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葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「頭痛鉢巻き針仕事」

2025-03-16 17:32:32 | 健康・からだ

「頭痛鉢巻き針仕事」朝寝床のなかでこんなことを呟いて、もう少し寝ていようと思っているうちかなり深く寝込んでしまったようで、妻に起こされた時10時を回っていました。

寝てから3度目のトイレの時頭痛を感じて、朝食の支度に入っている妻に「午前中寝かせてくれ」のSNSを、と思いつつ頭に浮かんできたのは20年くらい前の頭痛のこと。その頃ほぼ毎朝起きて気づくのが頭痛、頭痛で起きるというほどではないが……。気になりながらも起き出して、動いているうち普通の頭になっているのです。

その頃はまだ仕事に出ていたので、動きのなかで脳内の血の巡りも良くなり頭痛などという淀みも無くなっていたのでしょう。

ただ寝起きの頭痛は数ヶ月か1年くらい続いていたと思います、特に医者に行かねばと感じるほど痛みが高じることもなく、いつの間にやら……。痛みを感じ始めたときと同じで気がつくと……、でした。   

そんな体験があるので、今朝の頭痛には「あれが始まったのか?」と。その時でしょう、タイトルの言葉「頭痛鉢巻き針仕事」。これは母親というよりお袋の針仕事の時、ときどき針から手を離し額に当てるのが浮かんできたのです。特に病というほどでもないが痛みは痛みとして、手を当てたくなる。確か当時のお袋の針仕事には、家族の物とは別に「稼ぎ」分があったと思います、手内職の一つでした。

自分の家のことでしたら手を休め横になり身体も休めてから、という場面でも、約束事の手仕事では針を運ぶ手が額に充てる手でもあり己を庇いつつ家計の穴を埋めていたでした。70年ほど前の日本の家庭では、よく見られた母親の姿だったでしょう。

さて、我が身の頭痛は? 

妻に「頭が痛い、午前中寝かせて」と言って寝込んでいたら、30分くらいしてコーヒーを持って「身体を温めなさい」と。「有難う」と起き出し机に向かい温かいコーヒーを……、コーヒーが胃に入ると同時に頭から痛みが抜けていく感じ、本当にアレという感じでした。


疲れはしましたが……。

2025-03-11 22:20:56 | 健康・からだ

「今日は疲れた!」、夜の8時半くらいでしょう、家に戻っての老夫婦揃っての声。この疲れには、身体の疲れもありますが、より以上に疲れを感じたのはココロ・神経です、私以上に神経を疲れさせたのは妻でしょう。

今日の午後行って導尿カテーテルについて、自分でやれる様教えてもらうことになっていたのですが、病院のカテーテルの「不備(尿漏れ)」が気になりクリニックで対応してもらえる様にクリニックとの間で、朝のうちに相談できました。

午後一番で、そのことを病院に伝えて「そちらには行きません」との趣旨を妻が、難聴の私に代わって電話で伝えてました。そのやり取りが長くなり傍で聴いていて、気持ちが苛つくのです。病院の方としては「当方のカテーテルの不備で尿漏れ」には、頷くことは出来ないでしょう。かなり言い合う時間をとって、結局は患者としての言い分を聞いてもらう形で〆。

夜、最終の患者としてクリニックに診察室に、その時医師が渡してくれた「自己導尿(男性用)」の説明書がこれです、

私はこれを見て、自分のクリニックに頼むという選択が間違っていなかった、と感じました。ここには自己導尿用のカテーテルの具体的な図があります。私はてっきり自分がつけている尿道口から30センチくらい垂れているカテーテルをつけ続けるのだと思い込んでいたのです。

昨日アップした病院にものは、

これを開くと、

これは患者に理解を求めるというより、看護師等の説明心得的なもので、男性女性の区別もありません。

クリニックの「男性用」とした説明書の二頁目には、尿道口からの挿入図があります。患者としてみれば自分が対応する事態が想像でき、説明を聴かねばと感じるでしょう。今日はクリニックのカテーテルに換えてもらう、来月に自己導尿のやり方を教えてもらうことにしました。

疲れはしましたが、長い目で見れば「大きな疲れ」を防げたと思います。


「自己導尿」との付き合いの始まり?

