kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

私と私達はどういう時代に100歳に向けて生きていくのか。

2023-02-07 23:54:00 | 100歳へ上手な生き方

いきなりのタイトルになったな、という感じですが……。

国連という人類社会全体の立場に立っている人の言葉を、一国家の一国民が共有することが、この危機から抜け出せる道ではないかと思うのです。

ウクライナ紛争の拡大危惧 国連総長(AFP=時事) - Yahoo!ニュース

ウクライナ紛争の拡大危惧 国連総長(AFP=時事) - Yahoo!ニュース

【AFP=時事】国連(UN)のアントニオ・グテレス(Antonio Guterres)事務総長は6日、ウクライナ紛争がエスカレーションの末、世界を巻き込んだ「広範な戦争」へと発展する...

Yahoo!ニュース

 
動画:人類滅亡まで残り90秒 「終末時計」、ウクライナ危機で最短更新

動画:人類滅亡まで残り90秒 「終末時計」、ウクライナ危機で最短更新

【1月25日 AFP】米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ(Bulletin of the Atomic Scientists)」は24日、人類が滅亡するまでの残り時間を象徴的に...

 

 

 

これは未だ読んでいないのですが……。

“人類滅亡”まで過去最短、「世界終末時計」は見直しを迫られている

“人類滅亡”まで過去最短、「世界終末時計」は見直しを迫られている

“人類滅亡”までのカウントダウンの残り時間が「90秒」と過去最短を示した「世界終末時計」。核兵器による終末への秒読みを刻み続けてきたが、現代においては気候変動と核戦...

WIRED.jp

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100歳でもブログガーで……。

2023-01-31 20:38:29 | 100歳へ上手な生き方

今日の午前中は山本さんとの別れ=葬儀に……(「つぶやき」は後日に)、

そして午後は、この人にお会いして来ました、

つい最近91歳になられた仲築間さん、話の内容はこれも後日に……、85歳のブロガー・kaeru-23として先輩ブロガーの意気込みを吸収して来ました。

「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ【「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog】

goo blog

 

もう一つ、

憲法とメディア オフィシャルサイト

SNS の普及に目を見張る数字があります。 

『選挙活動の手引き』です、日本共産党発行の2023年版から……。

ページから下の鉛筆書きは9200万人という数字に驚いて算数したら日本人全人口の73%を越えるのです、葉山町では2万3千人がLINEで繋がる、バスに乗ってとなりの人と前の席の2人のうち3人はLINEで繋がっている!

そういう時代に高齢者になるのですから、仲築間さんやこの「100歳人気ブロガー」を目指そうと85歳は思います。

100歳で人気ブロガーになり映画出演も。ダグニー・カールソンの「人生訓」とは : BIG ISSUE ONLINE

100歳で人気ブロガーになり映画出演も。ダグニー・カールソンの「人生訓」とは : BIG ISSUE ONLINE

 ダグニー・カールソンは1912年生まれ。タイタニックが沈んだ年だ。スウェーデンのクリシャンスタード市にて、金物屋のビクトール・エリクソンと妻のシグリッド・エリクソン...

BIG ISSUE ONLINE

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続 100歳まで……。

2023-01-20 18:28:42 | 100歳へ上手な生き方

100歳まで、と言っても100歳で「ハイさようなら」ということではないのです。でもね、そうは言ってもこれは(100歳まで)はなかなかのことでしょう、「棒ほど願えば針ほど叶う」の喩えでのことにします。

今日も夕方になって「てんがら川柳」の〆切日だった、と取り急ぎ詠めていなかった❷を思いつき、送信しました。

❶  渡すものバトンとタスキに己が遺志
(駅伝もリレーも人生も次へ……。)

❷  渡すのはタスキに託すスタート心

❸  終焉はゴールと違う急がない
(急ぐゴールを積み重ねた後のゴールは急がない)

昨日の100歳話の残り火のような句になって恐縮ですが、人生の長さ=年齢にも「量と質」の両面があって「どういう人生をどれだけ生きてきたか」が語られなければ、ということでしょう。

 

ここまで 「つぶやき」、外出して寄った本屋で、

こんな内容なので立読みだけでは紹介出来ないでしょう、と

その内容は、

昭和4年12月と5年1月生まれの2人の電話でのお互いの「語り」を文字起こししたもののようです。お二人とも奥さんを亡くしておられます、そこは絶対に同じにはなりたくないのですが、100歳到達前にこの行程があることを知っておかねばなりません。

「百歳前をどう生きるかだよ」、これはカエルの毎日への指摘です。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100歳まで……。

