■鑑賞日記

基本的に[ネタバレ]に配慮しておりませんので御注意下さい。そして概ね敬称略。

剛紫・美我空 09/4/18

1909年04月18日 | t4ソロ
「さぁ、え~、今週もですね、え~、美我空のお時間でございますけれども~。
え~、まぁ、最近ねぇ私は~、ま、つよしと呼ばれたり、
あるいはつよしむらさきと呼ばれたりですね、
え~、飛び越えてパープルと呼ばれてる、え~、僕ですけれどもね。
もうパープルまでいくともう随分と先になっちゃってるんですけれども。
えぇ。

ま、でも、あの~、先日もねちょっと、タモリさんとかねぇ、
色々奈良のお話も含めてお話させてもらう機会とかもあって~。
うーん。
非常にあのタモリさん奈良のことすごく大好きだということで、
色々お話いただきましたけれども~。

何かこう紫っていう字は、昔も今も何かこう~人の心を安らげたり、
ちょっとこう中和するようなイメージっていうのかな。
うーん。
ちょっと考えさせる色というか、
ま、そういうイメージはなんかすごく僕あるんですけれども。
まぁ、あの~パンフレットやねぇ、
様々な雑誌で何回も言ってますが~、
やっぱりその~日本であったり奈良であるっていう
自分の原点を想像させる色でもありますしねぇ。

ま、この色をひも解くと赤と青になって、
赤は愛情で、そして青は痛みであると。
で、その、愛情とねぇ痛みのバランスが今やっぱりすごく複雑でねぇ、
偏りすぎている時代ですから。
なんかうまく間を取って、え~、綺麗な紫、ま、自分という原点をね、
え~、見つめ直さなきゃいけないという、ま、僕自身もそういう思いで、
まぁこの紫を付けてますけれども~。

やっぱり~、芸能界に入る以前の自分に会いたいというのが
非常に強いみたいですねぇ。
うーん。だから、芸能界に入る前はねぇ、あ~のほんとにねぇ、
うーん、すごい愛情もらって~生きてきてるんですよ。
だから世の中に~出たら悪い人は誰一人いないと僕思ってたぐらい~、
何にもなかったんすねぇ。嫌なことが。
ほんとに守ってもらってたんですね、親からね。うーん。
だから、ほんと世の中出て嘘をつく人は誰一人いないし、
人を傷付けるようなことをする人誰一人いないと思って
僕、東京出てきてるんですよね。

そしたらもうその日ですよ、
うーん、その日、その次の日ぐらいからもう、
『あれ?人って~...』っていう疑問がどんどん出てきて。
『あれ、この人ほんとに笑ってんのかなぁ?』
『嘘ついてんのかなぁ僕に』
『僕を騙そうとしてんのかなぁ?』
『え~、世の中にこんな悪い人っていんのかな?』
って。

すごい子供だったんでねぇ、もう心がもう真っ白だったんで~、
何かねぇそういう時間をすごい過ごしたんですよね。うーん。
だから振り返ったら芸能界入ったときに~、
愛情沢山もらってますけど~、
でもやっぱり~傷とか痛みの方が多いですね。
うーん。断然多いですね。

で、まぁこの、その傷や痛みを得ながら~、まぁ30歳になる今というところで、
やっぱりその~赤い愛情ですよね、
その愛情を生きていたときの自分を思い出したり、
でも~、その~痛みを生きた自分も、うーん、消すこともできなくてね。
うーん。
でもやっぱり~偏るわけではなく~、
その何か自分というものを、原点というものを、
今の自分というものをちゃんと考えようっていう思いで
この紫っていう文字がこう浮上してきたわけですけれどもね。

うーん。
オーディエンスの人達の愛情とかね、様々なほんとにその愛情を守りたい。
うーん。
ほんとに僕なんてあれですよ、ずっと~この世界いますけれども・・・

うーん、自分がほんとに信頼して~、ねぇ、
スタッフの方々とお仕事したいと心から願っても~、
それを、あ~の~切り裂く人もいっぱいいますからねぇ。
うーん。
だって今まで僕が、
今も連絡取ってる人沢山いますけれども~、
お世話になった方ね。
うーん。
どうすれば~、沢山の人にねぇ、その~剛の思いが届くんだろうとか、
いろんなことやってくださって方ほんとにいるんですよね。