2025-03-10 16:33:52 | 健康・からだ

昨日の希望的想定は、

〝明日は、尿道カテーテルが外され、がんについては前回同様「問題ありません」で、膀胱炎頻尿症について若干の注意と何かしらの薬の処方で済むと想定してます、がさて?〟

でした。さて?

病院から、

というA4二枚の説明書をもらって、はじめて「自己導尿」という言葉を知り、今日尿道カテーテルを外すことが出来る!という希望的想定が外れたことになりました。

説明書の内容を披露するより、こちらで一言、

私としては「排尿障害」「尿が出せなくなった」という自覚がないのです、反対に「頻尿症」だなとは思いました。それも排尿障害なのでしょう、が……。

今日は女医さんが、カテーテルの挿入をしてくれましたが、これを自分でやるから「自己導尿」というわけです。それを明日指導するのでおいで下さい、ということで予定を変更して「来ます」と返事をして来ました。

ところが、帰りの歩行やバスの中では問題無かったのですが、バスを降りて我が家に向かう途中で、尿漏れです。これは初めてのこと、逗子のクリニックで入れてもらったカテーテルを一週間くらい付けていましたが漏れる、というようなことはありませんでした。

2種類のカテーテル、病院で付けたカテーテルとクリニックの物を思い出して比較すると、カテーテルの排泄口部分が違いました。まずクリニックは蓋の柄が長く安定して開け閉めが出来ること、何よりも排泄口と蓋の両方にゴムのパッキングが付いていることです。

病院のものは柄は短くパッキングが無い、素人判断ですが使用者判断としては、この違いは大きい、と思います。ということで、明日の病院行きの前に、クリニックと相談する時間をもらえれば貰い、その後病院へと考えます。

自己導尿が一時的ではなく、もしかするとこれからズーと「自己導尿と付き合う、かも」という感じの今日の病院での話でした。となると一日かけての病院より、半日のクリニックです、何よりそのカテーテルの違いが決定的です。

導尿とは別にもう一つ、前立腺のこと。医師からこちらからも話に出て来ませんでした、少なくても緊急手術が必要! ということでは無いのでしょう。

さて、明日は? 


六寒二温、 体調、 そして……。

2025-03-08 17:51:44 | 健康・からだ

六寒って? 今日が3月8日ですが、3月に入ってここ葉山では春らしい暖かさは昨日と一日(ついたち)だけだった、ということ。三寒四温の割合になるまで待ち遠しいです。

昨日暖かったので、庭に出ました。

かなり散ってしまった枝垂れ紅梅、後4、5日早ければ「綺麗ですね」と言われたでしょう。

こちらは蕾を見せてくれる桜の老木です。

この寒さで膨らみを遅くしていますが、確実に大きくなっていく自然の営みの確実性。

とはいえ、昨今の山火事と気候変動が関連しているということなど、気候変動が自然界に与える影響に例外はない、この桜の老木、蕾も私がここに住み出した60年ほど前とは違った気候条件のなかで、老木としての四季折々を過ごしているのでしょう。

このブログの名前に添って、また葉山町100周年と言うならば、この100年間の町の年間平均気温とか、季節ごとの特徴とか、農作物の変化とかに目を向けなければ、とも思います。

体調不良で今日は昼の集まりと夜の会議を欠席したのですが、その分頭のなかの時間帯は長きなっているようです。

さて、2月の18日のブログで、

〝次の3月8日には、本(『「がん」はなぜできるのか』)の該当頁の紹介と私の前立腺に対する医師の判断も報告出来ます。〟

としたのですが、「医師の判断」云々は病院の都合で先延ばしになっていますので、取り敢えず本の紹介を別立てで……。


「がん」—64付ー この本も……。

2025-02-28 18:47:07 | 健康・からだ

18日に『「がん」はなぜできるのか』を紹介し、3月8日から「読む」を再開すると書きました。

それは娘の命日の8月8日に因んでのことでした、そして今日も8のつく日です。

そこで—65—でなく、—64付—として記しておきます。

まずこの本、

『がんから始まる生き方』 - 葉山の四季

『がんから始まる生き方』 - 葉山の四季

『がんから始まる生き方』というこの本は読み応えのある本ですが、かなりの部分が未読のままになっていました。一昨夜知人からのメールに身内が膀胱癌になり入院することに...

