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怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

12月23日  菜の花キャンドルを豊橋で7<第5回豊橋第2回>

2014-12-24 07:52:17 | 学校に対して
昨日23日に近くの校区公園で今年も菜の花キャンドルをした。

同級生が集まってくれるか心配したが、40人近い同級生が寒さの中キャンドルに光を灯してくれた。

主人が私を17時前に連れて行く時に同級生が集まっていることを教えてくれ嬉しかった。


*****
書類送検から2年、事故から4年半。

いったい起訴や刑事裁判はどうなるのだろうか。

こころの納得もつかないまま月日だけがすぎていく。





事故の引率教諭にも菜の花キャンドルを知らせたが、

そこには

先生と名のつく人は一人もいなかった・・・









11月28日  今も続く豊橋市教育長の弔問

2014-11-28 07:05:40 | 学校に対して
11/20は毎月の豊橋市教育長の弔問があった。

いつもその月の下旬に弔問に来る章南中の校長達のことを心配している。


ありがたいことに事故から4年半近く経つというのに、豊橋市教育長も静岡県教育長も変わらず同じ人である。


私は事故当初 この豊橋の教育長が苦手だった。

事故のとき意味もわからないままマスコミが殺到する中、警察と静岡県教育委員会に浜松のホテルに隠された私と主人。

夜中の3時に謝罪に来た水野校長に、明るくなってと土下座して謝罪するボートを曳航した青年の家所長D氏。


その中謝罪の言葉もなく、「ありがとう」(時間をとってもらって?)と言って帰った豊橋市教育長。

その上その時の私達の状況がなぜか新聞報道されていた。(教育長がはなした?)


その後毎日のように(四十九日まではと)先生を連れて、保身のために弔問に来る校長。

相手の迷惑と無礼を考えない校長の言動をやめてほしいと、毎月弔問に来る教育長に頼んだ。

子供をもつ親にとって「教育長」なんて偉い人にさしで会話するなんて当時の私には考えられなかった。

下書きまでして校長の言動をやめさしてほしいと教育長に頼んだことを覚えている。


合川校長にかわったが心に傷をおった生徒達の学校運営に大変だったのか、事故の風化防止の取り組みは何ひとつもなかった。


学校に風化防止のものをつくってほしい。

「事故情報プレート」を作ってほしい。

娘に謝ってほしい。

卒業アルバムに事故のことを載せてほしい。


なにもやろうとしない学校に遺族が業を煮やし頼んだ数々。

どれも教育委員会に先ずは許可をとらなければ何もできない情けない中学。

そのつど教育長に時間のかかる学校を待ってられず同時に頼むことができた。


18日の娘の命日。

19日の教育長の大学に入ったばかりの息子さんの命日を知る私達は弔問に来た教育長にしぜんと息子さんへの青いバラを贈っていた。





*****

11/26は章南中の校長が弔問に来た。

昔の書南中の先生が綴った章南中ノートを見てもらった。

                           




