ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

松村克己の三一論について

2017-05-31 16:20:52 | 松村克己関係
松村克己は三位一体論について、生涯で3つの論文を書いている。(辞書類での執筆、その他小さな文書は省く)。 (1) アウグスチヌスの「三一論」について〜神学方法論についての一考察〜   (東京神学大学神学会「神学」石原謙博士古稀記念論文集、1952年12月) http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/9c9ad3eeb236da972789644f84551093 (2) 三位一体の神   (「神学研究」第9号、1959年12月) http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/a952d80969fadfd43414657457662115 (3) 古代キリスト論の評価 —今日の神学的課題として—   (小田切博士献呈論文集「キリスト論の研究」、1968年6月) http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/10e2472c4ef610e7fffb88e3018c499f . . . 本文を読む

昨日のFB 05/29

2017-05-31 09:05:02 | ツイッター
今日の名言:@jinseiron_note 近代の主観主義は秩序の思想の喪失によって虚無主義に陥った。いわゆる無の哲学も、秩序の思想、特にまた価値体系の設定なしには、その絶対主義の虚無主義と同じになる危険が大きい。(三木清『人生論ノート』、秩序について) <一言>成る程、そういうことか。こうもいう。「人格とは秩序である、自由というものも秩序である」。秩序とは外面的に整っていることではない。「心の秩序を度外視してどのように外面の秩序を整えたとしても、空疎である」。 . . . 本文を読む

昨日のFB 05/28

2017-05-30 16:07:14 | ツイッター
今日の名言:@meigenbot 教育の目的は、機械を造ることではなくて、人間をつくることである。(仏作家: Jean-Jacques Rousseau) <一言>近代教育学の原点はここにある。さすがにジャン・ジャック・ルソーの言葉だ。最近の教育では人間をロボット化する。その成功例が、なんとか官房長官。学校なんぞに行かない方が人間になる。 . . . 本文を読む

昨日のFB 05/27

2017-05-29 09:23:31 | ツイッター
今日の名言:@B_Pascal_jp 考える葦。私が私の尊厳を求めなければならないのは、空間からではなく、私の考えの規整からである。私は多くの土地を所有したところで、優ることにならないだろう。空間によっては、宇宙は私を包み、一つの点のように呑み込む。考えることによって、私が宇宙を包む。(パスカル『パンセ』§348) <一言>「考える葦」という言葉はいろんなところに出てくる。ここでは人間の「尊厳性」の根拠として述べている。ポイントはただ一つ、「考えることによって、私が宇宙を包む」。例えば、権力。権力に呑み込まれている人間には尊厳性はないが、権力を知性によってコントロールできるところに人間の尊厳性はある。 . . . 本文を読む

昨日のFB 05/26

2017-05-28 08:21:13 | ツイッター
今日の名言:@tsuredure_bot1 四季は決まった順番でやって来るが、死期はそうではない。死は自分の前に立って、見えているわけではないので、前もって予見したり準備したりはできない。死は、後ろから迫ってくるのである。(吉田兼好「徒然草」第155段) <一言>こういう句が目に止まるとはどういうことか、ということはさておき、真理は単純である。この部分、原文ではこうなっている。「四季なほ定まれるについであり。死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり」。 . . . 本文を読む

現代語版イミタチオ・クリスチ第2巻第2部(13章〜34章)

2017-05-27 09:12:33 | 現代語版イミタチオ・...
第2部 キリストは修道者の心に語りかける この部分は、Dominus(主)とServus(奴隷)との対話という形式になっている。これを由木訳では「イエス・キリスト」と「弟子」と訳し、岩波版では「キリスト」と「信者」と訳している。この対話はあくまでも心の内部(interna)でも対話であり、要するに修道者の「内面対話」である。ということで、私は「キリストと修道者」という言葉を使うこととする。 . . . 本文を読む

今週のローズンゲン 2017/05/21~05/27

2017-05-27 09:04:57 | ローズンゲン
主はソロモン(の夢枕に立ち、)に「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。ソロモンは答えた。「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください」。(列王記上3:5,9) どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。(ヤコブ1:5) . . . 本文を読む

昨日のFB 05/25

2017-05-27 08:31:17 | ツイッター
今日の名言:@tsuredure_bot1 法然上人が「成仏はできると思えばできる、できないって諦めたらできない、できるできるできる、絶対にできる、諦めんなよ、もっと熱くなれよー!」って言ってた。ありがたい言葉だから紹介しとく。(吉田兼好『徒然草』第39段) <一言>これを兼好の原文では、「往生は、一定と思へば一定、不定(ふじょう)と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。又、「疑ひながらも念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これも又尊し」となっている。要するに、疑いつつも信じる者は救われる。 . . . 本文を読む

昨日のFB 05/24

2017-05-26 09:27:56 | ツイッター
今日の名言:@Hegelbot 議会においては普遍的自由の主観的契機、「市民社会」と呼ばれた圏自身の洞察と意志が国家と関連して現実に顕現する。(ヘーゲル) <一言>久しぶりに「市民社会」という言葉を読み、思い出した。近代社会は「市民社会」であるはずだが、日本では「市民」が育つ前に文明社会だけが近代化してしまった。ヨーロッパにおいて「市民」を育てたのは教会なのだ。市民なき市民社会、市民なき民主主義、なんという矛盾か。 . . . 本文を読む

昨日のFB 05/23

2017-05-26 09:13:00 | ツイッター
今日の名言:@daVincibot 鳥が羽を使って天を舞うように、人も羽を使って天に近づく。すなわち、羽ペンで文字を書くことで。(レオナルド・ダ・ヴィンチ) <一言>面白い。で、現代人は鳥の羽の代わりに何を使って文字を書いているのだろうか。そりゃ、私の場合はほとんどがパソコンだ。果たして、パソコンで天に近づくことが出来るのだろうか。ハッハ〜ン。これはクラウドのことだ。現代人はパ曽於混で文章を書いてそれを雲(クラウド)に保存している。要するに、仮想空間というか、「仮想天」で常に上空を回わっているので、いつでも近くにある。私は遺言をクラウドに残しておこうと思う。 . . . 本文を読む

昨日のFB 05/22

2017-05-24 09:38:54 | ツイッター
今日の名言:@daVincibot 距離を置いて作品を見るのも良い方法だ。なぜなら、そうすると作品が小さく見える。そうなるとより多くのことが一目で把握できる。調和や均衡が欠けていないか、色合いはどうかといったことが良くわかるのだ。(レオナルド・ダ・ヴィンチ) <一言>こんなこと誰でも知っていることで、わざわざ「名言」として取り上げることもないとは思うが、実際に何かに打ち込もうとすると、細部が気になり、気になり始めると、考え方が極端になる。 だから、そういうときにこそ、問題から少し身をひいて、全体のバランス感覚を取ることが大切だ。この「バランス感覚」が何かをしようと思うものにとっては最も大切なものである。これは、素人としての視点と言い直すことが出来るであろう。特に神学や聖書学において、普通の信徒の立場に立って見るという感覚を失ってはならない。実はこのことを教えて戴いたのは、恩師、松村克己先生である。 . . . 本文を読む