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怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

娘の命を無駄にしない<不起訴不服申し立て>

2016-04-07 10:05:04 | 学校に対して
今 主人は出て行った。


校長への不起訴不服申し立てをするために、静岡の検察審査会に。





新幹線で民事裁判でもお世話になった二人の弁護士さんと合流する。


事故が起きて6年以上。

若かった弁護士さんも独立し頑張っている。

不起訴不服も打ち立ての書類は、主人と私、弁護士さん二人、支援者の方の5人で何回も打ち合わせをした書類である。


車椅子の私は難病の再発を考えて家で待機。

雨が降り強風も予想される天候。

娘の事故後、PTSDでこのような天気が怖い私は家で待機していて良かった。




******

事故後、多くの関係者が弔問に来た。


そして異動になり皆去っていった。


毎月弔問に来た当時を知る豊橋市教育長も退職である。 

主人:「責任を取り辞職することもあるが、それでは何も解決しない。」


私も同感である。


トップの教育長が来てくれていたからこそ、再発防止のマニュアルを作れ、Ⓐ校長が卒業アルバムに娘を掲載しないと決めた時、再発防止の事故情報プレートを拒否された時


教育長に相談できた。



*****
先日、章南中のS校長が異動の挨拶に来た。

弔問の最後に

「お二人に敬意を表します。

哀しみの中、いろいろな事をされた。ご立派です。」



*****



5 本件訓練は、本件中学校が行った正課の授業である。
  したがって、当初から本件中学校の責任を除いた裁判は、市民の納得できるものではなく、これでは正課の授業について、業者に丸投げの学校教育を認めるようなものである。
本件中学校の責任者である被疑者には安全を十分に確認する義務があり、本件訓練にあたりそれを当然なすべきである。
  保護者は学校に、大切な子供を預けている。したがって、学校を信頼して送り出すしか方法がない。そのような信頼関係で今の学校教育は成り立っている。
  その関係が崩れてしまっては学校教育が成り立たない。
これまで述べてきたとおり、被疑者の、生徒の安全を守ろうとする意識は皆無に等しく、このような被疑者の責任が問われなければ、子どもを持つ親は、不安で学校に生徒を預けることはできない。
今一度、市民の目線でこの事件をもう一度検証し、貴審査会においては、被疑者の起訴を相当とする議決をすることを求める次第である。
以上
(添 付 資 料)
1 平成27(2015)年1月29日付静岡新聞朝刊
2 刑法総論講義(抄)
3 「カッター訓練」と題する資料
4 2010(平成22)年6月17日中日新聞夕刊
5 2010(平成22)年6月18日中日新聞朝刊
6 第20回 Princess Cup大会実施要綱
7 第22回ハウステンボスカップ・ヨットレースレース公示
8 写真撮影報告書
9 釧路港安全対策協議会専門部会合意事項
10 東京電力福島原子力発電所における事故に関連する告訴・告発事件の処理について
11 審査申立書
12 ニュース記事







11月19日 先生は生徒を守らない

2015-11-19 08:02:34 | 学校に対して


▲今日の朝日新聞


昨日6時半に家を出て静岡地裁に判決を聞きに行った。

昨日は娘の月命日でもあるので、娘の祭壇に娘が好んだお菓子を供えて。

いつもの月命日。

しかし昨日判決ということでマスコミの取材が多かった。

出掛ける前の朝の6時にも静岡のSBSテレビの取材に答える主人。

夏にまた入院した私は最悪の体調の中、主人に連れられ静岡地裁に。

「今日は起訴されたD氏の裁判だから、判決にナーバスにならなくてもいいよね。」と二人で言っていた。




静岡地裁に到着すると、地裁前はマスコミで一杯だった。

いつも通り裁判所の控室に通された私達。

その前に主人は歩いて法廷に入るところを撮影されていた。


判事さんの事務官は傍聴席が一杯なので部屋の外で待っていると伝えられた。


判決はD氏の禁固1年半。執行猶予3年。

学校はD氏の指示した通りボート訓練を行っただけで過失はないというものだった。


学校の過失も判決に組み込まれることを望んでいた私には、判決の最後に裁判長が私達両親に言ってくれた「頑張って生きなさい。」を空しく聴いていた。



この判決ではまた学校現場で第2の花菜がうまれてしまうのに・・・・・




*****
両親だけのたった二人の戦いだと静岡のマスコミの中に乗り込んだ私達。

事故当時の豊橋支部のマスコミの方々に異動になっても力強く支えられた。

そして当時の事故のあった細江署の刑事さんや静岡県警の刑事さん達が判決後マスコミの取材に離してもらえない主人を一緒に待っていてくれた。




今主人は豊橋市教育委員会に、学校事故で子どもを失った遺族のまとめた書籍の寄贈に行っている。


遺族の思いは、学校現場で生徒の尊い命が奪われることがないこと

9月18日  また18日

2015-09-19 07:55:45 | 学校に対して


禁錮1年6カ月 元所長に求刑
     浜名湖ボート事故

 浜松市の浜名湖で2010年、静岡県立三ケ日青年の家主催の体験訓練中に手こぎボートが転覆し、豊橋市立章南中学校1年の西野花菜(当時12)が死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた青年の家所長檀野清司被告(57)の論告求刑公判が18日、静岡地裁(佐藤正信裁判長)であった。検察側は禁錮1年6カ月を求刑した。
 検察側は論告で、檀野被告がモーターボートを曳航する際、手こぎボートの男性教諭に、かじ取りの指示を怠ったことが転覆につながったと指摘。「業務上の注意義務を完全に怠った」と主張した。
 弁護側は最終弁論で、事故後、檀野被告が反省を示しているなどとし、執行猶予つきの判決を求めた。
 花菜さんの父友章さんは公判後の取材で、檀野被告に対し「結果が死亡という重大な過失。しっかり刑を受け止めてほしい」と述べた。判決は11月18日