      教育長の弔問は刑事裁判が終わるまで続くのだろうか・・・




11月17日 静岡検察本庁へ

2014-11-18 07:09:25 | 学校に対して
昨日 11/17に静岡検察本庁に主人と高速道路で行ってきた。



二人の検事に説明を受けながら、13時半から16時半まで刑事裁判に必要な書類をまとめられた。

警察の調書と持参するよう言われた娘の写真と娘の書いた手紙。

5枚の写真を説明しながら、金曜日まで入院していたマスクの私は涙がとまらなかった。

娘のいくつの時の写真かと説明しながら、幸せな日々を思い出していた。


初めて検事が我が家に来たときよりも検事に対する反感は薄まっていた。


娘と同じボートに乗り辞職した加藤教諭と小学校に異動した山川教諭の証人尋問のことを言われた。

豊橋教育委員会を通して何度も弔問に来るよう頼んだ山川教諭。

娘の命が亡くなったとういうのにかたくなに弔問を拒否し続ける山川教諭。


ここまで遺族感情を悪いものにして証人として刑事裁判に呼ばれるなんて・・・


以前子供さんを川の事故で失った両親が、合法的な形で復讐をしたいといった言葉が忘れられない。







*****

静岡検察に出発する前に娘の同級生のお友達から修学旅行のお土産を渡したいと嬉しいメールがあった。

帰りが19時を過ぎることを考え申し訳ないがポストにお土産を入れてもらうことにする。

11月15日  検察再度

2014-11-15 07:47:33 | 学校に対して
昨日まで難病の再発で入院していた。

個室に面会にくる主人のアイフォーンに

静岡本庁の検察検事から、

刑事裁判前に娘の写真と愛されていたことのわかる娘の書いた手紙を提出しろというものであった。


免疫抑制剤の大量投与の治療で院内はもちろん、外部もマスクが手放せない私。

浜松の検察ではなく、

どうしても車で3時間はかかる静岡検察まで両親で、

刑事裁判前に行かないといけないらしい。


抑制剤の点滴大量投与から錠剤に減るのをまって退院を主治医にお願いした。



7/14と10/3に我が家に来た検事二人。


「犯罪被害者の方々へ」という冊子で検事の説明をされた。



学校が許せないと大泣きする私。


しかし一緒に書類送検された校長の起訴はまだ重度うつ病で

薬の服用をしていることを心配して、ないと言われた。


反対にD氏側が、学校の過失をついてくることを心配する検事。


*****

入院中「花菜ちゃんのお母さん?」と中学と高校に子供がいる看護師さんに突然言われた。

いのちの日に学校長が天気図を読む必要性を説いているそうだ。



9月11日  引率教諭の弔問

2014-09-11 08:04:53 | 学校に対して
9/8にいつもの3人から毎月の弔問を受けた。

そろそろ今年年末の菜の花キャンドル開催について考えないといけない

キャンドルになかなか火が点かないという去年の苦労から、一部にLEDを使ってはという案が出た。
あと、
去年は間に合わなかった皆の休憩所としての公民館の使用も考慮し、近くの別の小さい公園に変更することを決めた。

早速主人と現場を観に行った。
          





*****
昨日10日にかねてからお願いしていた事故の引率教諭二人の弔問が実現した。 

忘れずに二人を連れて来てくれた元章南教諭で今は市教委に所属するH先生にお礼を言うと同時に、
ようやく娘の祭壇の前に弔問に来てくれた二人にお礼を言った。

私:「先生達に来て頂いて本当に嬉しいです。
   
   事故で引率した先生達誰も弔問に来て頂けず、

  あの事故が起こるまで娘が確実に生きていた事すら否定された ようで悲しくて、先生達に来ていただけるように頼みました。

  教育長は先生達が事故を忘れる訳がない と言われますが、
  
   (弔問なり再発防止の)みえる形としていただかなければ、私達には伝わりません

  先生達は異動して事故を忘れられるかもしれませんが、
  
私達は娘のいない現実に毎日泣きながら、検察が来たり刑事が来たりと

  事故はまだ続いています  。」



  久しぶりに我が家に弔問に来てくれた二人の先生は、中学から小学校に異動になったり小学校教頭になったりして
当時より柔らかになった印象であった。

  お贈りした絵本への感謝を述べられ今月誕生日の娘へのプレゼントを頂いた。  


  





*****
8/23に私の退院を待って小プロ執行役の弔問を受けた。

海難審判の結審の時に日本では皆無の、カッターボート安全管理の資料を作ると言われた。

執行役から時間がかかってしまったことへの恐縮を言われながらも、出来上がった冊子は水辺の安全について各専門家からの意見を盛り込んだA4版200ページを超える立派なものだった。




二度と悲劇を起こさないという小プロ渾身の努力の冊子をもらい、
学校側の再発防止を形に残すことを考えない反省の無さをなじってしまった私。



小プロ執行役:「本当は学校側も誘って一緒に取組みたかった。」







*****
二人の引率教諭が弔問から帰られる時思い切って言ってみた。

私:「年末の菜の花キャンドルに参加して頂けませんか
   

去年は同級生の生徒さん達も大勢参加して頂けました 

あの事故を忘れてはいけない、娘を忘れないと
 」

8月23日  夢があるっていい

2014-08-23 07:49:02 | 学校に対して
昨年12/23の菜の花キャンドルが終わったら、事故の再発防止を考えずに、
ようやく母親として花菜のことだけを考えて何か形に残したいと思った。 


