ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 3/14

2010-03-20 13:15:30 | ローズンゲン
2010年03月14日(日)
主なる神は、御自分の民の恥を、地上からぬぐい去ってくださる。(イザヤ25:8)
神は、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。(黙21:4)
わたしの黙想
聖書本文では「すべての顔から涙をぬぐい、」が入っている。神がぬぐい去ってくださるのは「恥」だけではなく、「涙」も。冤罪による「恥かしめ」と「涙」。冤罪の責任は重い。責任者は恥を知れ。黙示録の言葉はわたしの大好きな聖句。「神は」という主語が補われている。

2010年03月15日(月)
神よ、あなたの道は聖です。(詩編77:14)
イエスの言葉:わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。(マルコ8:34)
わたしの黙想
今日のローズンゲンの聖書本文は「神よ、あなたの聖なる道を思えば、あなたのようにすぐれた神はあるでしょうか」(詩77:14) 。日本人は「神は聖」という思想を本当に理解できるのだろうか。五木寛之の『親鸞』の「聖(ひじり)」という存在は不気味である。聖人ではない。

2010年03月16日(火)
エフライムはわたしのかけがえのない息子、喜びを与えてくれる子ではないか。彼を退けるたびに、わたしは更に、彼を深く心に留める。彼のゆえに、胸は高鳴り、わたしは彼を憐れまずにはいられないと、主は言われる。(エレミヤ31:20)
神の選びは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。(ロマ9:16)
わたしの黙想
エフライムという人物はヨセフの第2子である。エフライムの重要性はイスラエルが南北に分裂した後、北のイスラエル王国で指導的な役割を果たした。それで、預言者たちが「エフライム」という名前を口にするとき、ほとんど「イスラエル」と同義語的である。
本日のローズンゲンによると、イスラエルの神は非常に「偏愛的(ひいき)」である。しかし愛の本質には「ひいき」が含まれる。全てのものを公平に愛することは(博愛精神)は観念的であり、人格的な「愛」ではない。それが「選び」の思想。

2010年03月17日(水)
見よ、わたしは使者を送る。彼は我が前に道を備える。(マラキ3:1)
洗礼者ヨハネの言葉:わたしは荒れ野で叫ぶ声である。「主の道をまっすぐにせよ」と。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。(ヨハ1:23,27)
わたしの黙想
旧約聖書の最後におかれているマラキ書の言葉。キリスト教会ではメシアの先駆者ヨハネについての預言とされるがマラキ書ではメシアそのものを指している。メシアは「先駆者なし」で「突如」その聖所に来られると預言されている。教会の旧約聖書の読み方は素直ではない。
注:「ローズンゲンについて(2) 聖句の選び方」をブログにアップしました。 

2010年03月18日(木)
この聖なる神、主の御前に誰が立つことができようか。(サムエル上6:20)
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。(ヨハ13:8)
わたしの黙想
イスラエルにとって敵国ペリシテ人の言葉。十戒が納められている「主の箱」の威力や偉大。それを勝利品として持ち帰ったペリシテ人が箱の中を覗いたら罰が当たって70人が死んだ。「主の箱」をもてあましたペリシテ人は賠償金を付けて返還してきた。その時の言葉。変な理屈を付けず単純に喜ぼう。

2010年03月19日(金)
あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである。(申命記14:1)
あなたがたは主に結ばれて,光となっています。光の子として歩みなさい。(エフェソ5:8)
わたしの黙想
今日のローズンゲンは、だからどうだという点が面白い。申命記では「死者を悼むために体を傷つけたり,額をそり上げてはならない」という言葉が続く。葬送儀礼に関する禁止項目である。人間の肉体は神がお造りになったままが一番美しい。死者もそのままで葬れという。まして生きている人間を整形したり、髪を染めたり、額をそり上げたり、過剰な「化粧」はいかがなものか。わたしたちが「神の子」であるということは、そういうことを意味している。納得。

2010年03月20日(土)
神のもとに立ち帰れ。愛と正義を保ち、常にあなたの神を待ち望め。(ホセア12:7)
悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。(1ペトロ3:9)
わたしの黙想
ここで述べられている3つのことは、それぞれ別なことではなく1つのこと。神の元に立ち返ることも、愛と正義を保つことも、神を待ち望むことも、全部まとめて一つのこと。これをバラバラにして時間的順序にしたら無意味になる。

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