昨日18日は論告求刑だそうで前々日に検事から電話があり、主人の運転する車で静岡地裁に向かった。

この日は娘の月命日でもあり娘の祭壇に娘の好きそうなお菓子を供える。

外は涙雨のような天気。


5月から続く7回もの公判に疲れてしまい、難病の再発で8月4日から22日まで入院していた私。

この論告求刑のため退院を急いだ。

入院した神経内科南1階病棟は娘との思い出があり過ぎて、個室を選んだが、

一人泣いていても誰にも気付かれず、助かった。


論告求刑は早く終わると聞いていたので、いつもはハンカチの用意をしっかりしていたのにそれも忘れていた。

いつも通り裁判所のスタッフに車椅子を押され控室に行く私。

主人は静岡のマスコミに裁判所まで歩くところを撮影されていた。

静岡ではまだ取り上げられるニュース。


裁判の始まるすぐ前に傍聴席に連れていかれる私達。

傍聴席には静岡教育委員会の幹部や事故の遭った細江警察の刑事がいた。


当時の青年の家の所長であり起訴された小プロのD氏からも被告席から挨拶された。


裁判の始まる前、検事からD氏への求刑を聞いた私達。

罰金ではなく1年半の刑を執行猶予なしに要求すると。

論告求刑はD氏側の弁護士がD氏の罪は認めるが、学校にも非があったのではというものだった。


   民事裁判でも非を認められた学校。

しかし娘を引率した先生達は学校を異動すると弔問にも来ない

きっとこの裁判があったことさえ、知らないのであろう。


「次の判決は11月18日です。」

      また偶然にも娘の月命日・・・

8月27日   同級生のプレゼント

2015-08-27 07:12:19 | 学校に対して
「今からいってい~ぃ?」

娘の同級生から入院中の私にメールが入った。

7回にも及ぶ裁判で、私は難病を再発してしまい免疫抑制剤の点滴による大量投与を受けていた。
1ヶ月かかるインパルス療法。

次の裁判 論告求刑まで1ヶ月以上あり、体調の変化を感じ病院に飛び込んでいた。
MRIにより脊髄神経の炎症が分かり緊急入院だった。

娘が喜ぶ同級生の弔問予約。

「ごめんね。今入院してるんだ。退院したら来てね。」と返信する私。

同級生:「大丈夫ですか?退院したらまた行きますね。」

 教科書集まりました。

退院したら持って行きますね
 
。」

私はそのメールを読み、泣いてしまった。

弔問に来た彼女に

私:「命日にみんなが来た時に頼めばよかったんだけど、花菜が学ぶことのできなかった中2中3の教科書が欲しいんだ。
小学校の文集もしっかりとっていた花菜。

高3になった同級生が中学の教科書をまだ持っているかどうかわからないけど、できたら欲しいんだ。

一人の子のじゃなくてできるだけ多くの同級生の教科書が欲しいんだ。}

彼女に相談した私。  

まさか、多くの同級生に声をかけ集めてくれてたなんて、

覚えてくれてたことに感謝した。

退院するとすぐに彼女にメールした私。

彼女:「 こないだ見せた私の作文。

愛知県の代表に選らばれました
明日名古屋に行って作文読んできます。商業科で1番です。」と彼女のメールにはあった、



彼女が前に弔問に来てくれた時、娘に供えてくれた作文。それが県代表に選ばれるなんて。

私は「同級生の活躍が見たい。」と書き残した娘を思い、春の甲子園にすすんだ同級生だけでなく、

同級生みんな活躍している ことが嬉しかった。

退院して彼女の表彰式も終わり、彼女から今から花菜の家に行っていいかとメール。

来てくれた彼女の手には、重かっただろう男女を問わず多くの同級生の教科書があった。




名古屋での表彰式の話を私と娘にしてくれた彼女。

学校で学力優秀者の賞状を娘の遺影に見せてくれた同級生もいる。

恋の話をしてくれた同級生もいる。


同級生への心の配慮と言って

娘を卒業アルバムから消そうとした中学。

そんなひとときのことじゃなく、同級生には娘との大切な思いが詰まっているだろう


同級生の嬉しいプレゼントをもらい、永く続く悲しみから癒される親の私

7月31日  親としての責任

2015-08-01 07:38:04 | 学校に対して
昨日7/31は第7回公判のため静岡地方裁判所に主人と行った。

豊橋の記者なら知っているが、静岡となると親戚もいない、完全アウェイである。

主人が証人として法廷に立つことを許された緊張の公判である。

「これは起訴されたD氏の裁判だから」と主人。

検事から、証人として出挺し質問する予行演習をしようと言われていた。

しかし前もって主人の質問のレジュメをメールで送り、OKが出されいつも通り30分前に来ればいいと。

裁判所控室に通された私達に

検事「D氏への質問やD氏への処罰意識はありますか?