ひそかに取り組んでいた事      

     それが 娘が最期に残した言葉「夢があるっていい」というタイトルの絵本 だった。 

12歳だった娘に、大好きなきれいなもの、かわいいものを残してやりたかった。




             
         ▲    絵本の挿絵の一部



そして私達を支えて頂いた方々に、ここまで落ち着いたことを知らせ感謝をこめて何か贈りたかった。





予定外の入院から退院すると、東京・大阪と完成した絵本を次々送った。





それが思いもかけず静岡新聞の取材に発展し、豊橋記者クラブの各社の取材申し込みになっていった。






*****
昨日22日に教育長と課長の毎月の弔問があった。


教育長:「新聞各社に大きく掲載されとったな。

     教育委員会にある各社の記事のコピーを後日届けさせよう。」

私:「事故の遭った青年の家での利用者さんにも読んでもらえるように寄贈しました。

   章南中の花菜文庫にも寄贈するつもりです。


   記事に掲載された絵本が読める施設の選定は教育委員会にお任せします。


   あと、章南中を異動後弔問にいらっしゃらない引率された先生達にもこの絵本を贈りたいんです。

   何か感じて欲しいと。 
 」



教育長:「S先生達も落ち着いてきて、ここに弔問に来たいとう声が挙がりはじめている。弔問拒否もされていないし。 」







                事故によって夢まで絶たれてしまった私の大事な娘・・・





































8月7日 検察が我が家に来た 

2014-08-07 08:10:49 | 学校に対して
6/29~8/4入院してしまった。  6/18からの出来事を残したい。


6/18は章南中・小学館・青年の家で事故を表す旗が掲揚された。


                         ▲雨の中の章南中



夕方には青年の家に川勝知事も追悼に来たそうである。


6/30以降市教委を通して頼んでいた 引率教員達の弔問予約も受けていた。



      諦めずに願い続ければ、要求は通じるとわかり嬉しかった。 



事故情報プレート設置・校長と教育長の謝罪・菜の花キャンドル・ハナミズキの植樹・旗・・・







*****
7/11入院している病院のデイルームで面会に来た主人と話していると主人の携帯が鳴った。



          静岡検察から7/14(月)に我が家に来て娘に会いたいと。    



書類送検から1年半。

待ち続けていた検察からの連絡だが、
突然検察が我が家に来るということと
しかも入院中で彼らの応対は主人に任せざるを得なくて、私は動揺してしまった。


7/14に応対した主人によると、
検事二人で来た彼らは30代くらいで若く、寡黙だったそうだ。

    大変難しい事故で判断(起訴不起訴)の時期は未定とのこと。 


ただ入院中に刷り上がったばかりの私が娘を綴った絵本を読み、肩を震わせて泣いてくれたそうだ。






動揺はしたが検察の動きに接し、判断は先のようだが安心した。



6月19日  来た方が楽になるのに

2014-06-19 08:24:32 | 学校に対して
昨日18日は娘の命日・学校いのちの日で、

高校を帰宅した同級生や保護者、中学を取材した記者と多くの方に雨の中弔問に来て頂いた。


その中で、菜の花キャンドルも手伝って頂いた静岡大教育課程の先生にも来て頂けた。


A准教授:「菜の花キャンドルは同級生達にとっても、 
 (今までできなかった)自分達の気持ちを表す  いい機会になったと思いますよ。」








引率して弔問にも来ない先生達も、



    (引率したのなら)娘に弔問に来た方が楽になるのに。


       先生達のためになるのに。 
 
  










*****
18日は取材に中学へ、多くの記者が行ったみたいである。



               ▲19日 朝日新聞朝刊三河版



主人と私は、中日や読売、静岡新聞の取材に際し何度も言った。



 「 6月18日は、生徒に命の大切さを教えるイベントの日ではなく、


雨天決行と言う施設に悪天候でも不安を感じず、

生徒の命を守れなかった先生達の

                  スキルを具体的に上達させる日
 

                                              にして欲しい。 」 
      










*****
多くの取材で必ず訊かれる質問。

「4年経ちましたが、どうですか?」




                4年経ってもまだ決定されない        起訴か不起訴か   


6月18日 良心の呵責もない引率教諭達

2014-06-18 06:55:38 | 学校に対して
6月に入り毎日のように昼夜を問わず一日に1件2件と弔問が続いている。

静岡県教育長に教育委員長、6月下旬に弔問予約の入っている小学館社長に豊橋教育長と・・・


しかし、

豊橋教育課長を通じてお願いした



事故で引率し豊橋で教師を続けている先生達6人(重度ウツ病の校長と辞職して大阪に住んでいる担任は除く)の弔問予約はまだ1件も入っていない。





記者の取材も中日・朝日・読売・静岡新聞と続いている。


       ▲17日の中日朝刊社会面


                          浜名湖ボート事故あす4年                                       遺族「つらさは一生」

 浜松市の浜名湖で2010年に野外活動中のボートが転覆し、愛知県豊橋市章南中のボートが転覆し、愛知県豊橋市章南中学校1年の西野花菜さん=当時(12)=が亡くなった事故は、18日で発生から4年を迎える。「先生たちは娘を守ってくれようとしたのか」。両親は悲しみが癒えず、業務上過失致死容疑に問われた当時の校長らへの疑念も消えない。  