でもそういう方って~、
何かやっぱり~・・・具合悪いみたいですねぇ。うーん。
なんか~、いや、変な話、だって、皆が~そうしてくれればいいんですよ。
うーん。
でも、そうせえへんから~その人が例えば浮き立つとか~、
まぁその人に対して皆がまた甘えていくわけでしょ。
うーん。
『お前、じゃあやっといて~』みたいな。
社内でもあるでしょ、なんかそういうフワッとしたやつ。
うーん。
何かこう~『あいつにとりあえず任しとけばいいか~』っていう。
でも任す時点でやっぱり、うーん、愛情はないわなぁというか。
うーん。
任してしまうと~、
じゃあもうそこで何がどうあっても~、どう思われてもええんねやろお前
っていうような感覚ってあるじゃないですか。
うーん。
何故~、皆平等に行けないのかなっていう。
うーん。

でも、そちらが平等じゃないからこっちも平等にしませんよ
っていうのが僕のスタイルなんで~。
僕0か100なんですよね。うーん。
悪い癖なんですけど。
でもやっぱり~、その自分に愛情をくれる人に対してだけ
愛情を与えるのかっていうことではなくてね、一回歩み寄りますからね。
うーん。
一回歩み寄って、『あっ、やっぱり愛情ないんですね』っていうのを、
何回か確認してからもう0にするタイプなんで~。
うーん。

そういう意味では、だからほんとにオーディエンスの方には100むいてますよね今。
うーん。
だからこの美我空というプロジェクトが始まっていったということでしょうね。

20代最後のですねぇ4月の9日、そして30代最初の4月の10日ですねぇ、
あの~、朝とりあえず奈良の吉野まで行きまして。
で、千本桜をバックに自分で、え~、30歳の自分をまず撮ったのと、写真撮ったのと、
あと家族連れてったんで、家族と写真を撮ったりして。
で、家族もライブも観てくれてましたし。
うーん。
まぁ、その~、何でしょうね。
ま、ライブの映像とかもちらっと見せましたけど、ひどく感動してましたよ。
なんかやっぱ親なんでねぇ、当たり前やと思うんですけれども。

まぁ、ちょっとスタッフの人にもご無理を言って、
車出していただいて、行ったんですよ。
まぁでもねぇ、ほんと吉野の千本桜なんでねぇ観光客の人がまぁすごくて、
『あれ剛じゃない?剛じゃない?』ってすごいおばちゃんに言われて。
『でも似てるだけかなぁ?』とかっていうそういう感じの中を
その、練り歩いて、写真撮ってきましたよ。
う~ん。すごくでも良かったです。

で、その後東京帰ってきてお母さんにまた電話して色々して、
そしたら、うーん、
『ほんとにありがとう』と、
『剛、すごい疲れてるのに朝早くからあんなん付き合ってもらって、
なんかお母さん今思い出しただけでも涙が出ます』って言うて、
受話器ごしでずっと泣いてはりましたわ。
でもね、皆さんのね、お力添えがあったから、そういう時間がもらえたから、
あの、スタッフの皆さんにも感謝してね、僕も、あの、
『そういう今お母さんに流してもらってる涙とか思いもちゃんと大切に感謝して』
あの『これからも生きていくんで』って言って。
『お母さんも体だけは壊さんとね』って言って、
『ありがとう』なんていう時間をちょっとね、電話で過ごしましたけれども。

まぁでもほんとに母がいたから、
そして奈良があったから今の自分があるし、
オーディエンスの人達の愛情があったから
今こんなことを言わせていただいてるんだなぁと、
ほんとに心からねぇ
いろんな思いが込み上げては、空に放たれていくような気持ちですね。
だからその、
この空に放たれた様々な思いが、オーディエンスの方やね、家族に
届けばいいなぁとほんとに、思うわけでございますけれども。

・・・・・・・・・・・・

「剛紫」がお送りしてきました美我空、いかがだったでしょうか。
え~、ま、今日はあの、うーん、誕生日のその~4月10日、
そして前日の4月9日に、
え~、なら100会館という所でねぇライブを行ったというエピソード、
え~、そして家族と過ごしたエピソードをまぁちょっと
語らしていただきましたけれども~。
うーん。

ま、このラジオはですねぇ、
あの~、まぁ企画も色々ねぇ盛り込んでいきたいと思いつつも、
でも~、やっぱりこの~、
ライブ以外の所で~オーディエンスの人達と繋がっている場所でありますから~、
出来る限り、まぁ、お便りも読みたいとは思ってますけれども~、
出来る限りまぁ自分はこんなことを思ってましてとか、
ま、こんなことを思っていますよということをね、
え~、お伝えできるような場ではありたいなというふうに、
え~、思っているわけでございますね。
うーん。