   プロの検事から見ると、D氏が全て認めると言っていたが、変えるおそれがある。」

そして主人の質問文からは「中学の過失という強い言葉ではなく、過ちに直した方がいい。」だった。

そして主人の証人出廷は全ての証人尋問が終わったあとの休憩の時間が終わりまた質問があれば言ってくれというものだった。



D氏の証人尋問は静岡県の委託から民間委託に変わった時の引き継ぎや、なぜ県時代の人がいるのにD氏がモーターボートを運転して経験のない曳航をしたかということだった。

D氏の弁護士からの尋問も意外に早く終わった。


次は主人の番だ。

主人の話す内容の確認を求められ、内容を知っている私は涙が止まらなかった。

主人も泣いている。娘の野外活動に行く元気な姿を知っている私の嗚咽は止まらなかった。

主人が法廷に立つ姿を見て、私達家族を襲った数々の事が思い出された。

主人が遺族として今後望むことを述べると、D氏の弁護士が前もってわかっていたように質問をしてくれた。

起訴されたD氏以外にも二度とこのような悲しい事故を起こさないように静岡側にも豊橋の学校側にも再発防止を強く望む主人。




私達は再発防止を願って多くのことをしてきた。

花菜文庫の学校への寄贈。
文庫の設計をしながら、多くの家具図のなかからパソコンのホルダーに娘の名前を見つけると涙が止まらなかった。



豊橋議会への署名活動。事故を究明したく短い間に1万7000もの署名を頂いたが、議会は犯人捜しの場ではないと趣旨採択。

中学での命日のコンサート。



毎年の菜の花キャンドル。







事故情報プレートの設置



いのちの日の黄色い旗



ハナミズキの植樹

再発防止のマニュアル作成の依頼

市長に先生は正しいと反論された民事裁判。

▼主人の証人尋問の言葉

<証人として伝えたい思い>
■事故を知った時の遺族の思いを伝えたい。

 花菜はこの自然体験学習をとても楽しみにしていました。中学入学式の日、学校からも1年生の大きな計画としてこのカッターボート訓練があるという説明がありました。新しい友達と初めての宿泊ということもあり、お気に入りのバックで張り切って準備をしている様子を思い浮かべます。

事故当日、仕事帰り途中に学校から呼び出された私は、「全員救助」の報告を教頭先生から受け、ひとまず安心しました。それでも学校に集まった知人の保護者の方と一緒に現地で子どもを確認しようということで、みんなといっしょに車で事故現場に向かいました。花菜の死亡の知らせを聞いたのはその車中で妻からの電話でした。何が起こったのか、どうして死亡なのか、「全員救助」だから何かの間違だ、妻は大丈夫だろうか。車の窓に、強い雨が流れていることだけが鮮明に覚えています。
 
 妻と浜松の病院で合流できたのが、午後9時近くだったと思います。はやく花菜に会いたい。その思いが強くて涙は出ていなかったように思います。花菜はベットに寝ていて、顔には擦りキズがありましたが、いつもの花菜の顔がそこにありました。

時間の経過とともに「なぜ事故が起きたのか」「事故が起きても多くの人が助かっているのに、なぜ花菜だけが死んだのか」「浜名湖の現場で先生方はどのように動いたのか」「なぜ学校は花菜のいのちを守れなかったのか」「静岡県側の対応と学校・豊橋市の対応は大きく違うがどうしてこの違いが発生するのか」さまざまな疑問が生まれました。

■豊橋和解調書の内容を伝えたい。

 花菜は、学校の正課の授業中に先生の言われたとおりにした結果、いのちを落してしまいました。しかし豊橋市教育委員会や学校からは、事実関係について私たち遺族になにも説明はありませんでした。静岡県で発生した事故として、静岡県側の事故調査報告を待っているようでした。また運輸安全委員会での調査や静岡県警の捜査待ちということで、学校としての事故の説明はありませんでした。事故の年の9月頃、静岡県教育委員会から、事故調査報告書を頂きましたが、私たちは「花菜は、学校に預けたのに学校が花菜を返してくれなかった」という思いを強く持っていました。
 
 このままでは、花菜が学校現場で亡くなった原因をうやむやにされてしまう。そんな不安が時間と共に強くなりました。「どこに問題があったのか」「だれにどんな責任があったのか」これを明らかにしなければならないと思いました。そして「同じような事故を繰り返さないために、だれがどんなことをしなければならないのか」これを明らかにすることで花菜のいのちを活かしたいと思いました。

そんな思いの中で、事故から2年近く経った2012年5月に私たち遺族は、豊橋市と静岡県と小学館集英社プロダクションに対して提訴しました。当初豊橋市は全面的に争う姿勢でしたが、それから5カ月後の10月に裁判所から和解条項が示され、和解が成立しました。

その和解条項には、カッターボート訓練プログラムの安全性をチェックしていなかったこと、自主艇があることについて、その危険性の認識を怠ったことなどの責任を認め、謝罪する。また、生徒の生命及び身体の安全を守るのは、第一次的に各学校の教育職員であることを強く自覚し、再発防止に向けて不断の努力をすることを約するとあります。この約束の重みを風化させないよう、この元所長の刑事裁判の中でも知ってほしいと考えました。