*****
今日は命の日。豊橋の小中学校74校全校で命を考える日だ。

5/29に弔問に来た章南中柴田現校長は、学校の命への取り組みを一日一般公開にする。

柴田校長:「 74/1ではなく、うちは当該中学。 1/1です。 」










*****
5/15に事故現場の青年の家浜名湖で、静岡本庁の検事2人と静岡県警や細江署の20人近くが、また事故の検証があったという。




6/8に弔問と6/18の取り組み(追悼や安全管理、指導者の育成等)の説明に来た青年の家の新所長によると、

5/15の検証は、ボートのドレインコック(水抜き栓)が外れて水が溜まり転覆したのではということを確かめたが、ドレインコックに問題は無かったという。





*****
6/10に担当の細江署の刑事2人が来て、実際にカッターボートを漕いだことを教えてれた。

屈強な男達で漕いでも、力がいったと。





それを。
悪天候の中、「 黙って漕げ! 」 と言われた12歳の娘や生徒達・・・


事故から半年後ようやく事故の状況を訊けた時、同じボートの山川先生は
「 生徒達は泣いて漕げなかった。   辛くて泣いていた。  」と。





                    これが教育?    




 しかも引率教員達に罪の意識なんてない・・・ 


5月28日 教職員に深く捉えて欲しい

2014-05-28 07:43:17 | 学校に対して
5/26の日本教育新聞に、「新校長への伝言」のコラム最終章に記事が掲載された。

 





                     新校長への伝言



           学校の事故防止―遺族の願い 西野友章さん
 
 今回で最終回となる「新校長への伝言」では、自然体験学習で起きた事故により中学1年生の娘を亡くした西野友章さんから、学校や教育委員会に向けた事故防止への願いを発信してもらう。


                 安全対策充実し判断力磨いて

平成22年6月18日、静岡県立三ケ日青年の家で起きたカッターボート転覆事故で、娘の花菜が亡くなった。娘は当時、愛知県豊橋立章南中学校の1年生で、同施設での自然体験学習中の出来事だった。
 事故の前夜、娘は同級生と将来の夢について語り合い、しおりには、自身の夢は医師になることであり、同級生たちの夢も叶い「活躍する姿が見たい」などとつづっていた。だが、その夢は事故で永遠に閉ざされ、あれから4年がたとうとしている今も、私たち夫婦の時間は止まったままだ。
この間、国土交通省運輸安全委員会の報告書で明らかになった事実関係を基に、静岡県と同施設の指定管理者、豊橋市を提訴し、和解が成立した。 
豊橋市との和解条項には、「再発防止に向けて不断の努力をすることを約する」とある。
私たちの切なる願いは、和解条項に記されたように、この事故を、花菜の命を、再発防止の財産にしてほしいという一点である。
今、気掛かりなのは、この和解条項がどれだけ具現化されているか、教職員の意識は本当に変わったのか、ということだ。
遺族の実感を伝えることで、全国の新任の校長先生方が安全管理を充実させるきっかけになればうれしい。

①誰が安全を守るのか

娘の死因は水死であり、直接の原因は、カッターボートのえい航ミスによる転覆であった。ボートが出港する前には、大雨、雷、強風、波浪、洪水など各種注意報が発令されていた。こうした天候の中で、出港できると判断したのは施設であり、第一義的な責任は、静岡県や施設にある。
しかし、私たちの感覚では、娘を預けたのはあくまで学校である。学校管理下の活動であり、安全配慮義務がある。 
和解が成立する以前、市は、「学校は施設の専門家の指示や判断に従ったため、法的責任はない」という立場を貫き、学校もほぼ同じ認識であると感じた。こうした考えの下で、今後も自然体験学習を続けるのであれば、学校は子どもの安全を守るという意識を持つことはなく、同じような事故が繰り返されかねない。提訴の背景には、こうした危機意識があった。
後に和解条項で学校の責任が明記されたが、校長先生方には、子どもの安全確保の在り方を自ら考え、自ら判断する意識を、常に持ち続けていただきたい。

