■鑑賞日記

基本的に[ネタバレ]に配慮しておりませんので御注意下さい。そして概ね敬称略。

剛紫・美我空 09/4/18

1909年04月18日 | t4ソロ
「さぁ、え~、今週もですね、え~、美我空のお時間でございますけれども~。
え~、まぁ、最近ねぇ私は~、ま、つよしと呼ばれたり、
あるいはつよしむらさきと呼ばれたりですね、
え~、飛び越えてパープルと呼ばれてる、え~、僕ですけれどもね。
もうパープルまでいくともう随分と先になっちゃってるんですけれども。
えぇ。

ま、でも、あの~、先日もねちょっと、タモリさんとかねぇ、
色々奈良のお話も含めてお話させてもらう機会とかもあって~。
うーん。
非常にあのタモリさん奈良のことすごく大好きだということで、
色々お話いただきましたけれども~。

何かこう紫っていう字は、昔も今も何かこう~人の心を安らげたり、
ちょっとこう中和するようなイメージっていうのかな。
うーん。
ちょっと考えさせる色というか、
ま、そういうイメージはなんかすごく僕あるんですけれども。
まぁ、あの~パンフレットやねぇ、
様々な雑誌で何回も言ってますが~、
やっぱりその~日本であったり奈良であるっていう
自分の原点を想像させる色でもありますしねぇ。

ま、この色をひも解くと赤と青になって、
赤は愛情で、そして青は痛みであると。
で、その、愛情とねぇ痛みのバランスが今やっぱりすごく複雑でねぇ、
偏りすぎている時代ですから。
なんかうまく間を取って、え~、綺麗な紫、ま、自分という原点をね、
え~、見つめ直さなきゃいけないという、ま、僕自身もそういう思いで、
まぁこの紫を付けてますけれども~。

やっぱり~、芸能界に入る以前の自分に会いたいというのが
非常に強いみたいですねぇ。
うーん。だから、芸能界に入る前はねぇ、あ~のほんとにねぇ、
うーん、すごい愛情もらって~生きてきてるんですよ。
だから世の中に~出たら悪い人は誰一人いないと僕思ってたぐらい~、
何にもなかったんすねぇ。嫌なことが。
ほんとに守ってもらってたんですね、親からね。うーん。
だから、ほんと世の中出て嘘をつく人は誰一人いないし、
人を傷付けるようなことをする人誰一人いないと思って
僕、東京出てきてるんですよね。

そしたらもうその日ですよ、
うーん、その日、その次の日ぐらいからもう、
『あれ?人って~...』っていう疑問がどんどん出てきて。
『あれ、この人ほんとに笑ってんのかなぁ?』
『嘘ついてんのかなぁ僕に』
『僕を騙そうとしてんのかなぁ?』
『え~、世の中にこんな悪い人っていんのかな?』
って。

すごい子供だったんでねぇ、もう心がもう真っ白だったんで~、
何かねぇそういう時間をすごい過ごしたんですよね。うーん。
だから振り返ったら芸能界入ったときに~、
愛情沢山もらってますけど~、
でもやっぱり~傷とか痛みの方が多いですね。
うーん。断然多いですね。

で、まぁこの、その傷や痛みを得ながら~、まぁ30歳になる今というところで、
やっぱりその~赤い愛情ですよね、
その愛情を生きていたときの自分を思い出したり、
でも~、その~痛みを生きた自分も、うーん、消すこともできなくてね。
うーん。
でもやっぱり~偏るわけではなく~、
その何か自分というものを、原点というものを、
今の自分というものをちゃんと考えようっていう思いで
この紫っていう文字がこう浮上してきたわけですけれどもね。

うーん。
オーディエンスの人達の愛情とかね、様々なほんとにその愛情を守りたい。
うーん。
ほんとに僕なんてあれですよ、ずっと~この世界いますけれども・・・

うーん、自分がほんとに信頼して~、ねぇ、
スタッフの方々とお仕事したいと心から願っても~、
それを、あ~の~切り裂く人もいっぱいいますからねぇ。
うーん。
だって今まで僕が、
今も連絡取ってる人沢山いますけれども~、
お世話になった方ね。
うーん。
どうすれば~、沢山の人にねぇ、その~剛の思いが届くんだろうとか、
いろんなことやってくださって方ほんとにいるんですよね。

