ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

再話「大審問官」(中)<原作 イワン・カラマーゾフ>

2008-01-31 09:38:36 | 雑文
昨日の続きの部分である。第1の警告についての意味について、大審問官は語る。この部分にドストエフスキーは最も力を注いでいる。パンは人間の自由の問題と深く絡んでいる。人間はパンを得るために自由だって投げ出す。自由を得るために命を捨てるということは意味がない。死は決して自由を保障しない。それだけではない。一片のパンを得るために人間は「ひざまずく」。イエスはこの「誘惑」に打ち克った。その意味は? . . . 本文を読む

再話「大審問官」(上)<原作 イワン・カラマーゾフ>

2008-01-30 12:59:27 | 雑文
ドストエフスキーはその作品「カラマーゾフの兄弟」において、イエスの誘惑の物語を取り上げ、劇中劇のように、小説中の小説として「大審問官」を書いている。小説では主人公の兄イワンが弟アリョーシャに自分の作品として語っており、時々、「解説」のように二人の会話が挿入されている。この度、この「大審問官」を独立した作品として分離独立させてみた。 . . . 本文を読む

茂木健一郎「欲望する脳」(集英社新書)(8)

2008-01-27 09:11:27 | 雑文
「自分であることと、他者と向き合うことの緊張関係の中で、欲望のあり方の間(あわい)をはかる。恋愛に似たそのような生のバランスの中に、私たちは生き方を模索していくしかないだろう」(222頁)、と述べる。この言葉は、この深刻な問題に対する茂木さんの「中間報告」として受け止めておく。 . . . 本文を読む

茂木健一郎「欲望する脳」(集英社新書)(4)

2008-01-22 10:39:37 | 雑文
脳と心との関係を考える際に、どうしてもはっきりさせておかねばならない問題は「私」と「他者」との関係である。他人はあくまでも私にとって外部の存在であり、環境の一つにすぎないが、脳というレベルで考えると、その構造と機能とはほとんど同じものである。そのレベルで「私」とはいったい何なのか。 . . . 本文を読む

速読の戒め

2008-01-17 14:10:28 | ときのまにまに
15日(火)晴。午前出校。午後読書及散歩。夜読書、静座。読書の際には頻りに急ぐ心起こり、又名誉心など伴いて、心穏やかならず、大いに猛省すべし。これ是功を求むるいやしき心あるによる。何ぞ区々一西田を忘却して一々に酒酒楽々たらざる。(西田幾太郎「日記より」) . . . 本文を読む