②遺族への対応

事故後の静岡県、指定管理者と豊橋市、学校の対応の姿勢は大きく異なっていた。
静岡県に対しては、娘の命が奪われたことに強い憤りを覚えていたが、4年に及ぶ関わりの中で、組織的かつ誠心・誠意に対応していることが伝わってきた。
一方で、豊橋市、学校の対応には、何度も辛い思いをさせられ、不信感がわいてきた。
最初に不信感が芽生えたのは、事故の概要を説明する臨時保護者会に「保護者」ではなくなった私たちが呼ばれなかったこと。その後も、6月分の給食費が全額引き落とされるなど、細かい話を挙げればきりがない。 
事故当日の様子について市教委や学校に説明を求めても、「国交省が調査中」「静岡県が検討中」などの回答ばかりで、市や学校がどのように向き合っているのか全く見えなかった。結局、引率した教員から話を聞くことができたのは、事故から半年以上が過ぎた12月下旬。当時の校長からは、「メモは取らないでください」と告げられ、教員に事故の原因を尋ねると、「ボートのえい航が失敗し、転覆したため」といった回答に終始した。
おそらく、訴訟などを想定してこのような対応になったのかと思われるが、「一人の人間として接してほしかった」という思いが続いている。娘を亡くした上に、「腫れ物に触る」ような扱いを受ければ、遺族の傷は深まるばかりだ。命が助かった子どもの心のケアや学校運営の安定化ばかりに目を向けている姿も、遺族としては悲しい。
他の学校事故の遺族とも情報交換をしているが、私たちとほぼ同じ経験をし、同じ痛みを抱いている。教育関係者はなぜ、「加害者」であることを忘れてしまうのか。

③風化防止に向けて

遺族が最も辛いのは、事故が風化し、再発防止の意識が引き継がれなくなることである。
市は6月18日を「豊橋・学校いのちの日」と定め、市内全小・中学校で命の大切さを学び、教職員の危機管理意識を維持する取り組みをするほか、「校外学習安全マニュアル」を定期的に改訂する、管理職対象の研修を開くなど、多様な取り組みをしている。こうした話は、市教育長など幹部から直接説明を受け、一部は市のHPにも掲載されている。 
ただ、遺族としては、これらによって何が変わったのか、意識は本当に高まっているのか、が知りたい。研修の中身も分からない。情報や取り組みを当事者にとどめず、広く市民に発信し、「子どもの安全管理を徹底する街」であることが浸透・日常化してこそ、本物の取り組みに発展すると考える。
    ◇
事故から今日まで、市教育長をはじめ、複数の関係者が定期的に自宅を訪れている。何度も何度もお悔やみの言葉を受けた。4年の間に、静岡県の担当者も、校長も数代変わった。 
あの事故が起きなければ、私たち夫婦が「遺族」となり、訴訟などを経験することもなかった。あの事故が起きなければ、関係者が莫大な時間を費やすことも、書類送検をされることもなかった。
新任の校長先生方には、安全管理を徹底するとともに、教職員の危機意識や対応力を高めるような取り組みをさらに充実させていただきたい。





5/27 豊橋市教育委員会の毎月の弔問があった。(この4年初めての教育長 健康上の欠席)
教育課長と二人の新幹部と、
教育長も取材を受けた日本教育新聞(豊橋市教委は日本教育新聞ではなく教育新聞を購読)についての話があった。


教育課長:「 送付された新聞をコピーし、各校長に回覧したい。 」

私:「 そうした安全対策をして頂くと私達遺族も安心です。

   民事裁判の和解文にも教職員の不断の努力が盛り込まれてます。 」








*****
新しく民間委託を受けた青年の家の新所長からも、6/18を指導者育成の日にしたいとメールをもらった。







*****
静岡県教委から5/15に青年の家で、静岡県本庁検察や県警等を交え、同型のボートで事故の再検証をすると連絡を受けた。










*****
昨日の市教委の弔問の最後に、

私:「 来月の6/18頃には引率された先生方に弔問に来て頂きたいんです。(精神的に無理という山川先生には弔問はお願いしません。)
   

    異動されると先生達は自分達の責任で生徒が命を落としたというのに弔問すら来ない。

    
 生徒より先に救出されて、その後生徒の確認もされず、
  命を落した娘があまりにも哀れです。

 

   娘が信じた先生達に、命日は弔問に来て頂きたいんです
。 」

4月27日  ハナミズキ

2014-04-27 08:09:17 | 学校に対して
4/25 章南中現校長の弔問時に、娘哀悼の記念樹であるハナミズキが咲いたと連絡を受けた。

そして、プレートは地面上にあるため、外部からも見えるように背部にあるサッシの窓にも文面を貼ってあると▼。







プレート文面 ▼
                   ハナミズキ(花水木、学名:Benthamidia florida)

