昨日の衆議院総選挙の結果は、大方の予想通り民主党の圧勝ということで終わった。テレビを見ていて、確かに当選した立候補者や選挙運動に奔走した人たちの喜びは大きい。しかし、何となく全体の雰囲気に冷ややかさがを感じるのは私だけだろうか。 . . . 本文を読む
先日近くの鍼灸院に針治療を受けるために出かけたところ、そこの待合室の書架に美しい表紙の『聖堂再建』という冊子が数冊おかれていました。あれっと思い手にしたところ、やはり現在宗像の黙想の家で再建中の鹿児島ザビエル・カテドラル大聖堂についての本でした。しかも、新しい本が数冊あるので、ここにこの本が置かれているいきさつを伺い、1冊分けてもらいました。
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指宿に行く途中で知覧という地名を見て重要なことを思い出しました。ここはあの特攻隊の基地があったところで、確か現在でも「特攻平和会館」があるはずです。あたりの風景を見ると、山また山で本当に不便な僻地で、こんなのところから特攻隊は出撃していたのかと思いました。しかし、知覧という地を通過した以上、パスするわけには行きません。すべてのスケジュールを変更してでも帰りにはどうしてもここを訪れたいという思いにかき立てられました。
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8月30日の投票日には延岡に出かける予定なので、昨日(8月25日)期日前投票をしました。市役所のかなり広い部屋が投票所になっており、そこにはかなりの数の監視員や係の人がずらりと並ンでいました。彼らがどんなに優しそうな顔をしても、部屋の空気はかなり威圧感がありました。今まで経験した投票所は小学校などの体育館や講堂なので、天井は高く、部屋の外と内との区別が曖昧でほとんど威圧感らしいものは感じませんでしたが、この度の期日前投票ではかなり緊張しました。それでも国民としての義務を終えホッとしました。
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九州に住むようになって2年半になります。この間、鹿児島県以外の各県に足を踏み入れました。かねがね、ぜひ鹿児島には行きたいと思っていましたがなかなか機会がありませんでしたが、この夏、大学生になった孫息子が10日ほど滞在するということで、鹿児島まで長距離ドライブをしました。若者らしいキビキビした運転で「肝を冷やしながら」も無事に鹿児島に入りました。
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本年6月16日付けのブログで紹介いたしましたように、鹿児島カテドラル・ザビエル教会の古い木造の大聖堂が解体され、現在宗像市の御受難修道会の宗像黙想の家の敷地内に再建中です。修道院の敷地内にはラファエルの泉があり、美味しい水が湧き出ています。その水を頂きに行く関係でしばしば建築現場を訪れ、土田充義先生(鹿児島大学名誉教授、NPO法人文化財保存工学研究室理事長)とも親しくなり、ぜひ1999年にザビエル日本渡来450年を記念して建てられた新しい鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂も見ていらっしゃいとのお勧めを頂き、先日(土曜日)鹿児島まで出かけました。
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公明党という政党が宗教団体創価学会を背景にして、1964年に設立され、1963年の統一地方選挙で1000人を越える地方議員を誕生させて政治の檜舞台の登場したことは誰でも知っている。1969年から1970年にかけて、全国各地で学園闘争が盛んになった頃、政教分離の原則が問われ、社会批判の嵐の中で、宗教法人創価学会の池田大作氏が公明党と創価学会を制度的に明確に分離することを宣言し、脱宗教化の方針転換がなされた。
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連日、ほとんどすべてのテレビ局で衆議院議員の総選挙に関する報道が繰り返され、うんざりする。どの局を見ても、あるいはほとんどのマスコミが同じようなニュースや論争を流している。まさに洪水状況である。昨日からは、これに加えて町中を選挙カーが大音響で候補者の名前を連呼し始めた。これが30日まであと10日も続くのかと思うと、もう投票にさえ行きたくなくなるほどである。
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衆議院議員総選挙を目前にした党首討論会で麻生首相が「我が党が他の党と異なる点は責任力である」と大見得を切ったという。よっぽどこの言葉が気に入ったのか、その後もあちらこちらで言いまくっている。
考えてみると、否考えるまでもなく、「責任力」という言葉は変な言葉である。 . . . 本文を読む
昨日、熊本県の菊池黎明教会での礼拝を終え、帰る途中国道3号線の道路脇の果物屋で晩柑を見付けて買ってきました。晩柑については昨年9月3日付けのブログで説明しているように、「遅い時期に採れる柑橘」という意味で、この種類は、大正時代に熊本県河内町で偶然発見されたとのこと、非常に水分が多く、別称「和製グレープフルーツ」とも呼ばれているとのことでした。 . . . 本文を読む
終戦の日を記念して、昭和20年のこの日に放送された天皇の「終戦の詔書」を記録しておく。WEB上ではいくつかの資料があるが、それらを比較して読みやすいものを選んで原文と現代語訳とを掲載する。わたし自身もこの文章をしっかり読み返したのは初めてのことで、まことに恥ずかしく思う。
詔書そのものは8月14日に発布され、戦争終結が公式に表明されたが、天皇の声はその日に録音され、よく15日正午にラジオを通して全国民に放送された。
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一昨日、「旧満州、終戦後の暴虐」というタイトルで、朝日新聞に掲載された元福岡銀行会長の佃亮二さんの戦争体験を紹介したが、その中で佃さんは「戦争と終戦後の体験で、国民を保護すべき『国家』とは何なのかを考えさせられました」と述べておられる。当時、小学生であったわたしにはそこまで考えることはしなかったが、やはり問題はそこにあったのである . . . 本文を読む
「村野瀬玲奈の秘書課広報室( http://muranoserena.blog91.fc2.com/ )」というブログがある。紹介の文章(下記参照)を読むとかなりふざけた印象を持つが、なかなかどうして、現在の政治状況を現代的なセンスでズバズバ切る姿勢は抜群である。
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今朝の朝日新聞のコラム「経営者が語る戦争」(3)で、元福岡銀行会長の佃亮二さんが自らの戦争体験を語っておられる。現在78歳ということなので、終戦時は15歳前後で中学3,4年くらいだったでしょうか。「旧満州で生まれ育った私は戦時中、それ程戦争を意識せずに暮らすことが出来ました」という文章で始まる。この実感は当時国民学校3年生であったわたしにも共通するものである。 . . . 本文を読む
小林よしのりという漫画家は『東大一直線』でデビューし、『東大快進撃』とか『おぼっちゃまくん』などいわゆるぎゃく漫画で有名になり、その後『ゴーマニズム宣言』で、思想的な漫画を書くようになったとのこと。わたしが初めて彼の作品に接したのは『ゴーマニズム宣言』の初期の頃で、かなり衝撃を受けたことを思い出す。その後、漫画というスタイルにわたし自身がどうしてもなじめず、ほとんど彼に作品には触れなかったが、それでも彼が沖縄問題や教科書問題などで、社会問題にかなり保守的な立場から論陣を張っていることには注目していた . . . 本文を読む