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聖研:マルコ福音書(02)イエスの活動舞台

2015-01-12 10:48:29 | 聖研
聖研:マルコ福音書(02)イエスの活動舞台

今回は2つのことを考える。
(1)イエスは普通にはどう呼ばれていたのか。
(2)イエスの活動舞台

(1)イエスは普通にはどう呼ばれていたのか。
(a)「イエス」という名前について
「イエス」とはヘブライ語の「ヨシュア」のギリシャ語名で、当時ユダヤ人社会ではありふれた名前であった。ヨセフスというイエスとほぼ同時代の非キリスト教系の歴史家は、「イエス」という名前の人物を50名あげている。聖書の中にも「イエス」という名前の人物がいる。有名なところでは「バルイエス」(使徒言行録13:6)、「ユストと呼ばれるイエス」(コロサイ4:11)、「バラバ・イエス」(マタイ27:16~17)。
ルカ福音書の系図の中にも「イエス」が存在する。「ヨシュア」(ルカ3:29)。
ありふれた名前の場合にはいろいろ修飾語を補って区別する。それがイエスの場合は「ナザレのイエス」という名であった。
(b)「ナザレのイエス」(以下、新共同訳による)
マタイで1回、マルコで4回、ルカで3回、ヨハネで3回、使徒言行録で2回、合計 13回ある。
マタイ26:71━━マルコ1:24、10:47、14:67、16:6 ━━ルカ 4:34 、18:37 、24:19━━ヨハネ18:5 、18:7、19:19━━使徒言行録 10:38、22:8
(c)「ナザレの人イエス」
使徒言行録だけで6回用いられている。2:22、3:6、4:10、6:14、24:5、26:9
(d)「ナザレの人」
マタイ2:23「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていた。(実際、旧約聖書には該当する言葉は存在しない。(「ナジル人」との混同か?)
ヨハネ1:45「それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」。
マタイは「ナザレ人」のことを「ナゾライオス」と書き、マルコは「ナザレノス(ナザレの人)」と書く。おそらく、エルサレム教会では「ナゾライオス(ナゾライ人)」が普通であったものと思われる。
(e) イエスがナザレ出身であることについて触れているテキスト
マタイ2:23、4:13、21:11 ━━マルコ1:9━━ルカ1:26、2:4、2:39、2:51、4:16━━ヨハネ1:45
※以上のテキストを一つ一つていねいに読んでいくと、どういう場面でこれらの言葉が用いられているのか興味深い。

(2)イエスの活動舞台

(a) 謎に包まれたナザレ
ナザレの町(村)については、文献的にはイエスとの関連以外ではみられない。聖書においてもほとんど触れられていない。つまり正確には何処にあったのかということは不明なままである。現在、ナザレの町と言われているところは、ガリラヤ地方でもかなり南の方でサマリアの地に近い山岳地帯にあったとされている。緯度的にはガリラヤ湖の南端と並んでいる。(地図参照)
ナザレについては、ヨハネがナタナエルの口を通して「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1:46)と述べているだけである。
イエスが幼少時代から成人するまでナザレの町に住んでいたことは、ほぼ疑いようがない。一つ興味深いことは、ルカはイエスはナザレから宣教活動から始めた(ルカ4:16)とするが、マルコはナザレでの出来事を6章まで語らない。しかも、この記事では「ナザレ」という地名さえ用いない。その頃、エルサレム教会では「ナザレ出身者」が偉そうな顔をしていたのかもしれない。むしろナザレはイエスを拒否したイエスの兄弟たちの町であることを強調している。