でもそういう方って~、
何かやっぱり~・・・具合悪いみたいですねぇ。うーん。
なんか~、いや、変な話、だって、皆が~そうしてくれればいいんですよ。
うーん。
でも、そうせえへんから~その人が例えば浮き立つとか~、
まぁその人に対して皆がまた甘えていくわけでしょ。
うーん。
『お前、じゃあやっといて~』みたいな。
社内でもあるでしょ、なんかそういうフワッとしたやつ。
うーん。
何かこう~『あいつにとりあえず任しとけばいいか~』っていう。
でも任す時点でやっぱり、うーん、愛情はないわなぁというか。
うーん。
任してしまうと~、
じゃあもうそこで何がどうあっても~、どう思われてもええんねやろお前
っていうような感覚ってあるじゃないですか。
うーん。
何故~、皆平等に行けないのかなっていう。
うーん。

でも、そちらが平等じゃないからこっちも平等にしませんよ
っていうのが僕のスタイルなんで~。
僕0か100なんですよね。うーん。
悪い癖なんですけど。
でもやっぱり~、その自分に愛情をくれる人に対してだけ
愛情を与えるのかっていうことではなくてね、一回歩み寄りますからね。
うーん。
一回歩み寄って、『あっ、やっぱり愛情ないんですね』っていうのを、
何回か確認してからもう0にするタイプなんで~。
うーん。

そういう意味では、だからほんとにオーディエンスの方には100むいてますよね今。
うーん。
だからこの美我空というプロジェクトが始まっていったということでしょうね。

20代最後のですねぇ4月の9日、そして30代最初の4月の10日ですねぇ、
あの~、朝とりあえず奈良の吉野まで行きまして。
で、千本桜をバックに自分で、え~、30歳の自分をまず撮ったのと、写真撮ったのと、
あと家族連れてったんで、家族と写真を撮ったりして。
で、家族もライブも観てくれてましたし。
うーん。
まぁ、その~、何でしょうね。
ま、ライブの映像とかもちらっと見せましたけど、ひどく感動してましたよ。
なんかやっぱ親なんでねぇ、当たり前やと思うんですけれども。

まぁ、ちょっとスタッフの人にもご無理を言って、
車出していただいて、行ったんですよ。
まぁでもねぇ、ほんと吉野の千本桜なんでねぇ観光客の人がまぁすごくて、
『あれ剛じゃない?剛じゃない?』ってすごいおばちゃんに言われて。
『でも似てるだけかなぁ?』とかっていうそういう感じの中を
その、練り歩いて、写真撮ってきましたよ。
う~ん。すごくでも良かったです。

で、その後東京帰ってきてお母さんにまた電話して色々して、
そしたら、うーん、
『ほんとにありがとう』と、
『剛、すごい疲れてるのに朝早くからあんなん付き合ってもらって、
なんかお母さん今思い出しただけでも涙が出ます』って言うて、
受話器ごしでずっと泣いてはりましたわ。
でもね、皆さんのね、お力添えがあったから、そういう時間がもらえたから、
あの、スタッフの皆さんにも感謝してね、僕も、あの、
『そういう今お母さんに流してもらってる涙とか思いもちゃんと大切に感謝して』
あの『これからも生きていくんで』って言って。
『お母さんも体だけは壊さんとね』って言って、
『ありがとう』なんていう時間をちょっとね、電話で過ごしましたけれども。

まぁでもほんとに母がいたから、
そして奈良があったから今の自分があるし、
オーディエンスの人達の愛情があったから
今こんなことを言わせていただいてるんだなぁと、
ほんとに心からねぇ
いろんな思いが込み上げては、空に放たれていくような気持ちですね。
だからその、
この空に放たれた様々な思いが、オーディエンスの方やね、家族に
届けばいいなぁとほんとに、思うわけでございますけれども。

・・・・・・・・・・・・

「剛紫」がお送りしてきました美我空、いかがだったでしょうか。
え~、ま、今日はあの、うーん、誕生日のその~4月10日、
そして前日の4月9日に、
え~、なら100会館という所でねぇライブを行ったというエピソード、
え~、そして家族と過ごしたエピソードをまぁちょっと
語らしていただきましたけれども~。
うーん。

ま、このラジオはですねぇ、
あの~、まぁ企画も色々ねぇ盛り込んでいきたいと思いつつも、
でも~、やっぱりこの~、
ライブ以外の所で~オーディエンスの人達と繋がっている場所でありますから~、
出来る限り、まぁ、お便りも読みたいとは思ってますけれども~、
出来る限りまぁ自分はこんなことを思ってましてとか、
ま、こんなことを思っていますよということをね、
え~、お伝えできるような場ではありたいなというふうに、
え~、思っているわけでございますね。
うーん。