■事故の原因をどう思っているか述べたい。

この事故は、自然体験学習として、学校の正課の授業の中で起きました。その授業の一部を静岡県が提供していたカッターボート訓練というプログラムを豊橋市が利用しました。そのプログラムを実施・運営する三ケ日青年の家、三ケ日青年の家を指導・監督する静岡県、子どもたちを引率して体験学習を行った豊橋市立章南中学校、この授業を達成するために、それぞれの役割を担う中、やるべきことを怠り、その過失が複合的に重なり、なんの落ち度もない花菜がいのちを落してしまったと思います。

それぞれの立場で安全を確保する義務があったと思います。それぞれの場面で誰かが一つでも行動していれば、花菜の死は防ぐことはできたと思います。プログラムの選定、出航判断、乗船時、えい航中、転覆直前、転覆後の救助、各場面で危険を回避できたと思います。また、危険を想定することはそんなに難しい状況ではなかったのではないかと感じます。どうして花菜を救うことができなかったのか、5年たった今でも腹立たしくて残念でなりません。
■どうしたら花菜は死ななかったのか、自分の考えを述べたい。

 みんながもっと主体性を持って安全を確保すること。それぞれが危険をイメージし、対応策を準備しておくこと。状況の変化で不安を感じる場合は、声に出してみんなで確認しあうこと。万が一事故が発生したらどう動くのか共有しておくこと。特に野外教育活動においては、安全確保は大前提だと思いますが、この事故はまったくそれらが出来ていなかったように感じます。このようなことをみんなが実施していれば、花菜のいのちは守れたのではないかと思います。

■2度と起こさないようにするためには、どういうことをこの事故から学ぶべきか、どうしたら活かしていけるかを述べたい。
 この事故は、容易に危険をイメージできる状況にあったにもかかわらず、「いつも大丈夫だったから、これぐらいなら問題ない」と安全確認を怠り、浅い考えのまま実行してしまった結果、尊いいのちが奪われたのではないでしょうか。また、他者にすべてを任せ、何も判断をしなかった結果、命いのちを守ることができなかったのではないでしょうか。あまりにも希薄すぎた危機管理意識は、それぞれが自らの責任として深く考え、同じ過ちを繰り返さないよう、最優先の課題として取り組んで頂きたいと思います。

 2度と起こさないようにするためにも、施設側の責任だけではなく、子どもたちを引率した学校の責任についても判断していただくことが重要だと思います。その上で、この刑事裁判を通じて改めて関係者に深い反省を求めたいと思います。また、人も組織も変わり、時間が経過していく中、この事故を経験した静岡県、小学館集英社プロダクション、豊橋市立の全小中学校は、二度と繰り返さない強い決意を風化させることなく、それぞれの立場で再発防止を実践し続けることが、この事故を経験した関係者の責務だと思います。どうか「目の前にいる子どもたちのいのちを守るのは、私たちなのだ」と日頃から自主・自律の意識を持ち続け、繰り返さないための不断の努力をお願いします。

■被告人について
法律に沿った適切な処罰を望みます。

7月6日  娘の命を無駄にしない

2015-07-07 07:17:27 | 学校に対して
7月6日で4人の証人尋問が終わった。

6回目の裁判である。

最後の証人尋問は岡山県渋川にあるボートの施設でボートのキャリアのある男性の話であった。

      「自主艇は渋川ではありえない。」    

「ボートの構造上転覆はありえないが一番考えられる原因は ボート内に溜まった  滞留水  である。」

「私がボートについて一番キャリアがある。」


ボートの専門家らしい人物の答弁であった。

彼に真剣に質問を、D氏の弁護士、検事、最後には3人の裁判官が 何度も聞いてくる。


ボートについて知識のない先生だけの船  自主艇。

自主艇はありえないと聞き茫然とした親。


学校はその事実を知っていたのだろうか?

娘のボートが転覆した時、ボート内に閉じ込められた生徒達から 「転覆しないって聞いたのに!」  と声が挙がった。

くるぶしまでボートに溜まった水に不安を覚えると  「黙って漕げ!」  と先生に言われた生徒達。

    

先生達を信じた生徒達。


命を落とした娘。

 


