今日は1944年1月の松村日記を入力した。この間、1月10日より19日まで、滋賀県の野洲において京都大学の学徒報国隊の勤労奉仕が行われ、京大生約250名が参加している。引率者は若い助教授たちで、松村もこれに参加している。ここでも彼はリーダー格であったらしい。 . . . 本文を読む
えらい本に出会ってしまった。この本との出会いは「運命的」な感じがする。と言ったからと言ってなにも奇跡的な出会い方をしたわけではない。新聞の読書欄(朝日新聞2008.11.16)で紹介されているのを見て「読んでみたい」と思っただけである。普通なら、アマゾンで注文するところであるが、今回は本屋に行って探した。最初は見つからなかった。それでしばらく、探しもせずに、ほっていた。ところが、あちら、こちらの広告や書評で紹介されるようになり、もう一度近くの本屋に出かけたが、見つからない。それで、店員に訊ねてみると、探し出してきてくれた。 . . . 本文を読む
松村日記の入力作業は、かなり時間がかかりそうなので、三高時代を中断し、大学時代、大学院時代を一挙に飛ばして、助教授時代に移る。その中でも、最も「危ない時代」と思われる1943年末から1945年までを入力することにする。 . . . 本文を読む
昨日から今日まで、ずっと次の日曜日の説教の仕上げにかかっていました。テキストの解釈から、意味の把握までは比較的簡単に進みましたが、最後の「それで、どうしたの」、「それで、何が言いたいの」という壁にぶっつかって、金縛り状態になってしまいました。
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昨日から今日にかけて、北九州地方は大雪に見舞われました。九州自動車道をはじめ都市高速道路もほとんどすべて通行禁止になり、そのため国道3号線は終日麻痺状態でした。わたしが九州に来てからは初めての大雪で、室内から窓を通して見る雪景色は普段と異なり、幻想的でした。
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今日は朝から、祈祷書と聖書を開き、5月の末までの聖書のテキストを確認し、読み、おおよその説教の中心点を考え、メモしました。3月の末までの所は既に注解書等の読み込みは終わっていますので、4月分と5月分の8回分の説教です。 . . . 本文を読む
選挙運動中に見せたオバマ大統領候補の名演説が評判になり、にわかにスピーチライターという存在が注目されはじめました。わたしもスピーチライターという専門職には非常に興味があります。
表現という行為には当然、それぞれ特有の技術があり、それに伴う訓練が必要であることは当然のことですが、今まであまり注目されませんでした。もちろん、伝統的な講談や落語、漫才などでは、かなり厳しい訓練と技術が要求されることは知ら . . . 本文を読む
1925年10月、当時三高の学生の間で、「進化会」という名称で社会主義の活動があり、学校当局より解散を命じられたようである。10月13日、進化会は「檄」を出して一旦は解散を決議したが、解散式の会場問題で学校当局と対立し、最終的には関係学生8名を停学処分にした。それに対して、松村とその仲間は彼らの復学を要求し、教授たちの署名を求めて個別訪問をしている。
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オバマ大統領の就任演説で、特に強調された点は「今、わたしたちに求められているのは、新たな責任の時代である」という言葉に象徴される責任ということであろう。アメリカの大統領が「責任」という言葉を使う場合には一定の警戒心を持たねばならないと思うが、彼の場合には、今までのアメリカの大統領が言う「責任」とはかなり内容が異なるように思う。いわゆる「大国意識」というより、国際社会を構成する一つの国としての責任である。 . . . 本文を読む
次の日曜日の説教を準備しながら、「開き直る」ということについて、考えさせられました。わたしにとって、この言葉は1970年の学園紛争の際に多用された「批判的な言葉」として心に深く残っています。「団体交渉」の席で、学生たちの追求を前にして、窮地に追い込まれた学園の理事者や教授たちが、もはや弁解の余地がなくなったときに、人間の社会というものはそういうものだ、と「開き直った」態度を学生たちが批判した言葉です。
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わたしが楽しみにしているテレビ番組の一つに、日曜午後の「たかじんのそこまで言って委員会」がある。面白さの理由の一つは、マスコミ等で表に出てこない裏情報が飛び出してくることで、今日もなかなか面白かった。終わり近くになって、麻生首相にいかにして政権を投げ出させるか、という質問に対する答えで、ざこば師匠が「奥さんに『もう辞めて』といと言わせるのが一番早い」というのには参加者一同大笑いをしていた。さすが、落語の師匠だけに、人間の真相をしっかり掴んでいる。 . . . 本文を読む
どういう訳か、2009年1月16日の朝日新聞の夕刊に、柳澤桂子さんのインタビュー記事が出ていました。このまま埋もれてしまうのには余りにも貴重な資料なので、このブログに残しておきます。今日は新聞切り抜きだけです。 . . . 本文を読む
先日、今年頂いた年賀状の中から次の言葉を紹介させていただきました。
<たとえ認知症になっても、私は私でなくなったのではない。私は私のままで、復活の命を生きている。紅葉の裏も表も紅葉のままである。死も生もそのままで、命そのものである。>
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新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」が皇居・宮殿で行われた。今年のお題は「生」で、国内外から寄せられた2万1,180首から選ばれた10首が、天皇皇后両陛下や皇族方の歌とともに詠み上げられた。天皇・皇后を初め皇室の方々の歌は、まぁ無難な、平凡な歌ばかりであったが、その中にあって、福岡県久留米市の中学生北川光君の歌は光っていた。 . . . 本文を読む
魁皇4連勝ならず。残念。でも、わたしたちは現在の魁皇に全勝を期待していない。全勝以上のものを期待している。今場所、初日から3連勝ということ自体がすごいことである。何しろ36歳。
わたしたちが魁皇に期待することは相撲の美しさである。 . . . 本文を読む