ま、「剛紫」のねファンクラブとか、
え~、なんか出来ればまた形は変わってくるんでしょうけれども、
まぁ、少しずつね、
いろんなことを変えていきたいなというふうに思っていますが。

まぁ、そうですねぇやっぱりあの、すごくステージもねぇあのシンプルでしたという、
まぁあのお便りとかも沢山いただいてるんですけれども。
まぁ、ほんとにいろんなものがいらなくなったみたいですね。

とにかく目の前にある皆さんの愛情というか
愛があれば僕は生きていけるんだというふうな、え~、シンプルな思い、
だから照明をどうこうする、衣装をどうこうする、
セットをどうこうするっていうのはそんなになかったりしましたね。

ま、皆さんあの気付いて、あ~、そう、
皆さんに話してないからねぇ、あれやったと思いますけど、
グッズのねぇ、あの~家紋みたいなデザインとか、
ま、全て自分で書いてやってるんですよ。
細かくもう、これもねぇ、あの自分で作ったんですよ。
この~、これを~自分で絵で描いて~、
で~、このプリントでバーッてしてるんですけれども。
ま、これもあの~グッズでいうとノート。
ノートに、
あの~この家紋みたいなのプリントされてるノートとか出してるんですけれども。
Tシャツの~、え~、模様も自分で書いてますし~。うーん。
まぁ何かこう~、ほんとに・・・さりげなく様々
デザイン今回すごくしてるんですよね。
ま、前もしてますけれども、前からもその自分の人生の中で様々ありましたけれども。
でも~、今回はほんとにその~自分で、何て言うんですかね?
手で書くということであったりとか~、
なんか思いをそこに乗せていくっていうようなイメージがすごく強くてね。
えぇ。
そんなようなグッズ展開とかも。

ま、今後、うーん、ま、皆さんの、え~、様々なねご希望があれば~
ライブの回数は延びるのか、分からないですけれども。えぇ。

そしてねぇ、あ、言うの忘れてたんですけど、
皆さんの、え~、お力添えもありましてねぇ、
シングルが、え~、オリコン1位いただきまして。
で、アルバムがオリコン3位いただきました。
ま、あのこれ、僕、逆になるかなとほんと思ってて。

この空という曲がね、ま、母に聴かせたときに~、ま、母はねぇ、
息子の歌やからっていうのもありますけれども、
涙ボロボロ流しながらヘッドホンで聴いてましたよ。
で~、こういった曲っていうのはねぇ
今の時代ちょっとね重たいのかな?っていうふうに思ってたり
ちょっとしたんでね。
ま、こういう曲が沢山の人に届くか分からへんけど、
でもお母さんのねぇ子供に生まれて
ま、こういう曲を作るということができたことを
すごく心から感謝します。って言って話をしたんです、
お母さんに。
そうそう、そんな話もしててねぇ、
何か僕ん中では~意外に『あ~、そうなんや~』っていう印象でしたねぇ。
で、アルバムの方が~
何かまぁなんとなく皆買ってくれんのかなぁぐらいの感じで思ってたんですけれどもねぇ。

ま、でもほんとにまぁ時間ない中作ってるアルバム、そしてシングルだったんでねぇ。
まぁ、次僕がほんと作品を作らしていただくんであれば、
ほんとすごく時間がほしいっす。
ほんと言ったら、このアルバム全部自分でやりたかったんですもん。
あの、演奏も。と
にかく誰も入れたくなかったんです。ほんとはね。

で、ライブでは、
自分が戦った、戦ってきた、これからも戦っていきたい、ま、その戦友ですよね、えぇ、
方々と~、ま、表現していきたいっていうふうに思ってたんですけれども。
まぁ、それをする時間がなかったですねぇ。うーん。

時間がなかったと言うのがすごく嫌いなんで~、
え~、1時間しか寝てなくても~、ドラムを叩きとか色々やってるんですよね、
このアルバムん中。
でもそれを、うーん、まぁほんとにねぇ
もっと時間がほしかったなぁっていうふうに思いますから、
まぁいつかね、そういうアルバムや作品をね、
あの、世の中にどんって出せるように
自分もどんどんスキルアップしてやっていきたいと思いますんでねぇ、
これからも皆さん、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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BIGAKU=FUNK 2009/4/17