ま、「剛紫」のねファンクラブとか、
え~、なんか出来ればまた形は変わってくるんでしょうけれども、
まぁ、少しずつね、
いろんなことを変えていきたいなというふうに思っていますが。

まぁ、そうですねぇやっぱりあの、すごくステージもねぇあのシンプルでしたという、
まぁあのお便りとかも沢山いただいてるんですけれども。
まぁ、ほんとにいろんなものがいらなくなったみたいですね。

とにかく目の前にある皆さんの愛情というか
愛があれば僕は生きていけるんだというふうな、え~、シンプルな思い、
だから照明をどうこうする、衣装をどうこうする、
セットをどうこうするっていうのはそんなになかったりしましたね。

ま、皆さんあの気付いて、あ~、そう、
皆さんに話してないからねぇ、あれやったと思いますけど、
グッズのねぇ、あの~家紋みたいなデザインとか、
ま、全て自分で書いてやってるんですよ。
細かくもう、これもねぇ、あの自分で作ったんですよ。
この~、これを~自分で絵で描いて~、
で~、このプリントでバーッてしてるんですけれども。
ま、これもあの~グッズでいうとノート。
ノートに、
あの~この家紋みたいなのプリントされてるノートとか出してるんですけれども。
Tシャツの~、え~、模様も自分で書いてますし~。うーん。
まぁ何かこう~、ほんとに・・・さりげなく様々
デザイン今回すごくしてるんですよね。
ま、前もしてますけれども、前からもその自分の人生の中で様々ありましたけれども。
でも~、今回はほんとにその~自分で、何て言うんですかね?
手で書くということであったりとか~、
なんか思いをそこに乗せていくっていうようなイメージがすごく強くてね。
えぇ。
そんなようなグッズ展開とかも。

ま、今後、うーん、ま、皆さんの、え~、様々なねご希望があれば~
ライブの回数は延びるのか、分からないですけれども。えぇ。

そしてねぇ、あ、言うの忘れてたんですけど、
皆さんの、え~、お力添えもありましてねぇ、
シングルが、え~、オリコン1位いただきまして。
で、アルバムがオリコン3位いただきました。
ま、あのこれ、僕、逆になるかなとほんと思ってて。

この空という曲がね、ま、母に聴かせたときに~、ま、母はねぇ、
息子の歌やからっていうのもありますけれども、
涙ボロボロ流しながらヘッドホンで聴いてましたよ。
で~、こういった曲っていうのはねぇ
今の時代ちょっとね重たいのかな?っていうふうに思ってたり
ちょっとしたんでね。
ま、こういう曲が沢山の人に届くか分からへんけど、
でもお母さんのねぇ子供に生まれて
ま、こういう曲を作るということができたことを
すごく心から感謝します。って言って話をしたんです、
お母さんに。
そうそう、そんな話もしててねぇ、
何か僕ん中では~意外に『あ~、そうなんや~』っていう印象でしたねぇ。
で、アルバムの方が~
何かまぁなんとなく皆買ってくれんのかなぁぐらいの感じで思ってたんですけれどもねぇ。

ま、でもほんとにまぁ時間ない中作ってるアルバム、そしてシングルだったんでねぇ。
まぁ、次僕がほんと作品を作らしていただくんであれば、
ほんとすごく時間がほしいっす。
ほんと言ったら、このアルバム全部自分でやりたかったんですもん。
あの、演奏も。と
にかく誰も入れたくなかったんです。ほんとはね。

で、ライブでは、
自分が戦った、戦ってきた、これからも戦っていきたい、ま、その戦友ですよね、えぇ、
方々と~、ま、表現していきたいっていうふうに思ってたんですけれども。
まぁ、それをする時間がなかったですねぇ。うーん。

時間がなかったと言うのがすごく嫌いなんで~、
え~、1時間しか寝てなくても~、ドラムを叩きとか色々やってるんですよね、
このアルバムん中。
でもそれを、うーん、まぁほんとにねぇ
もっと時間がほしかったなぁっていうふうに思いますから、
まぁいつかね、そういうアルバムや作品をね、
あの、世の中にどんって出せるように
自分もどんどんスキルアップしてやっていきたいと思いますんでねぇ、
これからも皆さん、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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