ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

溝口靖夫「松山高吉におけるキリスト教と神道思想との接触」

2017-09-30 10:15:52 | 論文
本論文は、「NCC宗教研究所、「出会い」1966年11月」に掲載されたものであるが、この雑誌そのものが広く読まれているものではなく、多くの方々の目に止まらなかったきらいがあります。日本におけるキリスト教研究のためには非常に貴重なものでありますので、ここにテキスト化して保存しておきます。 . . . 本文を読む

村上陽一郎著「やりなおし教養講座」(NTT出版)を読んで(その三)

2005-11-09 14:19:31 | 論文
村上陽一郎著「やりなおし教養講座」(NTT出版)を読んで(その三) 「武士道」から自由主義へ 村上氏は、父親はいわゆる「大正教養主義の雰囲気にどっぷり浸かってい育った」という。(122頁)果たしてそうであろうか。わたしは「大正教養主義」とは、「主義」とか「思想運動」というよりも、第二次世界大戦以後でいうなら「太陽族」の時代というように、一種のファッションであると考える。従って、「大正教養主 . . . 本文を読む

村上陽一郎著「やりなおし教養講座」(NTT出版)を読んで(その二)

2005-11-09 14:18:51 | 論文
村上陽一郎著「やりなおし教養講座」(NTT出版)を読んで(その二) 「規矩」について 村上氏は本書において、市井の普通の人から高い教育を受けた知的エリートと呼ばれる人まで、つまり、知識の量とか学歴に関係なく、「人間としてぎりぎりのところの教養というものを持っている人」(15頁)の中にあって、その人を成り立たせている核を「規矩」という言葉で表現する。著者も言うとおり、おそらくこの言葉を知って . . . 本文を読む

村上陽一郎著「やりなおし教養講座」(NTT出版)を読んで(その一)

2005-11-09 14:17:40 | 論文
村上陽一郎著「やりなおし教養講座」(NTT出版)を読んで(その一) リベラル・アーツ 村上氏の「やりなおし教養講座」を読んだ。非常に刺激的で、読み応えがあった。読後直後の率直な感想は、昭和11年(1936年)、子年生まれの日本人全員にぜひ読んでもらいたいということである。村上氏とたまたま同じ時間を共有したということを誇りにして、同級生の気分で、この本を読んで欲しい。何しろ、彼はわたした . . . 本文を読む

ティリッヒにおける宗教的象徴の意義──組織神学の根拠について──(11)

1968-03-11 14:45:28 | 論文
第2部 23. この徴候についてはすでに以下の論文において指摘せられている。 高尾利数「 "神の存在" の問題」聖書雑誌8月号 1966 日本基督教団出版部 飯 峯明 「神と神との間」(聖書雑誌5月号 1957 日本基督教団出版部 山内一郎「現代神学における"神"の理解について」 神学研究第15号 1966 関西学院大学神学研究会 24. バルトやブルトマンにおいて、神論がどのように取り扱われて . . . 本文を読む

ティリッヒにおける宗教的象徴の意義──組織神学の根拠について──(9)

1968-03-09 14:38:11 | 論文
<註> 序論 1. Kenneth Hamilton, 1958年以来カナダのUnited College,University of Manitobaの神学部組織神学助教授。The system and the GospeL, London,1963においてキエルケゴールとティリッヒとを対比して、ティリッヒ神学の組織性を批判している。 ティリッヒは『組織神学・』の序論においてこのことに言及し次の . . . 本文を読む

ティリッヒにおける宗教的象徴の意義──組織神学の根拠について──(8)

1968-03-08 14:33:58 | 論文
第3章 神学的認識論に対する宗教的象徴の意義 組織神学が学問として確立するためには他の諸学問との関連性が明きらかにされねはならない。特に隣接する哲学や宗教の歴史学的、社会学的、心理学的研究を総合する宗教学との関連性に関しては全ての組織神学者は説明する義務がある。(1)(註29)しかし、それらのことについては、すでにこれまでの論述において明きらかにしているはずであるから、ここでことさら論ずる必要は . . . 本文を読む

ティリッヒにおける宗教的象徴の意義──組織神学の根拠について──(7)

1968-03-07 14:32:14 | 論文
第3節 神学と哲学 具体性と普遍性との極間に立つ組織神学における具体性への徹底という面をキリスト教と諸宗教との関連において論じて来た。次の問題は普遍性への徹底という面であり、それを神学と哲学との関連において論じたいと思う。 ともかく、キリスト教神学がその成立の過程からすでに普遍的真理を探究する哲学と密接な関係を持って来たことは否定出来ない。神学的思惟において用いられている諸概念は哲学によって形成 . . . 本文を読む

ティリッヒにおける宗教的象徴の意義──組織神学の根拠について──(6)

1968-03-06 14:30:40 | 論文
第2章 組織神学の根拠 第1節 原理的考察 ここでティリッヒの目指している組織神学という概念についてもう一度確認しておく必要があるだろう。彼は神学を個々の諸宗教における知的機能として理解する。キリスト教神学もその意味で「一つの神学」である。しかし組織神学はそれであってはならない。彼は文化に普遍的な「神学そのもの」を規定し、組織神学とはその「神学そのもの」であると考えている。従ってそれはまた「文 . . . 本文を読む

ティリッヒにおける宗教的象徴の意義──組織神学の根拠について──(5)

1968-03-05 13:11:31 | 論文
第2部 組織神学成立の根拠 第1章 現代における組織神学への関心 この小論の課題は組織神学成立の根拠は何かということ、言いかえるならば有限存在である人間がいかにして無限存在である神を認識し、語ることが出来るか、ということである。 20世紀前半のプロテスタント神学を支配した弁証法神学は「神を語る」あらゆる人間の行為を自然神学の名をもって批判し、神学はただ「神が語る」神の言を「聞く」ことに関心を集 . . . 本文を読む

ティリッヒにおける宗教的象徴の意義──組織神学の根拠について──(4)

1968-03-04 13:10:19 | 論文
第3章 宗教的象徴の解釈 宗教というものが文化に内在し、しかも文化に深みと崇高さとを与えるものとして、人間の水平活動としての文化とは異なる人間の自己超越の活動である、ということに関してはすでに述べた。この宗教の超越機能は宗教的象徴においてなされる。しかし宗教的象徴それ自体は文化に内在するものである故に、宗教の超越機能は文化の水平運動に巻き込まれてしまう危険がある。 ティリッヒは現代の危機は宗教に . . . 本文を読む

ティリッヒにおける宗教的象徴の意義──組織神学の根拠について──(3)

1968-03-03 13:08:39 | 論文
第2章 宗教的象徴の現象 前章において宗教的象徴が経験世界に内在するものでありながら、無制約的超越者を指示するものであることを考察した。この章の課題はそれが具体的には何であるかということである。まずそれが何でないかということから考察を始める。 第1節 生の曖昧性 一般に、人間に普遍的な宗教心が宗教であるとか、主観の宗教心の客観化ないしは投射が宗教的象徴である、というような見解が受け入れられて . . . 本文を読む