ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

季語「コレラ船」について思う

2014-08-13 15:28:22 | 旧満州の思い出
季語「コレラ船」について思う 今朝(2014年8月7日)の「天声人語」に「コレラ船」という季語があると書かれていました。「コレラ船」が夏の季語、成る程と思いました。 私も昭和21年8月の末頃から10月にかけて「コレラ船」に乗っていました。11歳の時のことです。 . . . 本文を読む

国家の庇護 パスポート

2009-08-13 16:04:25 | 旧満州の思い出
一昨日、「旧満州、終戦後の暴虐」というタイトルで、朝日新聞に掲載された元福岡銀行会長の佃亮二さんの戦争体験を紹介したが、その中で佃さんは「戦争と終戦後の体験で、国民を保護すべき『国家』とは何なのかを考えさせられました」と述べておられる。当時、小学生であったわたしにはそこまで考えることはしなかったが、やはり問題はそこにあったのである . . . 本文を読む

旧満州、終戦後の暴虐

2009-08-11 13:46:59 | 旧満州の思い出
今朝の朝日新聞のコラム「経営者が語る戦争」(3)で、元福岡銀行会長の佃亮二さんが自らの戦争体験を語っておられる。現在78歳ということなので、終戦時は15歳前後で中学3,4年くらいだったでしょうか。「旧満州で生まれ育った私は戦時中、それ程戦争を意識せずに暮らすことが出来ました」という文章で始まる。この実感は当時国民学校3年生であったわたしにも共通するものである。 . . . 本文を読む

旧満州での思い出(10) 故郷の山河

2008-05-30 08:37:04 | 旧満州の思い出
今朝、目が覚めて窓から雲に覆われている山を見ていたとき、フッと思い出したことがある。わたしは10歳まで旧満州の新京市(現長春)で過ごしたが、自宅、あるいは自宅付近から「山」はまったく見えなかった。東西南北、どの方向を見ても、近くはもちろん遠くにも山は見えていなかった。言い替えると、わたしは10歳まで「山」を見ないで過ごしたということになる。「故郷の山河」という言い方があるが、わたしにとって故郷には山河はない。 . . . 本文を読む

旧満州での思い出(7) 満州の冬

2008-05-15 14:53:09 | 旧満州の思い出
「親と子が語り継ぐ満州の『8月15日」の中で、数納勲郎さんが当時の在満邦人の生活を細かく書いておられる。数納さんは1910年生まれで、東大冶金学科を出て、昭和製鋼所に入社した技術者で、それだけに描写が鮮明である。ちなみに、わたしの父より2歳若い。1947年に帰国し、戦後の鉄鋼界で活躍し、日新製鋼を退職後、1983年から回顧録「犬の遠吠え」を執筆しておられる。 . . . 本文を読む

旧満州での思い出(6) 戦争体験を語り継ぐこと

2008-05-13 15:23:34 | 旧満州の思い出
戦争体験をどのようにして子どもに語り継ぐかという課題は、非常に難しい。語る方には語りたいことが山ほどある。ところが、あまりにありすぎて、しかも切実すぎて、言葉よりも思いの方が先行してしまう。おそらく、聞く方の子どもたちの方にとっては、それは遠い過去の思い出話にすぎないし、あまりにも状況が違いすぎて、身に迫るということがほとんどない。そこに情緒的な深いギャップがあって、話す方も空しいし、聞く方もつまらない。とくに満州の経験ということになると、ただ単なる戦争体験以上のギャップがあって、同世代に人々にも通じないもどかしさがある。 . . . 本文を読む

旧満州での思い出(5) 満州脱出

2008-04-13 21:44:43 | 旧満州の思い出
昭和20年8月9日の夕方、母は顔色を変えて仕事先から帰宅し、すぐに持てるだけ貴重品や衣服をもって、出かける準備をしなさいと、わたしたち3人の子どもに命令し、真夏であるにもかかわらず、真冬のように何枚も重ね着をし、リックに入るだけのものを詰め込んで、新京脱出の準備をし、知らせが入るのを待っていた。 . . . 本文を読む

旧満州での思い出(4)わたしの言語体験

2008-03-18 21:38:59 | 旧満州の思い出
ある日のこと、マーやんの友だちが我が家にやってきて、わたしの中国語を聞いて、マーやんと友人とが、わたしの全く聞いたことがない中国語で会話をしてわたしを驚かせたことがあります。多分彼らはわたしに聞かせたくない内緒話があったのでしょう。そんなことはともかく、彼らの会話を聞いて驚くわたしに、マーやんは笑いながら、この中国語は「南の方の言葉」だと説明してくれました。その時の驚きは忘れられません。これがわたしがはじめてショックを受けた言語体験です。 . . . 本文を読む

旧満州での思い出(2) 紀元2600年

2008-02-27 12:50:56 | 旧満州の思い出
人間の記憶というものは不思議なものである。すっかり忘れてしまったと思っていたことも、一つのことをきっかけに、次々と芋づる式に思い出してくるものである。昭和15年頃の「新京(現長春)市街風景」の写真集(http://manshusite.hp.infoseek.co.jp/photoarakaruto.htm)を見ていると、記憶の奥底から「懐かしさ」が甦ってくる。 . . . 本文を読む