町の書店の雑誌売り場でときどき「一個人」という変な雑誌があるということは気付いていましたが、あまり興味が持てそうではありませんでした。ところがツイッターでかなりの人が「一個人」の12月号が「キリスト教入門」を特集あていることを囀り、面白そうなので買ってみました。頁をめくるとかなりの頁が特集のためにさかれており、画像も豊富で面白そうです。全体は6部に分かれています。
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前に、このブログで紹介したことのある「共生庵だより」が昨日届けられました(参照:2009.11.5、2010.5.4)。この共生庵の主、荒川純太郎氏は大学時代のクラスメイトで、歴とした日本キリスト教団の牧師です。彼はいろいろなところで牧会をした後、思うところがあって広島の奥地で「人生のリトリートハウス」を開き、今も現役として活躍しています。それこそ、若い頃はマレーシアのサラワクへ日本人の宣教師として派遣され、良い仕事しました。おそらく共生庵の仕事はその延長線上にあるのだろうと推察しています。
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10月17日(日)
わたしはいにしえの日々を思い起こし、あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し、御手の業を思いめぐらします。(詩編143:5)
キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました。(ガラテヤ4:)
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いろいろある果物の中でも、最も美味しいと思っているのは「柿」です。とくに渋柿が木の上で熟して自然に地上に落ちた熟し柿は這いつくばって食べたいという欲望に駆られます。もちろん、教養が邪魔をしてそんなはしたないことはしませんが、熟した柿を買ってきても数日置いて、いよいよつぶれそうになった頃、中身をスプーンですくって食べるのが最高です。
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とは何かということを考える場合、先ず詩において用いられる言葉について押さえておかねばならない約束事がある。詩においても日常的な言葉が用いられるが、そこに込められた意味の深さが異なる。それを菅野覚明次のように述べる。
「そもそも歌は、あるいは一般に詩的な言葉は、おそらく最も効率的に深さを表現する。というのも、詩歌の、表現としての特色は、屈折というところにあるからである」(菅野覚明『詩と国家』99頁)。ここでいう「屈折」とは、詩人が触れ、表現しようとしている事柄は、その物、あるいは事、人物ではなく、それに触れたときに「思う」詩人の情感である。この情感を日本の歌論では「もののあわれ」と言う。
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ここ数ヶ月はフランスパンばかり作って来ましたので、ちょっと変わったパンも食べたくなってきました。それで今日は私がパン作りを始めた頃、挑戦してうまくいかなかった「ふわふわテーブルロール」に挑戦することにしました。
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宗像のザビエル聖堂の再建工事も順調に進められ、只今建物の顔ともいうべき正目壁面の化粧工事が進められています。既に人造洗い出し(擬石仕上げ)の部分はほとんど出来上がり、建物の形が姿を現しています。後は、その部分以外の白壁地の部分の砂漆喰仕上げが待つだけです。
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10月10日(日)
あなたたちはわたしたちの神、主と心を一つにしなければならない。(列王記上8:61)
あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。(ルカ12:34)
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ツィッターでは既に述べたことですが、ツィッターを見ていない方々のためにニュースをお知らせします。
カトリックの友人からのメールで、チリの鉱山から救出された作業員(鉱夫)の中に、プロテスタントの牧師がいるというニュースがありました。24番目に救出されたホセ・エンリケス師(54)です。彼は33冊の聖書の差し入れを依頼し、毎日正午と午後6時に祈り会を指導したとのことです。
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今日は柳川リハビリテーション病院の院長(久留米聖公教会信徒)のお世話で、腰痛の検査を受けてきました。先日、夜中に左足の甲に激痛が走り、寝ておれず、足をもんだり、湿布を貼ったりしましたが痛みが取れず、整体院で診てもらいましたが、原因は「腰」だということぐらいしかわからず、近くのクリニックでも見たては同じで、それこそ清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、MRIの検査を受けることにいたしました。
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月曜日から火曜日にかけて長崎の離島・高島に出かけ、一泊してきました。そこには久留米聖公教会の信徒、山本さんご夫妻が民宿を買い取り、友人や知人に格安で、時には無料で宿を提供してくれるという不思議な施設があります。前々からぜひお出かけくださいとお誘いを受けていましたので、この度、八幡聖オーガスチン教会の信徒たち3人と一緒にお邪魔しました。
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10月3日(日)
呼び求めるわたしに答え、あなたは魂に力を与え、解き放ってくださいました。(詩編138:3)
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。(ロマ8:15)
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このブログで前に朝日新聞の「天声人語」の質が低下したということを書いたことがある(2010.1.27)。確かに心惹かれる文章は少なくなった。しかし今日の天声人語は「これぞエッセイ」と思わせる秀逸の文章である。
先日亡くなった書家の榊莫山さんのことが取り上げられている。読みながら頭の中で榊さんの面影が甦る。
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今年も例年通り、10月1日に宗像大社の放生会「みあれ祭」が開催され、観光船も出されることになりました。ただし、昨年からこの観光船に予約乗船するためには、大島の民宿か旅館に泊まらなくてはならないことになり、八幡の友人と二人で大島の漁亭「あさひ丸」に宿泊しました。 . . . 本文を読む
9月26日(日)
主はわたしの岩、砦、逃れ場.(2サムエル22:2)
わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。(2テモテ1:12)
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