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養老さんの名前とか、『バカの壁』の著者で鎌倉在で虫好きなどなど耳にはしていましたが、『バカ〜』も読んでいませんでしたので、新聞や雑誌のエッセイ的なものを別にすれば、この本が「養老もの」では初めてだったでしょう。

しかし、これを読もう買おうと本屋で思ったのは、養老さんが……、ではありません。この本は、養老さんが柏木さんのがん治療を中川恵一さんに依頼して、柏木さんの治療過程を三者で語り合ってる内容です。

それだけでは多分、養老さんが……、だったでしょう。ところがこの本を編集する過程で、中川恵一さんが自分の膀胱がんを自分で発見するのです。

そのことを知って私膀胱がん患者として「読みたい、読まねば」になったわけです。

今日、尿道カテーテルの違和感を押さえながら外出、この本を買って来ました、

養老孟司さんは肺がんです、膀胱がんではありません。この本は肺がんの患者を膀胱がん経験者の医師が治療している、多分経過報告です。

明日から読み出し、「がん—○○—」にも内容を紹介したいと思います。

中川恵一さんのYouTubeを貼っておきます、短いですが有益な話です。

 

   


素人判断の危険性 その2

2025-02-27 22:32:39 | 健康・からだ

いま25歳の孫が3歳くらいの時でしたから、20年以上前になります。

孫とその母親である娘とジジババの4人で、温泉に行こうと一泊の小旅行に。宿に着き一休みして温泉街を歩こうと出かけたのですが、私は腹が痛むからと部屋に残る事にしました。

その腹痛はその日だけでなく、2カ月くらい前から時々……。横浜で市内を歩いていて痛みが、トイレで座っていてもおさまらず我慢できず便器を囲むようにして床にうずくまったこともありました。

話は、それほどまでになっても、腹痛原因は腸のどこかにガスが溜まった結果だと思い込んでいたのです。ですから妻たちには横になっていれば治るから、と言っていたのが街から戻ってきても寝てるし夕食も要らないということで、尋常ではない帰るかと言われましたが、起き上がることは出来たので、明日病院へということになりました。

翌日逗子市の病院に……、現在は病気の件一斎民医連の逗子診療所に相談するのですが、当時はその繋がりもありませんでした。行った病院が院長が不在だったかの理由で、診てもらえなかったのです。腹痛もなく別の病院へ寄ることもなく帰宅、翌日大きな病院で診て貰った方がいいと妻が言うので横須賀市立病院へ行きました。

それが死なないで済んだ選択で、年配の女医さんが下腹部を触って、

緊急手術! ヘルニアでした。

手術室から病室に戻って、女医さんが「あと半日遅かったら危なかったでしょう」と言われことは忘れません。

そしてもう一言、麻酔から目が覚めて医者が「40センチほど腸を切り取りました、見ますか?」の言葉と「見ません」と言った返事です。その後のことを考えてみると、見ておくべきだったと思うのです。

膀胱がんでは自分の膀胱内をレンズ通して見て、心臓の病では自分の血管の動きを画像で見ています。「自分」とはどういう肉体物なのか、内臓とは?腸とは? 