(b) ガリラヤ地方とはこんなところ
地図で見ても分かるように、ガリラヤ地方はガリラヤ湖のあるところである。厳密にいうとガリラヤ地方にあるからガリラヤ湖なのであって、湖の名前よりも地方の名前の方が優先している。
先ずこのことに関連して面白い事実に触れておく。
ルカは5:1でマルコの「ガリラヤ湖」を「ゲネサレト湖」に書き換えている(マルコ1:16、マタイ4:18)。なぜ、ルカは書き換えたのだろうか。この問題に触れだすと、マルコの立ち位置(ガリラヤ中心)とルカの立ち位置(エルサレム中心)との違いが明瞭になり、重要な問題にぶち当たるが、ここでは省く。
ヨハネは復活後のイエスと弟子たちとの出会いの記事において「ティベリアス湖」という。明らかにこれも 「ガリラヤ湖」の言い換えである。
ガリラヤ湖は、面積:166 km2、周囲の長さ:53 kmで、これを琵琶湖と比べれると、琵琶湖:面積670.25 km2、周囲の長さ:241 kmで、ガリラヤ湖は面積にして琵琶湖の約4分の1、周囲の長さはおよそ4分の1で、かなり小さい淡水湖である。また、琵琶湖と同様に魚類も豊富で周辺には漁業で生計をたている人たちも少なくない。とくに有名な魚はティラピアの一種で「聖ペテロの魚」と呼ばれている。おそらく、イエスに命じられて魚を釣りに出かけ釣り上げた魚の口から銀貨1枚が出て来た(マタイ17:27)という出来事にちなんだ命名であろうと思われる。
このガリラヤ湖の東から北にかけてかぶさるようにガリラヤ地区が広がっている。この地域は古来から交通の要所で、いろいろな人種、言語、文化が飛び交う地域であったものと思われる。
ガリラヤ湖からエルサレムまで、直線距離にして約170キロで、歩けば実質200キロほどの旅程になる。1日で歩く距離を約40キロとして5日程はかかる。この間にサマリア地区、ユダヤ地区が広がっている。ナザレはガリラヤ地区の南部サマリアに近いところに位置している。イエスが12歳の時にエルサレムの神殿にお参りしたとされるが、女性と子どもを伴う旅行はかなり厳しいものだったと想像される。
一応、伝説ではバプテスマのヨハネが洗礼を授けていた場所はヨルダン川でも下流辺りで死海に近いところであったお思われる。その近くにはユダの荒れ野が広がっている。イエスがヨハネから洗礼を受けるためにナザレからヨルダン川に出て来たとされるが、気まぐれでできるような距離ではない。
伝説によると、洗礼を受けた場所の近くのユダの荒れ野でイエスは修行をしたものと思われる。そしてしばらくはヨハネの弟子として共に神の国運動を手伝っていたのではないだろうか(これは私の推測)。マルコ1:14によると「ヨハネが捕らわれた後、イエスはガリラヤへ行った」とされる。マタイはここで「ガリラヤに退かれた」という言葉を用いている。マタイにとってガリラヤは「退くところ」なのであろう。この時、イエスは教理ナザレには帰らず、おそらくガリラヤ湖のほとりのカファルナウムに行き、そこを宣教活動の拠点にしたものと思われる。この時点でおそらくイエスは洗礼者ヨハネとは異なる形で運動を展開したのであろう。
マタイ福音書ではヨハネのメッセージを「悔改めよ、天の国は近づいた」(マタイ3:2)とし、イエスもほとんど同じメッセージ(4:17)を語っていることになっているが、マルコでは洗礼者ヨハネのメッセージには触れられず、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とイエスに語らせている。この違いについては、説教等で既に語られていると思われるのでここでこれ以上深入りしない。(深入りすると、ヨハネとイエスとの関係に立ち入らなければならなくなり、二進も三進も行かなくなる。)
ガリラヤ地方はエルサレムから見たらサマリアのまだ向こうということで、まさに辺境の地であること、またガリラヤ湖を中心にした風光明媚でしかも東西南北各地からの交通の要所であることということで、反政府的、反ローマ的な活動の拠点とされてきたようである。

(3)福音書編集の手法
マルコは福音書を編集するにあたって、どのようにして資料を集め、何を基準にして資料を並べたのであろうか。こういう視点から福音書を読み直すのが「編集史的研究」である。
最初の福音書がマルコ福音書である。マルコが福音書、つまりイエスのことを書こうとした頃もう既にイエスの死後20年近くたっているのに信頼できるほとんど資料がないのである。あの時代の20年は相当に大きかったのであろう。エルサレム教会で語られていることはイエスが十字架刑によって殺されたこと、それから復活したことが中心で、そこに至るまでの資料といえばイエスの弟子たちが語る思い出話だけである。それはそれとして重要であるが、実は弟子たちの思い出話の問題点は生前のイエスについて彼らは決定的に誤解をしていたのであり、細かいことになると断片的で、その話を証明する根拠が乏しいことである。
それでマルコはイエスが実際に生き活動していた「現地」に行って、いろいろな人々と会い、話を聞き出さねばならないと思ったのであろう。
それで先ずマルコはイエスが活動したと思われるガリラヤ湖周辺に赴き、カファルナウムを拠点にして資料を集め始めたのであろう。集まった資料によるとイエスは非常に優れた「霊能者」であったらしい。嘘か本当か、いろいろ奇跡物語も集まった。かなり広い範囲を歩きまわったものと思われる。それはくすしくもまたイエスが歩き回った場所でもあった。おそらく、これは私の推測であるが、ガリラヤで見聞きしたイエス像、あるいは、その頃には成立していたであろういくつかの教会で語れている信仰内容とエルサレム教会で語られていることの落差を感じたのではなかろうか。
マルコは集められた諸資料をどうまとめて書くのか、ということにずいぶん苦労したと思う。その苦労の跡がマルコ福音書の「全体構造」に表れていると思う。マルコ福音書の研究者たちはこの「全体構造」について一様に戸惑いを感じているようである。一貫した論理が見つけられないのである。行き当たりばったりというか、時間的配列かと思うと、そうでもないし、同じ主題を集めたものでもなさそうである。
通常の文書のような区分わけが難しい。
私としては先ず大きく14章以下の「受難物語」とそれ以前とに分け、次に第1回目の死と復活との予告を分岐点として、それ以後(8:31)を「受難への道(エルサレムへの旅)とし、それ以前をガリラヤでの宣教活動とする。この最初の部分に1:1~13が付けられる。