  二度とこのような事故が起きないよう    裁判を聞いていて願うばかりだった。




                      ▲ 出航前の練習風景。中学にもらった写真。他の生徒達はもっていない。

7月1日  謝罪を知らない水野元校長の証人尋問

2015-07-02 07:15:07 | 学校に対して
時折豪雨の中、私達は先回の公判と同じく朝6時半に主人の運転する車で自宅を出た。

水野元校長の証人尋問にふさわしい天気だった。

「水野校長、5年も経って事故のことを冷静に振り返って、謝罪してくれるかな。」と思う私。



裁判で5年振りに見る校長の姿。

事故当時、遺族の負担も考えず、

毎日保身のように

我が家に章南中の先生や先生のいない土日には自分の奥さんを連れてまで、

四十九日まで弔問させてくれと言う校長。


事故のPTSDで校長の言動に、

顔面麻痺や手の麻痺になった私を、裁判中裁判所のスッタッフが後ろの席に控えてくれた。

幸い校長の後ろ姿しか見れない証人尋問。

何度も裁判長に「簡潔に話すように!」と注意される校長は自分のことしか考えない自分勝手な校長のままだった。

D氏の弁護士や検事に

「天気をどのように捉えていたか?」    「短いコース変更を見に行っているが何を確認したのか?」

「出航の最終判断の時、艇庫にいなっかったのは?」     「前芝中の曳航は知っていたか?」

「事故後に学校で再発防止のマニュアルを作ったか?」

裁判官からの質問にも要領を得ず、裁判官があきれてしまう程だった。




短くなったコースを見に行っているなら、  次々戻ってくる他のボートを見たはずの校長。

そして、湖面に白波が立っているのを見たはず。

なぜ天候の急変を推測できなかったのだろうか。





事故防止マニュアルは蜂に刺された時やけがした時の包帯の巻き方等の

ボート事故とは直接に関係しないものだった。


出航判断を所長だけに託し施設所員に聞こうとはしなかった校長。


私は出港時の激しい雨や生徒や娘達が学校の出航判断を聞いて驚く写真が忘れられない。







D氏の弁護士:「書類送検された後、検察はどういう判断をしましたか」に、起訴・不起訴の答えができなかった校長。

     「覚えていない。」を繰り返す校長に、

     私達への謝罪の言葉はもちろんなかった・・




5年経っても警察の調書に綴った、遺族の校長の責任を問う気持ちは変わっていない。




*****





浜名湖ボート事故
「転覆は想定せず」
 公判で元校長が証言


 浜松市北区の浜名湖で2010年、野外活動中のボートが転覆し、愛知県豊橋市章南中1年西野花菜さん=当時(12)=が死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた宿泊研修施設「静岡県三ケ日青年の家」元所長檀野清司被告(57)の公判が1日、静岡地裁であった。当時、生徒を引率した元校長の男性が証言として出廷し「学校側で訓練の中止基準は設けていなかった。転覆事故やえい航の可能性は想定していなかった」と証言した。
 元校長は「出航の最終決定は所長だと思っていた。海のプロである施設側に任せていた」と主張。出航前、湖面に白波を見たことを証言し、荒天時に備えて訓練は浜名湖の中央ではなく、沿岸よりを進むコースを取ることを確認したと明かした。弁護人や裁判官から「天候に不安を感じていたのではないか」と聞かれると「天候は悪化しないと思っていた」と述べた。
 公判後、花菜さんの父友章さん=豊橋市=は「子どもを引率する安全意識が欠けている。天候に不安を感じていたなら、中止の声を上げてほしかった」と訴えた。友章さんは31日の次回公判で遺族として証言する。

5年たったけれども

2015-06-19 07:12:50 | 学校に対して
                  花 菜 ちゃん

                
                 今日も笑っていますか


            昨日は大好きなお友達がいっぱい来てくれたよ


            花菜宛てにお友達からメールもいっぱい届いたよ






昨日18日は 豊橋では「いのちの日」と制定され、豊橋じゅうの小中学校でいのちの授業がされる。

しかし、

教師が起こした事故で今刑事裁判中であることをどれだけの教師が知って、そのことを伝えるのだろうか?



昨日章南中では生徒達で娘を追悼する風船を飛ばしてくれた。



今年も雨で開催を心配したがなんとか開催してくれたみたいだ。

この日は各加害者施設でたとえ雨でも 娘の描いた絵のある旗 を掲揚している。


私と主人はこの日は多くの弔問予約が入るが初めての人はお断りしている。  

高校の授業が終わった同級生達が男女を問わず次々各高校の制服姿で弔問に来てくれる。

友達が大好きだった娘の笑顔が見えるようだ。

この同級生達にどんなにか力をもらったかわからない。

一日じゅう泣いていても同級生が来ると大人は泣いてはダメと自分に言い聞かせたものだ。

自分達も事故の被害者であった同級生。

10代で負った心の傷は想像も及ばないくらい大きなものだっただろう。


検事に同級生達の供述調書は事故の様子がよくわかると言われた。

前日に静岡地裁にいた私達。

今なにをしなければならないのだろう。


5年経ってようやく始まった刑事裁判。

豊橋市議会に署名活動しても趣旨裁決。 

民事裁判で提訴しても市長に「先生達は正しい行動をした」と最初は争う姿勢だった。




       納得のいく判決を望む。娘の命が無駄にならないように。 






*****

7月1日の裁判に水野校長が出廷し事情聴取される。

書類送検の時静岡県警や事故の起こった細江署の刑事達に言われた。


             全国の学校に警鐘を鳴らすものになって欲しい。

6月18日に花菜文庫に本を寄贈した。
       
生徒さんが手にとって読んでくれますように。

6月18日  愛は涙ではない <第4回公判>

2015-06-18 07:29:52 | 学校に対して
昨日17日は第4回公判が10時からあり、いつものように30分前に来るよう検事から言われていたので6時半に家を出た。

