ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 2/16

2011-02-17 09:03:27 | ぶんやんち
今日の名言:RT @wisesaw: 一生の仕事を見出した人には、ほかの幸福を探す必要はない。 [カーライル] <一言>言い換えると、一生の仕事を見出すまで人は満足できない。一生の仕事との出会いは人それぞれ異なり、不思議としかいいようがない。 . . . 本文を読む

8月31日

2010-08-31 17:00:15 | ぶんやんち
8月も最終日となりました。昔はこれが夏休みの最終日でした。小学校も、中学校も、高校も、この日が夏休みの宿題の締め切り日でした。9月1日が日曜日だと、確かに「1日、儲けた」という感じでした。でも、最近は2学期の始まりもいろいろあるようです。 . . . 本文を読む

『バナナは皮を食う』(暮らしの手帖社)

2008-12-14 20:23:02 | ぶんやんち
わたしたちが結婚したのは、1963年4月で、その頃、わたしは大学2年であった。もっとも、大学2年といっても、満洲からの引き揚げで1年、高校を卒業した年に1年浪人し、その後東京聖書学院で3年間過ごして、さらに聖書学院から関学神学部に入るために1年準備期間を過ごしていたので、歳だけはかなり喰っていたので、27歳にちょっと足らない年齢になっていた。 新婚家庭では、女子栄養大学出版部発行の「栄養と料理」と「暮らしの手帖」がいわば指導書であった。「栄養と料理」からは毎月一品は新しい料理に挑戦すること、新しい何かの家財道具を買うときには、「暮らしの手帖」を参照にすること、というのが一種のルールになっていた。 . . . 本文を読む

ぶんやんち(9)

2008-10-04 15:29:45 | ぶんやんち
今朝の朝日新聞特版Beに菊田一夫作詞の「とんがり帽子」が掲載され、連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が紹介されていました。このドラマは昭和22年7月からNHK で放送され、昭和25年12月までに790回まで続き、その後3回も映画化され、第2次世界大戦後の日本人に大きな感動を与えた「超大作」です。 . . . 本文を読む

ぶんやんち(8) 結婚

2008-08-02 12:43:57 | ぶんやんち
どちらが、どちらにプロポーズしたのかわからない。ホーリネス教団の習慣からいって、伝道師の方から信徒に求婚する筈がないし、信徒の方から伝道師にプロポーズするのもあり得ない。いろいろ推測すると、これは成沢牧師の配慮に満ちた陰謀であろう。 . . . 本文を読む

ぶんやんち(7) キリスト者2タイプ

2008-08-01 11:51:30 | ぶんやんち
6月3日にブログで、親爺のことをマタイ型のキリスト者と名付け、お袋のことをパウロ型のキリスト者とであると説明した。これは厳密な類型化(タイポロジー)と言うよりも、そういう傾向性があるというにすぎないことであるが、その際に、一応劇的回心という経験を経てキリスト者になった人たちをパウロ型とし、それに対して、キリスト教の教え、あるいはイエスの教えや生き方に共感して入信した人たちをマタイ型とした。彼らには「劇的回心」というような人の目をひくような経験がないということが鍵である。 . . . 本文を読む

ぶんやんち(6) 二足のわらじ

2008-07-26 10:51:13 | ぶんやんち
当時、新京市は新しい街であり、若い夫婦が溢れていた。しかも、満州国は、日本人だけではなく、中国人、満洲人、蒙古人、朝鮮人、ロシア人と多民族国家である。若い夫婦が居れば、妊娠するのは当然で、それに比べて助産婦の数は限られている。というような事情で、岡本房子助産婦のクライエントは文字通り多民族で、五族協和を地でいくようなものである。 . . . 本文を読む

ぶんやんち(5) お産事情

2008-07-25 09:19:04 | ぶんやんち
出産という人間の行為の中でも最高位に価値づけられる営みに奉仕をする職業が「さんば」である。漢字で書くと「産婆」で、この言葉の中に「婆」という字が入っているために差別語だとされ、第2次世界大戦後、GHQの指導の下に「助産婦」と改称された。さらに、2002年3月1日、保健婦助産婦看護婦法の改定により、「助産師」と改められた。 . . . 本文を読む