頭の中の「自分」の素になっている「自分の構成物」、そこがどうなっているか、自分のものであるが自分には解らない、が前提です。それを解ったことにするのが「素人判断」でした。


素人判断の危険性 その1

2025-02-26 23:42:18 | 健康・からだ

この三夜ほど15分間隔で尿意で目覚める、の繰り返しで過ごしてきて自分なりに何が我が身に起きたのか⁉️

「この薬の所為だ!」と思い込み始めたのがクリニックで処方された薬です、今月3日から飲み始めて頻尿が弱まらない、効かないから飲まない、と言ったら妻が漢方だからゆっくり効くよ、と。

やめないで続けていたら効かないどころか、放尿しようとすると痛む、こうなったら断固飲まない!ということになったのが15分間隔症状になる前々日くらいだったでしょう。

その辺で、かなり以前痔を患った時期があったこと、それが今まで患ったことさえ忘れて過ぎてきたが、この薬がなんらかの影響して諸症状のもとになっていると、「思いついた」のです。

その証に、尿意を感じても放尿されない、便意が解けないと放尿にいかなくなっているのは、痔の痕が影響して便意のもとになっているのではないか、と「確信した」のです。

そこで昨日15分間隔症状のデータをまとめ、痔の痕のことも記したもので医師に説明しょうと思っていたのです。

医師の開口一番は「検尿で膀胱炎が判りました、カテーテルを入れます」ということ、妻が「痔の痕が原因では?」には「それは違います」と。

そういう経過を経て、昨夜からゆっくり眠れ、便は便尿は尿で排泄される普通の糞尿排泄状況になりました。

さて、「その1」としたのは今回の素人判断は「良い勉強をさせてもらいました」クラスの話ですが、30年ほど前「あと半日医師に罹るのが遅れたら(命が)危なかった」と手術後、医者から言われた我が身の話を明日はしようと思うからです。


三連休後のクリニック待合室

2025-02-25 21:40:36 | 健康・からだ

三連休後のクリニックの待合室は、満員座るところが無い、と思ったら中央の柱の陰が空いていそう。回ってみると2人分の席が……。もちろん私たち夫婦のためにではない、多分病室に入ったばかりの分で、これも老夫婦だったのでしょう。

そして皆さん予約されていた人たちでした。妻が言うには、予約以外の人は11時30分以降受付、と言われていたそうで私たちが着いたのはその10分前ぐらい。それにしても12時に向け、満員だった席が空き始めて私たち以外に後から来た一人が残って待合室が淋しい、という感じになって私たちは診察室へ。

そこで思い出したのですが、私は診察室の斜め前に座って自然と患者さんの出入りを見ていました。診察室の出入りの2人組が多かった、老夫婦、杖を頼りの父親風の方を支えながら室に入るこれも初老のご婦人、なかには杖を付きながら覚束ない足元の男性が、多分友人知人かと思われる体格のいい老人に頼りながら帰って行く、そんな組合せの終わったあと私たちが呼ばれて診察室に……。

私の診察の結果は明日あらためて記しますが、今日の大小の病院クリニックの待合室の光景は、全国で同様に見られたでしょう。そして今夜どんな思いで昼の診察結果を思い出しているでしょう、あるいは夫婦家族等の話し合いになっていることでしょうか、あるいは一人悩みつつ床にいる人もいるでしょう。

人生最終期の病気診断は病気によって違いもあるでしょうが、日常の生活にどう影響するかと同時に、人生の仕上げにどう向かうかの判断と行動に関わることになります。そんな思いを起こさせる三連休後のクリニック待合室でした。


患者の責任

2025-02-24 22:59:59 | 健康・からだ

昨夜「自分の身体への責任は持てない」という風に「叫んで」しまいましたが、病院医者に依存しながらも、それだけに病院医者への病状を正確に伝えるのは患者の責任であり、患者をはじめ患者側の病状理解が医者の病状判断の重要な判断資料でしょう。

その意味で、頻尿症を抑えるため飲み始めた薬によって異常とも思われる頻尿状況についてしまった具体的な経緯を記録として提示されなければ、医者の状況判断も正確になるのが難しいでしょう。

そのためかなり細かく記録してみて、その過程で自分のかなり以前に罹ったいぼ痔の痕が影響しているのではないか、と気付かされたのです。まったく忘れていた古いものですが……。

そんなことで病気を治すうえである意味で「患者の責任」をもっと自覚していかねばとも思いつつ、頻尿に悩んでいます。