9時半に静岡地裁に到着すると係りのスタッフが駐車場で待っていてくれた。

スタッフに控室に通され、検事が来るのを待った。

検事が控室に入ってくると前回前々回と同じく裁判官に提出する多くの書類が風呂敷に包まれていた。



17日の公判の証人尋問は青年の家の起訴されたD氏の前所長である。

3年間静岡県教育委員会の委託施設の施設長だった人である。

はっきりとした答弁は前施設長らしかった。

しかし、話す内容は残念なものだった。



「ボートの免許をもっていない教師だけの自主艇があるのはスタッフの数が足りないから。

ボートの野外学習は人気があり1日に数件の小学校や中学の団体の予約が入っていてボートの免許を持っているスタッフが足りなっかった。」

「私でもあの事故の天候だったら出航していた。」

「ボートの注意マニュアルなど作ってなかった。」

「小プロへのボート学習の引き継ぎも簡単なものだった。」



民間委託施設に替わらなくても、事故は起きていたという答弁だった。


裁判長がしきりに曳航について訊いていた。

曳航は年に数件あったと答える施設長。


その曳航された豊橋の前芝中学。

事故で署名活動した私達に前芝中の保護者から「私達が声をあげていればこの事故は起きなかった。」と言われた。


教育委員会に届けられなかった曳航の事実。


その前芝中で曳航された教師に娘のボートの声掛けした山川先生のご主人がいたことをあとで知る私達・・・






*****

今回の公判は事故の様子を述べるものではなかったので落ち着いた気持ちでいた。


この5年私が学んだこと。

それは娘への親としての愛は泣くことではなく、この裁判を最後まで見届けることである。



▲命日に供えてもらった花々

6月6日  引率教諭の声が聞きたい <第3回公判>

2015-06-06 07:10:27 | 学校に対して
昨日は5月にはなかった公判があった。

裁判官も1人から3人になっていて、最後に新しく加わった女性の裁判官は涙しているようにみえた。


前回と同様 検事の電話で30分早く来るように言われていた。

控室に通されたた主人と私は、検事がまた大きな風呂敷に裁判官に提出する調書を包んでいるのを見た。

裁判所に調書をコピーしてもらったことを告げる主人。




▲厚さ14㎝、4万2,000円のコピーの半分


同級生の供述調書は、曳航されすぐ転覆した事故の様子がよくわかるという検事。


そして主人は、検事に娘の死体検案書ではなく解剖記録が欲しいと・・親にとって一番辛い書類を頼んでいた。




遺族が裁判で聞いて欲しい事を箇条書きでいいから書いて教えて欲しいと言われ、5月11日に検事が我が家に来た。

その際 検事は起訴したD氏のH弁護士の海難審判の考えに違和感を持っていた。

そしてH弁護士もこれから証人尋問で出廷する渋川の小プロの施設のボートの専門家も、小プロの息がかかった人間だとはきすてた。


6月5日の公判に引率教諭で娘のボートの舵を操作したK先生の証人尋問があるとき、

自分達がおこした事故なのに弔問にも来ない引率教諭をおもい、

ようやく引率教諭のひとりに事故の真実がきける。


海の事故の裁判である海難審判以来、K先生の姿を見るのはK先生が中学を辞めて、久々だった。

静岡大学で教育を学ぶ学生と先生10人が白いカッターシャツの正装で傍聴しているのに比べ、K先生はGパンだった。

海難審判でH弁護士が怒りで涙をみせるほどまともに答弁しなかたK先生。

裁判までに検事にあった回数を2回と答えたK先生の答弁は、自分を守ろうする海難審判の時よりまともだった。


しかし、

生徒ひとりの命が失われているのに、事故後なんの事故の検証も講じなっかた学校の姿勢を話すのは同じだった。


裁判が終わったあと外は娘の涙雨と思われる雨が降っていた。

多くの静岡のマスコミの取材に答えて車に戻った主人の一声は

  

          「花菜は学校に殺された。」




中日新聞 社会面

「学校で訓練はせず」
元担任が公判で証言
浜名湖転覆事故

2010年に浜名湖で野外活動中のボートが転覆し愛知県豊橋市の中学1年西野花菜=当時(12)=が死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた宿泊研修施設の元校長、檀野清司被告(57)の裁判で5日、ボートに同乗していた元担任男性教諭が証人として出廷し、「檀野被告から具体的な指示がなく、不安になった」と証言した。
 西野さんや元教諭ら20人が乗ったボートは荒天で動けなくなり、檀野被告が救助艇でえい航中に転覆した。転覆前に船内の水をかき出さず、無線で施設側に連絡を取らなかった理由を弁護士側などが尋ねると、元教諭は「えい航の速度が速く恐怖を感じ、冷静な判断ができなかった」と話した。
 元教諭は「学校で事前に事故を想定した訓練はなかった」とも説明。施設に安全管理を委ねており、事故後も教諭らで原因を分析しなかったと明かした。西野さんの父友章さん(56)は公判後、「安全対策は施設任せで学校側は何も反省していない。花菜は殺されたようなものだ」と話した。



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1ヶ月に1回のペースだと思っていた公判だが、次は6月17日と告げられた。

