ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 11/28

2015-11-30 10:21:20 | ツイッター
今日の名言:NHKテレビ小説「あさが来た」から ペンギンにとって餌となる魚がいるのは海の中ですが、そこは死の危険と隣り合わせの世界です。そこで最初に飛び込むのは勇気ある「First Penguin」だ。(英語の諺) <一言> 今朝の感動的な場面で、五代が朝に言った一言、「あなたはファーストペンギンだ」この言葉を伝えるためにだけに五代は筑豊に立ち寄る。 . . . 本文を読む

『第三帝国の愛人~~ヒトラーと対峙した米国大使一家の記録~~』

2015-11-29 16:14:16 | ときのまにまに
国際社会はナチスの暴走を止めることはできなかった。 1933年1月、ヒトラーがヒンデンブルク大統領の任命により首相になってから、翌1934年8月、ヒンデンブルクの死と同時にあらゆる権能を掌握し、絶対的な権力者・総統となるまでの2年弱。ヒトラーとナチスの「権力掌握の総仕上げ」が成され、日常生活に潜んでいた恐怖政治の実体が一気に表面化して世を覆い尽くすこの時代を、ヒトラー政権下で初めてベルリンに赴任した米国大使とその一家が残した日記や手記、膨大な文書や歴史資料をもとに再現したのが本書『第三帝国の愛人』である。 . . . 本文を読む

昨日のツイート 11/27

2015-11-29 10:35:51 | ツイッター
今日の名言:@wisesaw 金持ち連中の軽蔑には容易に耐えられる。 だが一人の恵まれない人の視線は、私の心の底に深く突き刺さってくる。(ジード) <一言>わたしも貧しいが、もっと貧しい人のことを聞くと胸が締め付けられる。高級寿司屋で寿司を食っている連中は、その一貫で何人の人が満腹するか考えたことがないのだろうか。 . . . 本文を読む

昨日のツイート 11/26

2015-11-28 09:08:21 | ツイッター
今日の名言:@jinseiron_note 懐疑にしても方法的であるためには仮説に依らねばならぬことは、デカルトの懐疑において模範的に示されている。(三木清『人生論ノート』仮説について) <一言>仮説だから「真実ではない」と単純に思っている人がいる。愚かなことだ。このノートの中で三木は「(人生は)一つの仮説を証明するためである。だから人生は実験である」とまでいう。 . . . 本文を読む

昨日のツイート 11/25

2015-11-27 08:59:53 | ツイッター
今日の名言:@meigennavi 目はおのれを信用し、耳は他人を信用する。(ドイツの諺) <一言>何か分かったような気がするが、分からない。目から入って来る情報と耳から入って来る情報。どう違うのだろうか。目はつぶる(閉じる)ことが出来るが、耳は何時も開いている。成る程。 . . . 本文を読む

昨日のツイート 11/24 無人偵察機3機を約1500億円で購入へ!

2015-11-26 09:11:09 | ツイッター
今日の名言:@Nietzschebotjp この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。そして、いつも群衆と一緒につるんで、ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい。(『超訳 ニーチェの言葉』42) <一言>その通り。そんな人ばっかりやんか。 . . . 本文を読む

三木清『日本の哲学に対するリッカートの意義』

2015-11-25 19:29:51 | 三木清関係
三木清『日本の哲学に対するリッカートの意義』(原題:Rickerts Bedeutung fur die japanische Philosophie, Von Dr.philos. K. MIKI) この論文は、ヘリゲルおよびリッカートの紹介によって、フランクフルテル・ツァイトゥング(1923.5.27)に掲載されました。ハイデルベルヒで研究を終えようとしている三木清による、リッカート哲学の評価である。 <添付資料>羽仁五郎『三木清がドイツ文で書いた論文4篇について』(1949.2.2) . . . 本文を読む

昨日のツイート 11/23

2015-11-25 13:41:59 | ツイッター
今日の名言: 神が初めに行ったのは、話すことでした。そして、話すことは、先程の意味での言葉なしで話すことですが、それは、そもそも精神の原理なのだと思う。それで、「精神は語り、心は泣き、知覚は笑う」と言われるのですね。(エンデ『ものがたりの余白』) <一言>エンデらしい。そうか、語るのは精神か。 . . . 本文を読む

メモ:三木清がドイツに留学していた頃のドイツの思想状況

2015-11-23 16:08:59 | 三木清関係
三木清は波多野精一先生の推薦により岩波書店の岩波茂雄氏の資金援助により、大正11年(1922年)5月から大正14年(1925年)10月まで3年の少しの期間、ドイツへ留学した。その時のドイツの思想状況。 三木の『消息一通』を読むための予備知識としてメモ書きした。 . . . 本文を読む