1909年04月17日 | t4ソロ
30歳になった時にね、自分はこうしたいなとか自分はここ変わってへんな、
ここ変わってへんなみたいな、変わってへんことだらけだったんでね、
こっちの自分ていうか、この自分が、自分が愛すべき自分だなと、
社会に揉まれていきますとね皆さん変わっていかなければいけないという
ジレンマと闘って生きてらっしゃる方がいますけれども、
時代は変わりすぎた、人が変わりすぎた、こんな感じやったっけ?
日本の人、っていう瞬間って結構ありますよね。芸能界で特に生活
していますと、そうなのか、と思った時に自分もこうなりたくないなと
自分だけは、ありのまま、素直に、そのままでいよう、
いう風になんか感じましたね。

例えばね、ホントにその仕事をしていく上でいいんですよ、
あのみんなのその立場があるでしょ?
お役目があるでしょ?言われへんことがあるでしょ?言わなあかんことが
あるでしょ?それはもういいんですよ。ただそれを言う前、やる前に、
己はじゃ、何を考えてんねんということが大事やと思うんですよ。
こんなこと言いたくないなと、この人に。けど言わなあかん、じゃ言おう、
ということで言っていくのと、とりあえず言っといた方が無難やなで
言っていくのとエラい違うじゃないですか。

でも、なんていうのかな…言い方難しいけど僕頭いいから、
例えば、「あなたにこれを言うことは間違ってるんですけれども、
こうこうこう言われたんで、言いますね」と言われた方が飲み込めるん
ですよね。
ああ、あの人にそう言われたんか?と。いいよ、わかった。言われた
ということをふまえて、うん、わかったわかった、いいよー、
世の中ややこしいなぁ…って、何もなかったかのように過ごすことが
できるという頭の良さを持ってるという。

だってスタッフの人たちも、色々一緒にやってる人たちもそうやけど、
「それはちょっと剛紫くんには言わん方がいいかな?」「無難かな?」
みたいなことで固められて時間すごしてることが多いんですよね。
そん時に、まぁ言うことがいいとも思わないですけど、言わないことが
いいのかとも思いますからね。
でもそれが、「こうこうこうなんですけど、どうですかね?」って
言われた時に僕には絶対正論を持っているから、
多分みんな言わないんでしょうね。

だって、「あなたがこうやからこうなってるんじゃないですか」って、
こととか、「そう言われたらそうかもしれませんけど、
じゃ逆に僕はこういうふうに思いますけど、そこどう思いますか?」と
いうふうに言われたくないからなんでしょうね。
逃げていかはるんでしょうね?だから言わんとこうみたいな、
こととかって、もうホントにこの何年間の経験してきてるような
シーンですよ。

~5

そして、まぁその数々のですね写真なども送っていただこうなんていう企画もあるんで
ここで、一つスタッフさんからお詫びがございます。
空の写真などね写真を添付してメールを送るのが、めちゃめちゃ送りづらかったと
そして皆様にちょっと大変ご迷惑をお掛けしました。
ホントにすいませんていうことでございます。
今夜からはですね、
写真を添付してメッセージを送っていただけるアドレスを作りました。
bigaku.@fmosaka.netです・a href="mailto:Bbigaku.@fm">Bbigaku.@fm…
(スタッフ「bigaku@、ドットはいらない」)
いらないですね、ドット書いてましたね?
(スタッフ「書いてました」)
ここもOAしますからね、書いてるんですよ、ドットがね、
(スタッフ「完全に書いてます」)
完全に書いてます。完全にね、読んだパターンですね。

まぁあの~このお詫びメールも、いつも僕が読んでるな、
ま、当たり前なのか、いいんですけれども、いいんですけど、なんかその
その僕が、僕がぁって思ってしまう時がちょっとあるんですけども、
ホントにすいませんってね文字とか読ましていただきますけれども
今度からあれですね、声これ録音したやつとか、それを流すぐらい、うん、
ちょっと音割れでしまうかもしれませんけれどもね、
ま、そんなんもオモロいかなぁと思いますが

ま、ちょっとでもね。
あのスタッフも皆さんの意見をちゃんと聞きながら取り入れながら、
え~どんどんどんどん皆さんに歩みよりながらですね作っていっておりますので、
え~少々の、え~トラブル、不具合ございますでしょうが、
皆様…大きな大阪の、まぁまぁええがな、というところで許していただければなぁ
という風に思っておるわけでございます。