平成22年6月18日、静岡県立三ケ日青年の家で本校が実施した野外教育活動中に起きたカッターボート転覆事故により、西野花菜さんの尊い生命を奪ってしまいました。この悲しみを乗り越え、西野花菜さんの分も生命を大切に生きていきたいという願いをこめて、同級生たちで「ハナミズキ」を植樹しました。「ハナミズキ」は、春に可憐な花をつける木で、花菜さんがご両親と自動車の窓から見かけた思い出の木だそうです。
 私たち同級生は、志なかばで亡くなった花菜さんのことを決して忘れず、この木の成長を見守り続けます。教職員は、学校行事中の活動で生徒の命を守ることができなかった反省を真摯に受け止め、このような悲しい事故を二度と起こすことがないよう、日々の教育活動を行っていくことを誓います。   
平成25年3月7日
                                             豊橋市立章南中学校







*****
プレート文面については、二つの事をお願いした。


1. 主語を明確に残すこと

2. 今まで心の配慮といって学校に隠されていた同級生の存在を残すこと
 
 





この記念樹は、花菜文庫と同様に、
新入学生や保護者、そして全国から視察に訪れた教員に、事故を説明しているという











*****
6/20に挨拶を兼ねての弔問に来た静岡県教委の新しい課長にもお願いしたように章南中にも、

昨年同様に加害者三者による、6/18の哀悼の旗の掲揚をお願いした。






                    雨が振っても周辺に、再発防止の決意がわかるようにと。

4月21日 冊子の広がり6<再度 日本教育新聞>

2014-04-21 08:26:26 | 学校に対して
昨日20日、日本教育新聞記者が東京から、
「学校の事故防止 保護者の願い」というテーマで紙面に掲載する枠が確保できたと、再度取材に来て頂いた。
今日は豊橋市教育委員会へ、金曜25日は章南中へ取材に行くという。掲載は娘の命日前の6月になる予定だ。



冊子を作成しダメ元でかたっぱなしに、教育大などの教育関係機関のHPから寄贈の申し出をした結果である。
まさか日本教育新聞にこんなに真っ直ぐに反応してもらえてありがたかった。


新任管理職に向けての「新校長への伝言」というシリーズに掲載してもらえるという。


持参して頂いたシリーズ3回目には、大津市のいじめに関する第三者調査委員会に委員として加わった大阪芸術大西林教授の提言であった。


4月5日6日と、高校の部活での教師による生徒の指導死で息子さんを亡くされた遺族の方と、
愛媛の私立の幼稚園の川遊びで、増水した川で息子さんを亡くされた(9人書類送検されこの3月に3人在宅起訴)ご両親に来て頂いたところで、どちらの遺族も第三者委員会の設立に苦しんでおられた。







*****
愛媛のご両親も悲劇を繰り返さないようにHPを作っておられるが、同様のうちのHPからもいまだに冊子の注文が入っている。


先日は上越教育大の教授から、教職大学院の現職教員の院生の危機管理の授業や新潟県の多くの教員や富山県等の講義の中で、実例として扱っていきたいと、冊子の注文を頂いた。






*****
日本教育新聞の記者から、


スクールカウンセラーにしても学校を擁護する学校寄りのカウンセリングになる傾向を否めない現状があること。
そして娘の事故を引率した8人の教職員のうち6人が次期すぐに異動になったように、教職員を異動させ問題を隠蔽させる動きが、全国の学校であること。



を悔しい面持で教えてもらい驚きだった。





20日は日本教育新聞の取材の前に、静岡県教委の新しい課長が挨拶に来た。
初めての教育委員会行政職からの課長に訪問されたこと(豊橋市教育長が人事に配慮したという章南中現校長も教育委員会出身)を、日本教育新聞の記者に伝えると、川勝知事の意向じゃないかと教えられた。
教育に力をいれる川勝知事は、静岡県教委に文科省から一人引き抜いて人事をしたという。
首長の教育への権限を重くする国の政策の現れだろう。







*****
愛媛の学校事故で息子さんをなくされた理性的で物静かなお父様が、異動先の東京から豊橋の我が家にまではるばるいらっしゃって、



            開口一番 「合法的な形で 復讐します。」 と言われた言葉の重さが私には忘れられない・・・

12月31日 菜の花キャンドルを豊橋で6<無事終了して>

2013-12-31 08:09:49 | 学校に対して


 
12/23 娘の同級生や協力者合わせて100人以上の参加を頂いて、

無事娘の追悼「菜の花キャンドル」を、初の豊橋で開催することができた。
 






12/26 個人として?参加したいと言ってみえた、章南中柴田新校長と校務主任の弔問があった。


私:「卒業アルバムへの娘の不掲載を、合川前校長に決定され、
キャンドルの校庭使用を、柴田校長に拒否され、
一時はどうなることか?と思いましたが、


どちらも拒否されたことで、却って素晴らしいものになり、
最高の着地点におりたと思っています。 


               主人:「 僕達があきらめなかったからだよ。 」



キャンドルには我が家への弔問拒否をしていた合川前校長も「お久振りです。」と挨拶にみえ、
多くの参加者が忙しく点火や式後の消化をしている中、校長の落ち着きに違和感を感じた。