2023-01-19 21:30:37 | 100歳へ上手な生き方

昨日92歳の誕生日を迎えた御婦人が100歳に向けて今日から幾日なのか、計算してみました。

「⭕️⭕️さん92歳から100歳へ」今日から2922日です。

私は幾人かいるこの御婦人Sさんのボーイフレンドの一人だと思っていますので、元気で100歳を迎えてもらいたい、それにはこちらが元気でいなければ、と我身大事に繋がり、私の100歳まで計算してみました。

もう既に今日あることを予想して、昨年6月1日(公式誕生日は6月23日ですが生まれたのは1日)の誕生日を起点に自動的に計算し、5480日要するうち、今日までに233日過ぎています。

実はSさんの誕生日が18日だという記憶だけで、あるいは違ったか? と迷いもあり「お目出度う❣️」を発信しなかったのですが、Facebookに誕生日祝いのメッセージが出てきたので、「92歳お目出度う」より「100歳までおつきあいを宜しく❗️」に替えて明日お届けしよう、と思ったところでした。

そして、2025年1月1日には「葉山町制100周年」を迎えます。それに向けて仲間の100歳と自分の100歳を共に祝う仲間づくりをこの町で手がけていこうと思います。その活動は、この町の100歳時代に応える町づくりに繋がるものでしょう。Sさんに「その中心になって下さい」とのメッセージを発しようと思っています。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100歳への漢字

2022-11-13 21:19:09 | 100歳へ上手な生き方

このタイトルは、ここからです

「編集後記」も添えておきます。

一九世紀、 或いは明治時代を遠からぬ過去と感得する時間軸において百年という歳月を捉えるとき、それはさほど遠大な “ 過去 ” ではない。 しかしながら、そこに存する人物と出来事の照応、彼/彼女たちの(その都度の)感慨を私たちが与り知ることはない。 白川静は自らの生まれ年に起きた大逆事件、或いは二六歳のときに起きた二・二六事件を如何に見据えていたのか。 *万葉仮名に伏在/顕在する漢字が招来するもの、削字される甲骨文と載字される墨書との間にあるものが 「詩/書物」 となるとき、声と形が遊離する瞬間の詩句はどのようにこの耳に響くだろうか。 白川静は幻視の人ではない。つい先刻の詩情の廃滅した荒漠たる風景を忘れようはずもないのだから。 その影絵をかき消すように白川静は漢字と日本語を畏怖し、祝するのだ。*本特集にあたって多大なご助力を頂きました津崎史さんに記して感謝申し上げます。(A)

「白川静」この人をこのブログでなんと呼べばいいのでしょう。この編集後記のように呼べるのは「ユリイカ」というこの本が「詩と批評」を称しているからでしょう。先生と呼べるのほど身近では、ないどころかお会いしたこともありません。ただどこかで例えばある学校のような建物の廊下ですれ違うようなことがあったら、頭を下げながら「白川先生」とつぶやいたでしょう。だとしたらここでも、白川先生と記していきます。

多分、このところ100歳を我が事として考えはじめたところに、先生の名前に「100歳から始める漢字」と添えられていて、先生の生誕100年であり没後であることを知りました。

永福寺を「ようふくじ」と読むとかがあって、漢字に気持ちが傾きかけたところにこの本です。漢字に引かれることと100歳を考えることが一緒のことではないか、と……。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生100歳時代と死刑制度

2022-11-11 23:06:01 | 100歳へ上手な生き方

100歳時代を語る一方で日本の死刑制度について考えるということになって、これはかなり大事なことなのではないかと思っています。言うまでもなく例の葉梨前法相の9日の発言がきっかけですが、その発言から

葉梨康弘法相が9日の武井俊輔外務副大臣の政治資金パーティーで発言した主な内容は以下の通り。
 だいたい法務大臣というのは、朝、 死刑のはんこを押し、 昼のニュースのトップになるというのはそういう時だけという地味な役職なんですが、 今回はなぜか旧統一教会の問題に抱きつかれてしまいました。
 ただ抱きつかれたというよりは、 一生懸命その問題、 解決に取り組まないといけないということで、私の顔もいくらかテレビに出るようになったということでございます。
 外務省と法務省、票とお金に縁がない。外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。法務大臣になっても、お金は集まらない、なかなか票も入らない、となると、しっかりと良い仕事を武井さんにしてもらうためには、物心両面で支えていただかないと。 私も支えていただきたいというのが本音ですが、 なかなかこの日本の国を良くすることはできない。」

死刑は法務大臣の命令として執行されるもので、人ひとりの生命を法の名の下に奪う権限の行使で、その行為が「はんこを押す」ことなのです。「はんこを押す」ことは死刑執行=絞首刑が施行されるのです。その実態を知ることは日本の死刑制度を考える前提でしょう。