いやぁなんかあの正直ね、
その4月の9日、まぁ10日立たしていただきましたけど、
まぁ目の前にね、あのこうやって感じてくださる方々がたくさんいるという喜びと
『家族』も来てましたんで家族のその、
う~ん、一緒にその日を迎えられたという喜びと色んなものを感じながら
ステージに立ちましたけど、う~ん、
やはりなぜかこう孤独という感覚が拭いきれないみたいですね、う~ん、
これはなぜ孤独なのかという理由すらもあまりわからないというか、
ま、というか自分がそこ選んでるんでしょうね。
うん、そうすることによって、ありのままの、そのままの自分というものが届く、
という解釈にDNA的になっとるというか

ヤッパリそこでワイワイみんなでして、
イエーイってステージに立つようじゃなんかちょっと違う、
とにかく自分一人で、たった一人で色んなことを考えたい、
ありのままの自分、そのままの自分を見つめたいということで
多分孤独になるんでしょうね。
うん、ま、今楽しんでくださいねというお言葉もいただいていますけれども、
楽しんでないわけではないんですよ、
ただ、孤独を選んでしまうんだろうなというところ、ありますね。

ヤッパリあれですね、その今自分の周りにある色んなことを
正していきたいなぁっていう気分が凄くありますね。
うん、いらんもんはいらんし、必要のないものは必要なぃ。
うん、ヤッパリなんかこう出した答え、
そして出た答えというのがあると思いますけれども、
その答えがね必ずしもヤッパリ
『相手が全て悪いわけでもない』し、『自分が全て悪いわけでもない』
うん、こらもう自分をあのいい風に持っていくための発想ではなくて、
物事の結果とか答えとかいうものは、
お互いが歩み寄ったり考えたりしてとった行動に対して
色んなことがおこっていくじゃないですか。
で、その結果というものはある、
またその結果や答えというものを、とやかく言う前に
自分たちが、どれだけ成長したんだろ? とかね、
或いは自分がどれだけ何を学んだろう? みたいなことが日々大事なことですよ。

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BIGAKU=FUNK 2009/4/11

1909年04月11日 | t4ソロ
今日はですね4月11日でございまして。私、昨日ですね、30歳になりました。
何かこう、確信っていうものではありませんが、ありのまま、
素直な自分で生きていけるんじゃないかな、なんていう風に思いますね。
ほんとにありのままで自分のままで、やっぱり生きて行く事が
僕の目標みたいですねぇ、昔から。
芸能界っていう所に入ってね、たくさん色んな期待に応えたり、
イメージというものを生きた、時間もまあもちろん、素晴らしいとは思いますけれどもね…。

やっぱり、愛して下さる人々の前に立つ時にねぇ、嘘はつきたくないなぁって
事であったりはしますしね。
まあ、とにもかくにも、この30歳という年齢を跨ぎ僕は、素直になって
行ける事だと思います。
まあ、とにもかくにも、皆さんに対して、オーディエンス、ファンの方々に対して、
ありのままの自分で居れるように僕もね、この社会と、まあ、芸能界っていうか、
社会をうまくかわしながら、ありのままで、ただただ真っ白に生きていけたら
なんていう風に思っております。

先程も言いましたけれども、
何かもう「これだけでいいんだ」という気持ちが多いです。
何かやっぱりね、みんな嘘が多いから凄い疲れるなぁっていう・のが多い…。
何か、多いかな、気持ちとして。
何かやっぱり誰かに気に入られようとかぁ…何かやっぱりねぇ、
自分の為に、嘘をつくっていうかね、何か、めんどくさいね。
何か、頭で来られたり、嘘で来られると、その人との関係は、
もう嘘でしかないし、頭でしかないっていう風な事が、僕の持論なんですね。

心で来てくれる人に対しては心で行けるし、最後まで心で行けると思うんですよ。
でも何か、一つでも嘘があったり、頭を使った何か、時間が生じると、
もう一生繋がれないんだなっていう…それぐらい…
自分で言うと説得力無いですけどぉ、やっぱり繊細なんだなと思いますねぇ。
芸能界入る前なんて、ほんとに凄い繊細でしたからぁ…。
ちょっと人にきつい事言われると、お腹壊したりとか戻したりとか、
もうほんと、ざらだったんですよねぇ。
そういう事は、母親がね、本当におっきな愛情で育ててくれたという、、結果が
そうなんでしょうけれども。