プロローグ 1:1~13
第1部 ガリラヤでの活動 1:14~8:30
第2部 エルサレムへの道 8:31~13:37
第3部 受難物語 14:1~16:8
補遺  復活物語 16:9~

通常言われていることは、マルコ福音書の14章以下はマルコ以前に既にある程度まとめられていたらしいということで、マルコが実際に編集したのは13章までであろうということである。
マルコ福音書を読む場合、全体構造としてはこのぐらい大雑把にとらえておけば十分であろう。この区分もそれほど厳密ではなく、第2部に第1部が紛れ込んだ入りしている。

(4)マルコ福音書の地理的表象
マルコ福音書の一つの重要点はその地理的表象にある。この点に関してはマルコはかなり意図的に取り扱っている。
田川建三さんはこの点について、次のようにまとめている。(参照:田川建三『原始キリスト教史の一断面』73頁以降)
①先ず町村名についてはその伝承が伝えられた場所をそのままそのそれが起こった場所としている。それらはほとんど奇跡物語である。
②もう少し広い地域(ガリラヤ、デカポリス、イドマヤ、ペレア、ユダヤ、ツロ、ピリピ・カイザリア等)については、ほとんど編集者による挿入句に属している。マルコはイエスが出来るかぎり広い地域に行ったように編集している。
③エルサレムへの道(8:31以降)においては、受難予告を語るたびにエルサレムに近づいていく。

(5)カファルナウムを拠点としたイエスの活動
イエスはヨハネがヘロデ王によって捕らえられたとき、郷里ナザレには戻らずガリラヤ湖畔の北の端カファルナウムを活動拠点としたようである。カファルナウムにはペトロとアンデレが住んでいる「姑の家」があったらしい(マルコ1:29)。
3:20に面白い言葉がある。「イエスが家に帰られると」(口語訳で「家に入られると」で、誰の家なのかはっきりしていないが、おそらくイエスと弟子たちとが滞在していた家なのであろう。この家について、どこの街なのか記録されていないが、雰囲気としてはカファルナウムであろう。1:29のペトロの姑の家なのかもしれない。おそらくここがイエス活動の拠点であったのだろう。ということは、マルコが福音書を書くために各地を訪れ資料を集める際の活動拠点もカファルナウムにあったのであろう。
(a)カファルナウムにおける奇跡
汚れた霊に取り憑かれた人の癒やし(1:21~28)
シモンの姑の癒やし(1:29~34)
中風の人の癒やし(2:1~12)
舌の回らに人の癒やし(7:31~37)

(b)ゲラサ地方  悪霊に憑かれた人(5:1~20)
(c)「向こう岸」にて  ヤイロの娘(5:21~43)  出血の止まらない婦人(5:25~34)
(d)ベトサイダへの湖上にて 水の上を歩く(6:45~52)
(e)ティルス地方 フェニキアの女の娘の癒やし(7:24~30)
(f)ベトサイダにて 盲人を癒やす(8:22~26)
(g)地名のない奇跡
手の萎えた人の癒やし(3:1~6)
5000人の給食(6:30~44)
4000人の給食(8:1~10)

(6)イエスの活動範囲(マルコ3:7~8)
「イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた」。

この地名リストはイエスが訪れた場所ではなく、イエスの噂を聞いてイエスのもとに集まった人々の出身地である。いわばイエスの影響範囲ということになるであろう。ユダヤとはエルサレムを中心とする地域で、イドマヤとはユダヤの南に広がる地域、ヨルダンの向こうとはヨルダン川を挟んだ東側、ツロとシドンはガリラヤの更に北側の地域を示している。要するにかなり広い範囲である。それらの場所にはイエスが実際に行ったことのある場所もあるだろうし、行っていないところもある。
このリストには面白いことが一つ隠されている。それはここにはガリラヤに隣接するサマリアがないことである。なぜ、サマリアがないのか不思議である。しかしよく調べてみると、マルコ福音書には「サマリア」という言葉が一つもない。これは可笑しい。マルコはそんなにサマリアのことが嫌いだったのだろうか。それと対照的な福音書がルカである。ルカ福音書にはサマリアのことがしばしば出てくる。有名なところではるか17章の10人の重い皮膚病の患者が癒やされた出来事、イエスの語った譬え話としては良きサマリア人の話(10章)等。

(7)エルサレムへの道
第1回予告(8:21)場所:フィリポ・カイサリア
第2回予告(9:31)場所:ガリラヤ・カファルナウム
第3回予告(10:33)場所:エルサレムにへ上っていく途中(ユダヤ地方とペレア)(10:1)
エリコ(10:48~52)
ベトファゲとベタニア(11:1)

(8)イエスはエルサレムの町では泊まらない(11:11、11:15、11:19、11:27、13:1)
マルコの「エルサレム観」については後日、論じるつもりである。

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