 

日本弁護士連合会:死刑廃止を考える[Q6]

日本弁護士連合会

 

 被執行者の状態 2002/4/3衆議院法務委員会議事録 ・ 抜粋

(大島令子議員)憲法36条、 もう既にどなたも御存じだと思いますけれども、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」 と。 憲法ということで広く知れ渡っておりますけれども、私は、名古屋拘置所で昨年12月27日に処刑された死刑囚の遺体を見て初めて残虐な刑罰であるということを感じました。
 ここに、法医学者が、「死刑による肉体の破壊」ということで文章を書いております。
 死刑の執行が肉体に及ぼす影響もまた甚大である。その様子は、「がくりと首を折り、飛び出した眼球。 人によっては鼻血を吹き散らし、口からは舌とともに白いような粘液を吐いてこときれている死刑囚。 つい20分足らず前には、 自分の足で処刑されるべく歩いていた一個の人間。 ひとつの生命体が、こんな無惨な変わり果てた姿になって、 だらりと吊るされている」と報告されているとおり、 目を覆うような凄惨な状況を露呈し、仮に瞬時に死刑確定者が意識を喪失するものであったとしても、これが過酷な肉体的苦痛や熾烈な肉体損壊をもたらすものであることは否定できない。
 ちなみに、 法医学者は、死刑屍について 「顔面は淡紫紅色を呈し、 鼻翼を圧するに右鼻孔から汚穢淡褐色でやや希薄なる液をもらし、 死体の位置を動かす毎に口腔から前記同様の液をもらす。 舌尖」 舌のことですが、「舌尖は歯列の間に挟まれて歯の痕がある。 頸部臓器は、 甲状軟骨の上部で皮下組織を残して殆んど全く破断せられ、 胸骨舌骨筋、扁甲舌骨筋、 甲状舌骨筋、 中舌骨甲状靭帯は離断せられ、甲状軟骨は上切痕から下方に向かって破砕し、 左右径6cm、 上下径2.5cm、 前後径4cmの空洞を形成する。」 首の中が空洞ということでございます。
 左右の胸鎖乳様筋の上部に約扁桃大の筋肉間出血があり、 咽後結締組織間に約しゅけん大の組織間凝固を認むる」 として、14例の死刑屍の解剖所見からこの法医学者はこのように述べています。 「死刑屍の頸部臓器は一般縊死の場合と異なり、 広範なる範囲にわたりて断絶させられ、 甲状軟骨体及びその上角並びに舌骨大角の骨折、 筋肉の離断及び出血、頸動脈内膜の裂傷若しくは断裂、 頸部脊椎の骨折等を認めた」 ということで、 絞首刑の執行に激しい肉体の損壊を指摘しております。
 今大臣がごらんになった写真も、 縄の跡がここに見えました。 私も、 首が長く伸びているな、 何でこんなに首が伸び切っているんだろうという写真を見まして、なるほど、 法医学者のこの鑑定のとおりだなということを感じたわけなんです。

参考 国会会議録検索システム

 

明後日・11月14(月)は、

法務大臣がどういう風に死刑を観ていたか、この事と現在の死刑のあり方がその「残虐性」に於いて表裏の関係にあると知りました。このような国家の下で「100歳まで生きる」生き方も、考えを深めていかねばの思いを強くします。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100歳へ向けて。

2022-11-10 20:12:17 | 100歳へ上手な生き方

96歳の元気なご婦人のことに触れて、昨日「つぶやき」ましたが、今日もその人のこと。以前、テーブルを同じにして食事したことがあります、その時話のなかで、その人の日程を書き込んだ手帳を見せてもらいました。驚きましたのは毎日というほど出かける予定でいっぱい! 

同席していた91歳と84歳もご婦人はそれぞれ杖を頼りの歩きでしたが、彼女は杖無し、かなりしっかりした足どりです。趣味は歌、合唱団の現役の団員です、先日の「のぞみ会35周年のつどい」では、幕開けに「荒城の月」を披露してくれました。100歳時代とは文字で見、口にしてきましたが文字通りの「100歳現役、近し」を目の当たりにしました。

その時でしたか、その後でしたか同席していた杖の御婦人から、自分が年齢を意識したのは、夫を看取って少し経ってからだと聞かされました。夫に当たる人は私たちと共に学習会や町政に関する運動をしていた方でした。だとすると意識した年齢は80代半ばです。日常生活が独り暮しになって「自分を考える」日常になったのでしょう。