やっぱり何かこう多いねぇ、嘘って。凄くめんどくさいって思うし、凄く悲しいね。
だから、昔の僕は、人と話さなかったですし、人との付き合いもほとんど
無かったっていう自分ですけれども。
芸能界に入ってねぇ、そういう事はやっぱり多くなってきますし、
言われた嘘も、信じて騙されたりね。
まあ、踏み台にされたり傷つけたりもいっぱいあった訳ですよ。
楽しかった事もあるけどね。
でもそれは何かやっぱり、自分が悪いっていうのも勿論あるじゃないですか。
例えば騙されるとか、信じてしまったという事がある訳ですから。

だから、どちらが悪いとかっていう話をしてるんではなくて、
そういうものに対して、そういう時間に対して、
やっぱり、凄く悲しんだり辛い想いをしたなってのは凄く
僕はほんとに、たくさんあるんですけれども。
ま、だからこそ、今のような歌を創れるという事もあるでしょうし、
ファンの皆さんに愛を返したいとか、素直な気持ちで
あり続けたいんだという気持ちにもなれたんだとは思いますが・・・。

今も本当にほとんど人と喋ってないですもんね。寂しいとかネガティブって
いう事ではなくてねぇ、何かやっぱり、それが自分だったんでね、元々。
人とそんなに、付き合いもしてなかったですし、話もしなかったんですよね。
でも、話をして損の無いって言い方は変ですけれどもぉ、この人だけは、
自分にとって本当に愛情を捧げてくれているんだという人とは話をします。

でもその・一つはやっぱり、僕にとっては、
オーディエンスの…ファンの方々なんで。
変な話、スタッフの人が聞いたら、ちょっと悲しむかも知れへんけど、
スタッフの人よりも、ファンの人とかオーディエンスの人を信じているから、
あの美我空というプロジェクトが始まっているんだという風に、
思って貰ってもいいと思います。

みんなが敵ではないし、みんながみんなが味方でもないという様な
意味合いっていうかね…。
スタッフの方々でもね、努力して、向き合って下さる方もたくさんいますから。
それは全然、スタッフが嫌だとか、そういう事を言ってるんではなくてね、
やっぱり、あなた達の愛情の大きさが大きすぎて、
そういう風に感じてしまうんでしょうね。
僕には、これだけの大きな愛情がそばにあるんだという事を、
感じれるという事は、本当に心から幸せだなって思っています。

僕の人生ってね、僕にしか分からへんっていう究極な事はありますけれども。
やっぱり自分らしくある事、自分でいるという事を否定され続けてきている
時間というのが、ほんとにありましたからね。
「そんな事、言ってくれるな」・っていう時間が多かったんですよねぇ。
「僕はこう思うんです」みたいな真面目な正当な意見を出すと、
「ちょっと黙れ黙れ。静かにしろ」っていう事がほとんどでしたから。
「思ってなくても、こういう事を言え」っていう事だったりとか、
あるじゃないですか?

「何なんだろうなぁ。でもこれが多分、僕が頑張らなきゃいけない事なんだな」
と思ってやりましたけどね、色々。
でも母親に申し訳ないなと思ったり、家族に申し訳ないなと思ったり、。
何かほんと色んな事を思いました。今も思ってるし…。

でもその、変わろうとした自分っていうものを否定したくないから、
変われなかった自分、変われない自分を今、ただ素直に愛したいんですよね。
いつの日かほんとにその、変わろうとした自分も愛せる時が来ますけどね。
今まったく愛せないって訳ではないんですよ。
やっぱりまずは、原点に戻りたいって事と、
ありのままの自分を愛したいという事がまずあるんですよね。
だからこれだけシンプルな美我空っていうプロジェクトが始まっているんですけどね。

色々人生ってものは、ありますけれども、こんな時代の中でね、社会の中で、
ありのままそのままで生きるという事は難しい事は分かっていますし、
傷つくという事も分かっていますし、多分、たくさん涙を流すでしょうね、これからもね。
でも生きているのであるから、そこと向き合い、やっぱり自分であるから、
そこと向き合って生きていきたいなというのが、素直な気持ちですね。
そういう思いをしてでも、そのままでありたいななんていうふうに思っている訳でございます。