******
校庭使用を校長に
「浜名湖でのキャンドルに参加できなかった同級生達が、
出身校開催で近くなったからといって、参加できるはずがない!」と断られたが、


男女問わず(男子の方が多く驚いた)多くの同級生に参加してもらい感謝で一杯であった。

 

私が到着した17時過ぎには、見事なキャンドルを作り、極寒の中満足そうな同級生達の姿があった。




しかし後で多くの方から、

風でキャンドルに火が点かず、同級生達の一生懸命な姿に心を打たれた。

火が点かなかったことで、男子も女子も皆 ひとつになれた 


と聞き、涙がとまらなかった。







*****
12/26弔問時、柴田校長:「裁判はまだ終わっていません。」の言葉を、受けとめることができなかった私達。


主人:「 刑事(裁判)は、個人を裁くものですから(意味が違います)。 」


民事(裁判)で中学の責任を認めさせたにもかかわらず、

刑事(裁判)で校長の責任が問われなければ、学校に罪はないと片付けられてしまうのだろうか・・・





送検からもうすぐ1年。

主人に相談した。


私:「 (中学を信じた)花菜がどうして命を落とさなければならなかったのか。

                 このままだと花菜の命はなんだったの?


   不起訴の決定が出たら検察に、 不起訴 不当申し出 をしたいの。
 」



12月24日 菜の花キャンドルを豊橋で5<再発防止を願って>

2013-12-24 09:35:11 | 学校に対して
昨日12/23 菜の花キャンドルを豊橋で初めて開催した
今日の三河版の各新聞には、今まで中学から心の配慮とし隠蔽されていた同級生達のコメントが、ようやく掲載された。  


 
         ▲ 12/24 読売新聞記事

     浜名湖ボート転覆 花菜ちゃんを忘れない   
  同級生ら追悼キャンドル  豊橋に会場移し
 浜名湖(浜松市)で2010年6月、野外活動中に起きたボート転覆事故で死亡した豊橋市立章南中学校1年の西野花菜さん(当時12)を追む「菜の花キャンドル」が23日夕、西野さんの自宅に近い豊橋市の公園で初めて開かれ、同級生らがろうそくに火をともして西野さんの冥福を祈り、学校行事での事故が二度と起きないよう願った。
 事故が起きてから毎年この時期、現場の三ケ日青年の家で指定管理者の小学館集英社プロダクションが開いてきたが、同社が今年度いっぱいで指定管理でなくなることや、遺族の「同級生たちが参加しやすいように」という願いもあり、遺族主催で会場が移された。
 会場ではこの日、同級生や近くの子どもたちが、ペットボトルで作った2000本のろうそくを並べ、クリスマスリースや富士山の形を浮かび上がらせた。
 西野さんの父親の友章さん(54)は「花菜の同級生にはつらい思い出があるが、絆を深く受けとめられる大人に成長してほしい」と話した。また、西野さんと同じボートに乗っていて湖に投げ出されたという男子生徒(16)は「花菜ちゃんのことは決して忘れない。たくさんの人が集まり、事故を風化させないという思いはみんなに伝わったと思う」と話した。 



          ▲ 12/24 中日新聞


浜名湖ボート事故
                     豊橋で「菜の花キャンドル」
    同級生ら西野さんをしのぶ

浜松市の浜名湖で2010年6月に野外活動中の事故で、亡くなった豊橋市章南中学1年の西野花菜さん=当時(12)=を追悼する催し「菜の花キャンドル」が23日、章南中学校区内の公園で開かれた。
 菜の花キャンドルは、宿泊研修施設「静岡県立三ケ日青年の家」が毎年企画していたが、今年は西野さんの両親が「同級生も訪れやすいように」と豊橋市内で開いた。
 西野さんの同級生や近所の子どもたちが、ペットボトルを使ったキャンドル2000個をクリスマスリースや富士山、ハートの形に並べ、暗くなるとオレンジ色の明かりが浮かび上がった。
 父親の友章さん(54)は「高校1年生になった同級生にはつらい事故の思いでを受け止めて、将来を担う大人に成長してもらいたい」と、集まった同級生たちに呼び掛けた。母親の光美さんは「学校現場で同じような悲劇を起こしてはいけないということを、豊橋から発信したい」と語った。
 集まった同級生たちは、キャンドルの光を見ながら西野さんを思い返していた。同級生で高校1年の山崎菜月さん(16)は「これからもずっと心の中にいるし、何年たってもずっと友達。忘れてはいけないと思う」と話した。