なんと花菜の命日の1日前・・・

そして今後の公判に、

校長が出廷するという。

4月24日 花水木咲いて<第2回公判>

2015-04-25 07:57:40 | 学校に対して
GW近くなると娘の同級生から、中学で同級生達に植樹してもらった花水木の様子がメールで届く。





学校に事故の風化防止に何かして欲しいとお願いしても、

返事は保護者でなくなった私達が見ることのできない、校庭に花壇を作ったということだった。


卒業し事故に遭った同級生にも、遺族の私達にも、遠くから見る人にも、見える、風化防止となる木が植えて欲しく、

遺族からわざわざお願いした、

長い間あるだろう木であった。





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昨日24日は静岡地裁で第2回公判の日であった。

主人と中学の花水木を見ながら車で静岡地裁に向かった。




冊子寄贈で訪れた静岡の駿府城近くにある裁判所。




我が家には静岡のマスコミの取材や電話が、当日まであった。



駐車場を確保しておくから、30分くらい早く来てほしいという検事。

静岡地裁に着くと関係者が駐車場で待っていて、控室に通された。

私:「第1回の時は10分で終わったのですが今回はどれくりい時間がかかりますか」 「2時間程」と。


裁判が近くなると検事も現れ、

質問して欲しいことを聞かれた。

私:「同じボートに乗った舵取り役のK先生や校長は残念な答弁しか出ないと思います。

私は同じボートで声掛けの役だった山川先生の話が聞きたい。」

山川先生の供述は裁判に提出する書類にあります。と言われた。



裁判は最初にテレビ局の裁判所内部の撮影があるそうで、それが終わったの確認して法廷に入った。


傍聴席は人でいっぱいであったが、主人と私の席は確保してもらっていた。


冒頭陳述が検事とD氏のH弁護士で行われた。


検事と信頼できるH弁護士。

裁判は娘の追体験をするようで辛かったが、安心して聞けた。


検事の提出証拠は58点にもおよんだ。


H弁護士の主張は3点。

自主艇での曳航、学校の正課の授業中の事故、指定管理制度の中で起きた事故だった。



 ボート事故「校長らも過失」浜名湖で転覆 元所長側、公判で主張

 浜松市の浜名湖で2010年、静岡県立三ケ日青年の家主催の体験訓練中に手こぎボートが転覆し、豊橋市の中学生が死亡した事故で、業務上過失致死の罪に問われている同青年の家元所長、檀野清司被告(57)の冒頭陳述が24日、静岡地裁(佐藤正信裁判官)であった。弁護士側は、檀野被告だけではなく学校長らの過失も原因となって事故が起こったと主張した。
 検察側は、大雨洪水警報などが出ていたのに被告が中止をせず、教諭らに伝えなかったことや曳航経験がある所員がいたのに、経験のない被告が救助に向かったことなどを指摘。速度確認や乗船者への指示に問題があったとした。
 弁護側は、訓練前に安全対策を検討しなかった学校やボートの船長役だった教諭、安全対策を作らず引き継ぎも十分していなかった被告の前任の所長にも過失があったと主張した。
 2015.4.25 朝日記事








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検事もH弁護士も、今後の裁判に出廷する4人を挙げていた。

K先生と 校長

そして青年の家の前任者 岡山のカッターボートの専門家だった。


3月31日  同級生の活躍を見たい

2015-04-02 07:17:56 | 学校に対して
3/26
静岡地方裁判所に向かう際に主人と私は春の甲子園をカーナビで見ていた。

この日はで豊橋工業高校に進んだ娘の同級生が21世紀枠で甲子園に出場する日であった。
地元ではバス数台で応援に行くと聞いていた。

「同級生の活躍を見たい」と事故に遭う最期の日、野外学習のしおりに綴った娘。



複雑な気分でテレビを見ていた。

テレビには同級生の姿があるはずだったが裁判の時間と重なり全てを見ることはできなかった。
準優勝になった東海大四と試合だった。


娘への弔問に来たことのある3人。


私は嬉しくて、
夏の甲子園出場に忙しいだろう彼らにラインで娘と連絡がとれることを思い電話していた。

「花菜が喜ぶから弔問に来て下さい」


「行こうと思ってました。」と電話に答えてくれる彼。

ラインで連絡がとれるのは1人だった。


「今から行きます。」とすぐ来てくれた3人。

「3人で行きます」とメールがあり、主人と待った。


来てくれたのは甲子園に出場した3人だった。

そして娘の祭壇の前に甲子園の土を供えてくれた。




すっかり大きくなった姿にびっくりだった。


試合当日は吹奏楽部のない豊橋工業高校に吹奏楽部に入っているだろう娘が応援していることを考えていた。
'

ボート事故の被害者だった彼ら。


「花菜 覚えている?」と訊く主人。

部活でたたきこまれるのか正座で、勿論と答える彼ら。




事故から止まってしまった私達の時間




彼らの時間は確実に進んでいた。






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3/30章南中のI教頭が異動の挨拶に来た。
卒業アルバムの件でもめてから弔問に来なくなった教頭。
教育委員会に在籍していた時は私の心にケアで3人の臨床心理士を連れてきてくれたI教頭。

事故の時の教頭で「全員無事」と早くに発表したM教頭。
異動の時泣きながら「弔問に来させて下さい」と言った激情型のM教頭。
章南中という単位でなくては二度と弔問に来ない彼。