今から聴いていただく曲はですねぇ、4月10日、
昨日リリースさせていただきました、『剛 紫のファースト・アルバム』
『美 我 空 - ビ ガ ク ~ my beautiful sky』より、
“綴る”という曲を聴いていただこうと思うんですが。

常日頃から国民がね、空を見上げるという習慣があれば、
もしかしたら素敵かもしれないですね。
いやほんとに、空を…この美我空というのは、
空を見上げるプロジェクトでもあるし、空を見上げ、
自分の空(くう)…空(から)な状態…スペースを心の中に作ってね、
ほんとに自分にとって大切な美しいものは何なのかと、
そんな、きっかけになれるといいななんて思って始めたプロジェクトでも
あります。それはもう、自分自身でもそうですからねぇ。

僕は昔から空を見上げるという事が癖みたいになってますからぁ。
今日までほんとに、何万回見てんのかなというぐらい見てますからね。
自分のデジカメも空の写真ばっかりですし、
海外に行っても空ばっかり撮ってるし、。

例えば、CDであればCDを出して行こう。たくさんの人に届けよう。
この歌のこの想いをたくさんの人に届けようと思った時に、
じゃあねぇ、宣伝であったり制作であったり、アーティストであったり会社だなんだと、
色々こうなってきた時に、もうその時点でなんか、フラフラしてるなぁっていうか…
その部署の担当をやって行くっていう事が、限りなく出来なければいけないんで
しょうね。
でも、そうしていただく為に、僕もたくさんスタッフの人に話をする様にはしてますし、
現場をなるべく見ていただく様にはしていただいてるんですけれどもね…。

でも本当に歌をこうやってね、リリースさせていただけるっていう事は、
凄く幸せな事だなと、ほんとにいつも思いますねぇ。
CDをリリースするのにも、凄く大変ですからね、うん。
たくさんの人に動いていただかなければいけないから、うん。
でも今回はほんとに、自分でね、ベース・ドラム・ピアノ・ギターも全部
手がけていますけれども。作詞・作曲・編曲もそうですが、
何かね、自分がやりたかったという事ではなくて、自然にそうなりましたね。
自分がやっぱり、こうだと思う事を、皆さんに伝えたかったという、
ただ、その純粋な想いなんですよね。

皆さんが「いや、剛くん、こうした方がいいんじゃない?」
「この方がいいと思うよ」って言ってくださる…
そういった、あのー・・・何ていうのかな?
愛情とか優しさを断ち切る勇気っていうのが、凄く今回要りましたね。
凄い辛かったけど、うん。みんな、良かれと思って色々やってくれはるから。
「あ、いいです」って、「これでいいんです」って言いながら、創り上げた、
シングルでありアルバムですからね。オーディエンスの人達に、とにかく、
濁り一点なく、もう、ありのままそのままで、何かお伝えしたいなという気持ちが
凄く強かったんですよ。
ほんとにね『ありがとう』と『愛してる』を、ただただ素直に言いたかったんです。

でも、もっともっと僕はね、今以上に言える日が来るという事を確信していて、
もっともっと素直に言える様になりたいなって、今凄く思っていますね。
ま、とにかくね、色々ありますけれども、うん。
まあ、本当に30歳を迎えるという、ここまで生きられたという事が、
凄く嬉しいなと思います、うん。
だって、18ぐらいの時にね、ほんとに生と死を考えて生きた人間ですから。

そして、音楽…そして、その時もそうでしたねぇ、
オーディエンス、ファンの皆さんにいただいた言葉で、
街中ですれ違う時にいただいた…かけていただいた言葉で、
僕はここまで生きれているんですから。凄く、感謝が止まないですけれども。
まこれから僕は多分その…素直になり、ありのままになって行くが故に、
孤独を背負う事にはなると思いますけれどもね。
傷も増えるでしょうし、悲しいなと思う事もいっぱい増えるとは思います。

多分、傷付く事から逃げたり…孤独から逃げるとなると、
変わろうとする自分や、もうちょっと神経を鈍らせるって言うのかな?
「もっとラフにいったらいいやん」みたいな感じに生き始めちゃうんだと
思うんですけど。それをするとやっぱり違うんだなっていう・・・。
「あぁ、この人も嘘ついてるな。こうだな、ああだな~」とか、
全部見えてきちゃうけど、まあ、それを感じてしまう自分なんだから仕方がないし、
さっきも言ったけど、まあ、説得力はないけど、
繊細な自分であるのならば、繊細でいいんではないかという…。

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