怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

10月17日  綴れなくなった、中学との交換ノート

2011-10-17 09:03:01 | 学校に対して
「交換ノート」と思っているのは、私だけかもしれない。
先生達には、学校には、遺族の 母親の  我がままに  つきあっている、 としか思われていないだろう。

相変わらず、先生達の手紙には、学校が娘の命を奪ったという姿勢も、親の人生を狂わせたという気持ちも感じられない。
どこか 非は、事故を起こした隣県 という 責任転化 が感じられる。    学校側も  被害者だと。
先生達から綴られるのは、学校生活の綴り文ばかり。

必死で遺族の   哀しさ、   無念さ、   悔しさ、   怒り、    を感じて欲しくて綴り続けていた母親の私。

だんだん学校側の誠意のない対応からも、ノートの左ページに、  綴っていても無駄だとわかってきた・・・

2ヵ月綴っていなかったノートを、10/14の金曜弔問の際に、学校側の行事のない今日 月曜に取りに来てもらうように頼んだ。
来月の合唱コンクールで娘が、同級生達と練習するはずだった、曲の歌詞がノートに貼られいるのを、娘の祭壇に数日でも供えてやりたくて。

今晩中学に返す交換ノート、、何も綴れない白紙のまま・・

家族で綴っていた、「家族交換日記」と同じ、事故のあの日から綴れない・・・