ぶんやんち(4) 大議論

2008-07-24 08:39:29 | ぶんやんち
その頃、親爺はお袋のことを「岡本先生」と呼び、お袋は親爺のことを「文屋兄(ぶんやきょうだい)」と呼んでいたに違いない。何しろ、岡本伝道師の方は教団監督から任命されてきたのであるから、張り切って伝道に励んだに違いない。ところが、文屋兄の方は、仕事を探す以外に何の仕事もないから閑である。仕事もないし、行くところもない。それこそ「枕するところもない」ような生活なので、チョットした荷物は教会に預け、しょっちゅう教会で何か仕事を見つけては手伝っていたようである。 . . . 本文を読む

ぶんやんち(3) 親爺の就職活動

2008-07-23 09:07:33 | ぶんやんち
親爺の選択は非常に賢明であった。親爺は新京に着いて、空白の7ヶ月の後、満州国建設局計画公園課に職を得た。親爺の就職活動がどのようになされ、何かコネのようなものがあったのか、あるいは、本国にいた頃から、この部署についての何らかの情報を得て、そこを目指して新京に向かったのか、全くわからない。親爺の性格から考えて、おそらくその主のことは何もなかったのではないかと思っている。むしろ、その場に身を置いて、状況に素直に対応することから道が開けてくる、というのが親爺の基本的な姿勢である。 . . . 本文を読む

ぶんやんち(2) 新首都・新京

2008-07-22 14:13:32 | ぶんやんち
新しい首都・新京は、五族協和・王道楽土をそれ自体が示す首都でなければならない。従来の中国の北京や南京のようでもなく、日本的な東京や大阪のようでもなく、またロシア文化を体現しているようなハルビンのようでもない。新しい都市、どちらかというとフランスのパリを現代化したような、あるいは古代ローマに匹敵するような首都造りが計画された。新京の都市作りの最大の特徴は計画性ということで、住居・商業・工業地区を明確に区分し、建築物はすべて許可制とし、モニュメントを除き、高さ20メートル以下に制限された。 . . . 本文を読む

ぶんやんち(1) 神様のいたずら

2008-07-21 08:32:11 | ぶんやんち
本年4月30日から始まった「親爺のことシリーズ」と「お袋のことシリーズ」は一先ず修了する。また必要があれば、続きを書くが、今日からは「ぶんやんち」という新しいシリーズを始める。このブログの「ぶんやさんち」という名前には「さん」という言葉が入っており、いわば外向け、あるいは外から文屋家のことを見るという視点から書かれているが、その中の「ぶんやんち」は、いわば文屋家の内部事情を記録する意味が込められている。 . . . 本文を読む

親爺のこと(16) 死に場所探し

2008-07-20 15:23:27 | ぶんやんち
親爺の信仰の根底には、何かのために、誰かのために、自分の生を献げるということがある。そこで、親爺が発見したのは理想国家満州国の建設という壮大なプロジェクトである。親爺は、満洲という地は命をかける値打ちのある場所であると信じた。そこにさまざまに錯綜する日中間の政治的駆け引きや、大陸侵略という野望などは見えていない。ただ、そこにあるのは東北地方で弁当も与えられない空腹の子どもたちの顔であり、荒涼たる満洲という土地であり、そこに五族協和と王道楽土といいうロマンである。 . . . 本文を読む

親爺のこと(15) 親爺と日本ホーリネス教団

2008-07-19 09:55:06 | ぶんやんち
親爺と日本ホーリネス教団との接触がどうしてもハッキリしない。ただ一点だけ明らかなことがある。5月6日のブログで述べたように、親爺は22歳のとき、日本レスキューミッション吉岡伝道館で、山崎亨治牧師から洗礼を受けたということである。時は昭和5年(1930年)10月3日のことである。お袋の受洗より約1年半後である。 . . . 本文を読む

親爺のこと(14) 青年は満洲をめざす

2008-07-18 12:57:58 | ぶんやんち
この「親爺のことシリーズ」は本年4月30日のブログで、次の言葉で始まった。 「親爺が、なぜ満州の地に渡ったのか、それはわたしにとって大きな疑問であり、大問題である。もし、親爺が満州に渡っていなければ、わたしは存在しない。わたしは、今この問題について考えている。因みに、親爺が満州に行ったのは1932年11月11日のことで、その年の3月1日に満州国は成立した」。 . . . 本文を読む