同時にこの「杖つき老婦人」の日常を見て思うのは、自分だけの生活に縁遠いのです。ですからでしょう、その人の周りには超高齢何するものぞ!の80歳代後半のご婦人他が集まってきます、私も男友達のうちの1人を自負しています。

 

これは最近の100歳以上の高齢者数に関するグラフです、

身の回りの実感以上に男女の差があることが分かります。葉山町では、

全国と同じ9月1日時点で、100歳以上31名中女性27で87.1

80歳台が女性1,776 男性1,240 計 3,016 女性比率58.9%

90歳台が女性540  男性231  計 771  同 70.0%

 90歳台の前半、90歳〜94歳では 計 569 同 65.6%

 90歳台の後半、95歳〜99歳では 計 202 同 82.3%

95歳は77年前の終戦時18歳でした、この比率には明らかに戦争の痕があります。

こういう数値を全国的なもの葉山町のものを見ながら、元気な高齢女性の方々の姿を思い浮かべて、これは男性が踏ん張らねばならないと思わざるを得ません。そこで100歳まで生きる(かなり元気よくが前提です)としてどのくらいに日々を重ねることになるか?

それでカレンダーに入れてみました、私の公的な誕生日は6月23日ですが、実際には6月1日に産まれていますので2037年6月1日に100歳になるという計算で、2022年6月1日から5,480日目です。

毎日あと幾日で100歳? ということで今日からは(5430−163)日目です。憲法学習会など色々ありますが、これらについては予定しておくべき行事等です。

100歳までの間に毎年誕生日が来るので、節目として「86歳誕生日」などと記していくつもりです、この日付は公式誕生日の6月23日です。

さて、これから先5,300余日の間に何が起きるか、いや何を起こすか色々な事ができそうです。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敬老の日ー116歳

2019-09-17 23:20:53 | 100歳へ上手な生き方

このブログで紹介したこの人、

 

昨日の「しんぶん赤旗」潮流で、

  • きょうの潮流/「死ぬ気がせん」。116歳、世界最高齢と認められた福岡…

 こちらは、週刊新潮の8月29日号(dマガジン)より、

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喜寿って十四歳?

2018-06-22 19:36:55 | 100歳へ上手な生き方

kaeru 夫人が77歳になりまして、瀬戸内寂聴さんの『いのち』を贈りました。

一言お祝いの言葉を、と「七十七歳」と書いたら「七+七歳」になってなるほどこれなら「七+七歳=十四歳」でした。これから生命の盛りを迎えるわけです。

ならば私は明日は「八+一歳=九歳」、五つ違いの姉さん女房だった実際に近い、納得です。

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目から鼻に抜けない話。

2017-12-25 21:36:25 | 100歳へ上手な生き方

目から鼻に抜ける、とは利口な小僧を指していうことだそうです。

昔、今から何百年でも千年でもいいのですが、大仏様が出来上がって我ながら大したものだと、見上げた時、びっくり‼️

なんと大仏様の片目が空洞になっているのでした。これはどうしたことか、思うにはめ込んだ目が中に落ちてしまったのです。どうしたものかと口々に言い合っているとひとりの小僧が長いハシゴをかけ、空いた目から中に入り込みました。

やがて中から目をはめ込んで、両目開眼です。

ところが入った目の部分を塞いでしまった、小僧はどうなるのか、と心配の声は広がっていると、鼻の穴から降りてきたのでした。小僧は入る前から鼻から抜けてくればいい、と考えたのでしょう。

   さて老カエルは、鼻はつまり目は出血が残っている、とても目から鼻に抜けられる状況ではありません。目の出血は先々週の木曜日「てんがらもんラジオ」の川柳の時間、今日は耳を傾けて目を開けてと思っていたのですが、朝食の時義妹が「兄さん、目が真っ赤よ」と。なるほど縁ばかりでなく眼球の周りも赤、別に痛くもなければ痒くもない、そう言うと「自覚症状がないのが危ない」と言われて、いつもの診療所へ。

このところすっかりお馴染みになってしまった先生は、特に難しいことは言わないので、こちらが心配顔をしていると眼の先生に、眼科にと専門医の話を聞いたら安心するだろうという感じでした。そこで近くの眼科に、出血は結膜下出血というほっといても自然と治るものでした。でもやはり専門医で精密検査は受けるべきもので、緑内障とは言わないが白内障ではない障害がある、との診断。

今日は耳鼻科で鼻の検査、依然として鼻水が裏側をまわって喉に落ちているのだそうです。こんな鼻の中を通ったら利口な小僧でも滑り落ちたことでしょう。

目から鼻に抜けない、という鼻詰まりのつまらない話でした。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする