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ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 2018/12/30~12/31

2018-12-31 15:53:27 | ローズンゲン
今週のローズンゲン 2018/12/30~12/31

2018 日々の聖句 12月30日㈰
見よ、神はわたしを助けてくださる。主はわたしの魂を支えてくださる。(詩54:6)

あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる方、
わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。(ユダ24~25)

私の黙想:
今日の聖句、ただ一言、「アーメン」。
というわけで、他の邦訳も参照すると面白い。口語訳では「見よ、神はわが助けぬし、主はわがいのちを守られるかたです」。フランシスコ訳「見よ、神こそわたしの助け、主はわたしの命を支える方」。新改訳「まことに、神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方です」。岩波訳は「見よ、神がわが助け手、わが主が魂を支える方」。
ここまではほぼ同じであるが、文語訳はこれとは少し異なる。「視よ、神はわれを助くるものなり、主はわが霊魂(たましい)を保つ者と共に存せり」主が直接助けるというよりも、助ける者たちを配置して助けるなかなか具体的である。面白いことに、新しい協会訳は文語訳に似ている。「見よ、神はわが助け、わが主は私の魂を支える人々の中におられる」。
私はどちらかというと新しい訳が魅力的である。

2018 日々の聖句 12月31日㈪
主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください。(2サムエル7:25)

神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。(2コリント1:20)

私の黙想:
今日は1年を締めくくる大晦日である。その意味では、旧約も、新約も、いかにも1年の終わりに相応しい聖句である、と私は読む。
これが預言者ナタンを介してなされた神とダビデとの契約。契約関係とは契約者相互が縛られることである。この契約によってイスラエルは「永遠に」神に縛られる民となり、同時にヤハウェもイスラエルの民に永遠に縛られる。
これ以後のイスラエル史は民族の契約違反と神の契約遵守とのドラマであり、それがキリスト教の成立にまで至る。
長い話を短縮していうと、ユダヤ人たち(イスラエルの民)が自己の民族史の中で、イエスをどのように位置付けるかということと、それが「私の信仰」といかに関わるのかについての説明にはなっていない。これが今年の終わりの課題である。

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