4月に章南中のS校長が新教頭を連れて弔問に来る。

生徒の命を大切に考える教頭であることを祈っている。

3月26日  真実が知りたい <第1回公判>

2015-03-27 07:07:59 | 学校に対して
裁判は11時から。
検事からマスコミも来るので10時半には来るようにと言われていた。

豊橋から車で3時間かかる静岡地方裁判所。
朝7時に花菜の学校を代表してボートの宣誓をしている暗い表情の写真を持って家を出ていた。

10時半に静岡地方裁判所に到着すると、



多くのマスコミが来ていた。



到着したら私達を案内するからと電話で検事に言われていたので
もう検事や関係の職員が待っていた。

裁判まで個室に通され本日の裁判の説明を受けていた。

数日前検事から
「D氏の弁護士が無罪を主張すると言っているが西野さんご存知ですか?」と電話を受けていたので
「あの件はよかったみたいです。」と言われた。

検事:どんな判決を望みますか?
私:主人もそうですが、適正な判断を望みます。

検事:これから月1回の回数で裁判が進んでいきます。
同じボートに乗ったK先生も呼んでいます。

私:海難審判の時もK先生がこたえてました。
  皆が真剣に事故の真相を知ろうとしているのにK先生はその気がない答弁で残念でした。。


H弁護士にD氏の起訴された原因について訊けとうちの弁護士に言われ連絡をとっていた私達。

 
「この事故は私が花菜さんにもらった仕事だ、」と言いきるH弁護士。

海難審判の時怒りで泣いたH弁護士。


第1回公判は10分で終わると検事から説明があった。

中学校長への「不起訴不服申し立て」をうちの弁護士に3回も相談している。(4回目は4月になってから)

出航判断ミス・乗船者名簿の不提出・自主艇について学校の罪を相談している。



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検事は私達に今日の裁判について説明しながら
D氏のH弁護士が今裁判所のどこにいるかを気に掛けていた。

そして私達に
「取り込まれる怖れがあるのでH弁護士と接触しないように。」と言った。



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D氏が業務上過失致死を認める形で裁判が始まった。


H弁護士:「滞留水が問題ですか?」  と。


車イスで主人の隣に座る私は


             真実が知りたい


と思うばかりだった。


そしてそのことが


           娘の生きた証になると


主人は「これが始まりだ」と言った。

                
                           5年待った私達遺族。

1月29日  学校が許せない<元所長だけの起訴>

2015-01-29 07:48:21 | 学校に対して



昨日仕事に行ってる主人から9時過ぎに「検察から連絡があった。」とメール。

5年近く待ってようやく・・。


それからが大変だ。
各マスコミから電話と取材の嵐だった。
5年も前の事故なのに風化防止の気持ちからもありがたかった。


検察が我が家に来た時に説明されたのと同じだった。
ボートを曳航した元所長の起訴。


私が泣いて「学校が許せない」と言っても、学校への言及はなかった・・
それどころか
重度うつ病で出てこない校長を心配する。



この5年。
多くの同級生達から聞いた事故の様子。

学校が「生徒の命を預かっている」という認識を持っていてくれたら、
娘は2時間半も行方不明の状態にされなかっただろう。
それどころか、助かっていたかもしれない。


引率した8人の先生達は中学から異動すると娘の弔問にも来ない。


          まるであの事故がなかったように。 

         
       あの事故によって娘の命が無くなったことを忘れたかのように






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 8人もいたら何か再発防止をできるだろうに。

1/19に毎月弔問に来る豊橋教育長に菜の花キャンドルに、引率した先生達がひとりも来ないことを伝えた。
被害を受けた同級生達と加害者になった先生達。


なぜ遺族に任せて先生達はなにもしないのだろう。  自分達がかかわったことを忘れたいように。

1月1日  たった二人の遺族

2015-01-01 12:28:22 | 学校に対して
今日の新聞社会面に事故の事が掲載されていた。




  浜名湖ボート事故で地検

 浜松市の浜名湖で2010年に野外活動中のボートが転覆し、愛知県豊橋市章南中学校1年の西野花菜さん=当時(12)が死亡した事故で、静岡地検は、業務上過失致死容疑で書類送検された宿泊研修施設「静岡県立三ケ日青年の家」の元所長(56)=東京都杉並区=を起訴する方針を固めた。同容疑者でともに書類送検された章南中の60代の元校長=豊橋市=ら5人は不起訴にする方針で最終調整している。捜査関係者への取材で分かった。
 捜査関係者によると、施設の指定管理者「小学館集英社プロダクション」(東京)の社員だった元所長は事故当時、天候悪化が予想されたのに漫然と訓練をさせ、不用意なえい航でボートを転覆させた過失があると判断したとみられる。元校長も訓練実施の是非を判断する注意義務に反したとして、書類送検されたが、「えい航時に舟が転覆するとまでは予想できなかった」として立件を見送る方針。他に不起訴になるとみられるのは、当時の静岡県教委社会教育課長や同プロダクション職員ら4人。訓練の実施判断基準や緊急時の対応要領などのマニュアル作成を怠ったとして、静岡県警は13年2月に元所長らと書類送検していた。
 事故は10年6月18日、校外学習に訪れた章南中1年生18日人と教員2名が乗ったボートが荒天で動けなくなり、元所長がモーターボートでえい航中に転覆。全員が湖に投げ出され、ボート内側に閉じこめられた西野さんが溺れて死亡した。





主人と静岡検察に行ってからもうそろそろだなと思っていた。

しかし刑事裁判になっても私達両親だけである。

民事裁判も主人だけでおこなった。


裁判は遺族でするものと思っていた。

しかし主人の兄弟は姉が三人もいてどの姉も福岡や千葉に住んでいる。

静岡に近い愛知の豊橋に住む私達は同じ愛知でも名古屋に済んでいると思われがちである。


こちらの新聞やテレビニュースなどで取り扱われても福岡や千葉にはない。

しかも鹿児島に住む義父は90を超えた高齢である。


孫のことが裁判になっても兄弟の子どもが裁判になっても知らないだろう。

以前事故のことが掲載された新聞を義姉に送ったが悲しくて読んでないと言われる始末。


これからの裁判も二人で参加するしかない。