前の災害をひきおこし、回復しがたい被害を福島県をはじめ各地の住民にあたえながら、原子力発電の継続にともなう費用の大きな部分を社会、すなわち国民に転化し、原子力災害の危険に目をつぶって、各地の原発の再稼働を急ぐ日本の電力業界、またそれと一体化した日本政府の態度は、利潤第一主義の害悪の、現代における最も象徴的な現われだといっても、けっして言いすぎではないでしょう。


「てんがらもんラジオ」に繋げる。

2018-09-26 12:20:22 | 「てんがらもんラジオ」

ブログ読者の方から「FMぎんが」への接続の仕方の問い合わせがありましたので、 ここで私の接続の仕方ですが記しておきます。

Google 等で「FM聴 for Commuity」と検索してみて下さい、

出た画面のなかのここをクリック、

 すると、多くのFM局名が出ますので、ここをクリックする。

 

なお、「てんがらもんラジオ」を聴きながら録音出来るアプリがありました。アイパッド専用かiOSだけなのかわかりませんが、私のアイパッドでは使えます。

これも「FeedBackRec」で検索すると、

 これをクリックする。

録音で注意をするのは、ラジオ音だけでなく周りの音も入ります。「てんがらもんラジオ」だけを録音するわけですから、静かな場所に置いてということですね。


不破さんの「未来社会論」ー3ー「社会的格差」

2018-09-25 17:47:31 | kaeruの『資本論』

   今日の「しんぶん赤旗」の記事です、11月6日の米中間選挙に向けての政治戦の動向のひとつ。

   不破さんは〝『資本論』のなかの未来社会論〟(「前衛」10月号)のなかで三つの問題点をあげ〝「(資本主義の)必然的没落」の論理は、マルクスの時代以上の深刻さと強烈さをもって、21世紀の資本主義の前途を照らし出しています〟と論文の締めの部分で述べています。

   三つの問題点の第1にあげられたのが「社会的格差の途方もない拡大」です。

 

  社会的格差の途方もない拡大(該当節全文)

【 ➃は新日本出版社版の『資本論』の該当巻と該当ページを示します、他◯内は同趣旨。★部分の説明は省きました。】

  まず、資本主義がうみだす社会的格差の問題です。マルクスは、『資本論』第一部で、工場など直接的な生産過程の内部における搾取の実態の詳細な分析をすすめますが、最後の第七篇では、視野を社会全体にひろげた特別の一章をもうけました。そしてそこで、資本主義的蓄積のもとでは、「現役労働者軍」を広大な規模の「産業予備軍」が取り囲むという独特の人口構造(相対的過剰人口)が生まれることを明らかにしました。こうしてつくり出された社会状況が、社会全体の規模での経済的格差の拡大、すなわち、一方の極(資本家階級)では富の蓄積が、他方、その対極(労働者階級)の側では、「貧困、労働苦、奴隷状態、無知、野蛮化、および道徳的堕落の蓄積」という社会の二極分化を必然的に生み出し、拡大するのです(④108ページ)。
  マルクスは、続く部分で、「1846〜66年のイギリス」を例にとって、この分析を統計的に実証し、格差の途方もない拡大を嘆くイギリ  スの政治家グラッドストンの言葉を引用します。
 

   「人民の消費力が減退し、労働者階級の窮乏と貧困とが増加しているのに、それと同時に上層階級における富の不断の蓄積と資本の不断の  増大とが行なわれているということは、この国の社会状態のもっとも憂鬱な特徴の一つである」(同前1118ページ) 


  現代の資本主義のもとでは、社会的格差の拡大は、グラッドストンが聞いたら、「憂鬱」どころか、失神してしまうだろうほどの、いわば天文学的 規模にまで拡大しています。
  富と貧困の格差の問題について、系統的な調査にあたっているオックスファムという国際民間団体があります。

   この団体は、毎年1月に、前年度の調査結果を公表するのですが、今年1月に発表された2018年版報告書『資産ではなく労働に報酬を』の内容は、次のようなものでした。


  「最新報告書では、昨年、世界で新たに生み出された富の82%を世界の最も豊かな1 %が手にしたことが明らかになりました。一方で、世界の貧しい半分の37億人が手にした富の割合は1%未満でした」


  世界の人口は約74億人ですから、「最も豊かな1%」の富裕層の数は約7400万人です。この7400万人が世界の富の82%を手にし、37億人の貧困層が1%にも満たない富を分配しあい、「最低限の生活水準を維持することのできないレベルの賃金で厳しい生活を余儀なくされている」というのです。そのあいだの格差は、なんと4100倍をこえます。この途方もない格差が、世界の現実なのです。
   報告書は、貧富のこの格差が年々拡大する傾向にあることを指摘し、その原因についてもリアルな分析をおこない、社会格差の拡大が女性差別とも結びついていることを指摘します。


 「世界の億万長者の資産は、2010年以降、毎年平均して13%増加しています。一方では、一般的な労働者の賃金収入は、毎年平均し2%しか増加していません。また億万長者の数は、1年(2016年3月〜2017年3月)で2日に1人と、これまでにない水準で増えています」


「株主や経営層の報酬が増加する一方で、労働者の賃金水準や労働環境は改善していません。その具体的要因は、労働者の権利保護の衰退、大企業による国の政策決定への過剰な影響力の関与、そして株主利益最大化のために追求される企業の容赦ないコスト削減です。
   

 「女性労働者はその中でも苦しい立場に立たされていることが多い存在です。世界各地において女性は男性より賃金水準が低いばかりか、賃金が低く、雇用の不安定な職場ほど女性が多い傾向があります。一方で、億万長者の19人中九人は男性です」。


   ここには、21世紀を迎えた資本主義の危機的な現実が、動かしがたい数字で示されているではありませんか。利潤第一主義がひきおこし拡大してきた社会的格差の拡大は、人間社会にとって危機的な状況を、世界的規模で、またこれほどの深刻さでひきおこしているのです。

 以上、掲載文了

 

16年の大統領選で起きた「民主的社会主義」の旋風の再びの現象です。

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