*****
同級生が10人も参加してくれれば大成功と思っていたが、
午後からの準備を待たず、9時半にはもう同級生女子が公園に来てくれていた。


昨日は菜の花キャンドル開催前に弔問客も多く、車イスでキャンドルの邪魔をするだけの私は、開始の17:30を待って17時過ぎまで自宅にいた。
車で2分ほどの西南代公園に準備に行っていた主人が、16時過ぎに「キャンドルが風で火がつかない。」と風除けのサランラップを取りに戻ってきた時は、昨日冬至ということもあり刻々と日が落ちる中 心配だった。
だが同時に「同級生が一杯集まってくれている」と聞き嬉しかった。

私が開催予定の17時半前に公園に到着した時刻にはもう真っ暗で、1月?と思うほどの寒さの中、40人は超える同級生達が初めて作るキャンドルを、公園一杯にきれいに灯してくれていた。













*****
主人と簡単な挨拶をさせてもらった。 

私:「 今日はたくさんの同級生に集まってキャンドルを灯して頂き、花菜も喜んでいると思います。
ありがとうございました。
花菜はあの事故の直前まで生きていました。
(皆さんと一緒に)生きたかったはずです。
二度と教育現場で、この悲劇を繰り返してはいけません。


この中学校区で、豊橋で、再発防止を発信し続けることは、
                         大きな意味があると
思います。
本当にありがとうございました。」



18時半の片付けの呼びかけにも、寒さの中、同級生達は黙々と最後まで手伝ってくれた。

そして、菜の花キャンドルの協力をお願いした、小プロの関係者も静岡県教育委員会元課長と前課長も、
再発防止の強い思いで、万全の協力をしてくれた。










*****
12/20に検察へ提出する、送検された3人分の、遺族の処罰意識のない書簡?にサインをした。

「私達は謝罪を続け再発防止の活動を続ける人達に、処罰意識はありません。」という気持ちを。



今年の2月に6人もの書類送検の報告に来てもらった細江署と静岡県警に、私達は言った。

「 悪天候の中野外活動を実施判断した水野校長を書類送検して頂きとても嬉しいです。
でも、謝罪を続け再発防止の活動を続けている小プロや静岡県教委も送検されるのでしたら、
遺族感情として、
事故を引率し娘の命を奪い、事故後もなんの反省もない
                    章南中の教師が許せません。
 」







昨日の再発防止を願った菜の花キャンドル。




                              キャンドルには、引率した教師8人のうち1人も来てはいなかった・・・




  


11月10日 和解から1年が過ぎて<和解文の章南中HP掲載>

2013-11-10 10:40:26 | 学校に対して
民事和解から1年以上が過ぎた。

 ▲ 2012年10月 朝日新聞記事

刑事でもこの2月に校長が書類送検されるという顛末・・




私が不思議だったのは、
当事者生徒達に自分達が被害を受けた事故の経過を、中学側が生徒への配慮を前面に出し何ひとつ伝えなかったことだ。



和解後の2012年10/26金曜弔問でも、
同級生達のゴミゼロ運動の活躍を遺族に伝えるといった、常識人では考えられない とんちんかんな対応の中学



     しかも事故の遺族側から生徒に謝罪を要望し、ようやく実現した謝罪。

     ようやく「遺憾」という言葉から「謝罪」という言葉を受けた遺族。



生徒ひとりの命が失われ書類送検されるほど明確な非があったにも関わらず、
「(遺族の原因究明の署名活動に対し)先生は傷ついている!(からややめろ)」
「 組織として謝罪できない! 」
とはっきり遺族に言った合川前校長。


自分達の非を認めれば正常な学校運営ができなくなる保身から遺族を黙らせたかった?


間違ったら非を認め、二度と繰り返さないことを考えることが教育だと信じる遺族にとって、
                  悲しみ以上に驚きの連続だった日々。








*****
2013年11/8 柴田現校長から章南中HP上に和解文掲載の報告を受けた。


「事故を学校の財産にして下さい。」 と現校長に言った私。


学校の課題として永久に意識してもらうことが、

教員や生徒、学校関係者への問題解決能力といった章南中の質の向上となり、

娘への中学の謝罪となることを望みたい。