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村上陽一郎著「やりなおし教養講座」(NTT出版)を読んで(その二)

2005-11-09 14:18:51 | 論文
村上陽一郎著「やりなおし教養講座」(NTT出版)を読んで(その二)
「規矩」について
村上氏は本書において、市井の普通の人から高い教育を受けた知的エリートと呼ばれる人まで、つまり、知識の量とか学歴に関係なく、「人間としてぎりぎりのところの教養というものを持っている人」(15頁)の中にあって、その人を成り立たせている核を「規矩」という言葉で表現する。著者も言うとおり、おそらくこの言葉を知っている人はまれであろう。(98頁)
確か、小学3年生以前であったと思うが「矩形」というものがあったように記憶する。それが、いつの間にか「長方形」と呼ばれるようになり、その時「矩形」の「矩」という時が「短」に似ているのでおかしいと感じたことがあるような気がする。現在では「直角四辺形」と呼ぶらしい。この「矩」という時は、短いと言うこととは関係なく、正しくは「角形の定木」、大工さんが持っている直角に折れ曲がった形の物差しを意味している。それに対して、「規矩」の「規」という字は、正確の円形を描く道具でコンパスのことを意味している。
つまり、「規矩」とは円形とか直線を正しく描くための道具であり、そこから人間として「正しい」生活をするための道具、というよりもその人の内部にあって生きるけじめとなるものを意味している。現在では、この「規矩」という言葉はほとんど聞かれなくなっている。村上氏は、二、三代前の祖父たちが使っていた大工道具を古い納屋から持ち出して、磨きをかけ、工芸品として光を当ててくれたようなものである。確かに、本書はこの「規矩」という言葉によって「教養」という聞くだけでもうんざりする主題を魅惑的なテーマとして提示してくれている。
私的なことになるが、わたしにはこの「規矩」という言葉には忘れることができない思い出がある。わたしが11年間働いた京都のクリスチャンアカデミーの運営委委員の一人に、同志社大学文学部の教授(社会学専攻)でIKという方がおられた。この方は頭の先から足の先まで、服装も考え方も振る舞いも大正教養主義を絵に描いたような紳士であった。(誤解されないように付け加えると、彼が「大正教養主義者」だと言っているのではない。)この人の名前が「規矩治」で、主事をしていたわたしは、この人から多くのことを学び、生き方や考え方に大きな影響を受けた。確か、この人はわたしよりふた回り上の子年生まれであったので、1912年生まれであったと思う。こういう訳で、偶然ではあるが、「規矩」という言葉はわたしには格別に尊敬と親しみを感じている。
村上氏は、「規矩」という言葉が好きで、「これからその言葉を多く使うことになる」(5頁)というだけで、その言葉とどういう出会い方をしたのか、あるいはどういう思い出があるのかということについて一切説明がない。もちろん、それはいわば「私的」なことで、その必要はないと言われれば、それまでではあるが、本書では父親との関係とか、漱石についてこれだけ「私的」なことをのべているのだから、何らかのエピソードが紹介されていたら、著者に対してもっと親しみが湧いてきたかも知れない。
しかし、賢明な村上氏のこと、「規矩」という言葉のコンテンツについては明白に語っている。それが、新渡戸稲造氏の『武士道』である。いわば本書はこの古典的な名著の現代的展開という意味を持つ。『武士道』が初めて世に現れたのは、(もちろん英文であるが)1899年、和暦でいうと明治32年である。新渡戸は欧米人に対して、明治以前の日本人の道徳観の根底にあるもの、欧米でいうとキリスト教に対応するもの、宗教ではないが宗教的役割を担ってきたものを「武士道」という言葉で総括している。当時すでに明治も終わりに近い時代である。もはや、町の中に日本を刀を差して歩いているサムライなどいなかったに違いない。新渡戸は、「武士道の感化は今日もなお深く根ざしているものであるが、しかし、それはすでに私ののべたごとく、無意識的かつ沈黙の感化である」(「武士道」岩波文庫138頁)という。最後の「武士道の将来」という章では、次のようにいう。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消えるかも知れない。しかし、その力は地上より滅びないであろう」(149頁)。まるで、長島茂雄氏の「巨人軍は永遠である」という宣言のようである。村上氏は、この「武士道」という大時代的な言葉を「規矩」という言葉に置き換えている。しかし、ただ一点、新渡戸と村上氏との問題意識の相違点は、前者が過去から将来に向かって明るい展望を持っているのに対して、後者は、「断絶されたもの」として語る点である。
さて、「武士道」という言葉には、単に身を守り的を攻撃する「武術」とか「剣術」以上のものが含蓄されている。だからこそ、一応「武術」と無関係であった農民や町民にとっても無言の教訓となり得たのである。この「道」という考え方こそ、単なるお茶の入れ方や飲み方、お花のいけ方や芸能まで単なる技術(テクニック)、ハウツーに過ぎないものを「人間のあり方」を身に着けさせるものとした、日本人の智慧である。その中でも、特に人の生命を奪うテクニックには厳しい掟が生まれてきた。矛盾したことであるが、「剣は人を殺すものではなく生かすものである」というような考え方が「道」である。つまり、武士道という場合、初めの二語を超克して最後の「道」に徹底することが重要である。「無意識的かつ沈黙の感化」とか「その力は地上より滅びない」と新渡戸が言うとき、それは「道」、「人の道」、「道義」である。その意味では、わざわざ、ほとんどの人が知らないような「規矩」という言葉を持ち出さなくても、「道」で十分通じたのでは無かろうか。しかし、考えてみると、日本語には「道学先生」、とか「道学学者」という言葉もあるので「道」という言葉を避けたのかもしれない。(広辞苑「道学先生」の項参照)
しかし、「規矩」という言葉を持ち出された意味は、決して小さくない。わたしも、村上氏の感化をうけて、この言葉が好きになった。もし、「道」という言葉をこの意味で用いようとするならば、先ずこの言葉にまとわりついている宗教的、倫理的「手垢」を徹底的に洗い落さなければならない。たとえば、「わたしは道である」とが、「道教」とかと無関係にしなければ使いものにならない。それはほとんど不可能な作業である。それよりも村上氏がしたように、ほとんど知られていない「規矩」という言葉を用いる方がはるかに有効である。
「武士道」とか「規矩」という言葉で表現しようとしている内容は、決して抽象的観念的な概念ではない。なしろ、この言葉の原意は「ものさし」である。具体的でなければ訳にたたない。その意味では、この言葉は非常にソリッドなものである。この「規矩=ものさし」ということに関連して、どうしても付け加えておかなければならないことがある。
キリスト教では、聖書が非常に重視されている。聖書を重んじる理由は、一部のキリスト教のように単純に「神の言葉」だからということではない。聖書がキリスト教信仰にとって重要な理由は、それが「正典」だからである。誤解されては困る。「正典」であって「聖典」ではない。「正典(キャノン)」という言葉の原意は「ものさし」である。聖書とは、様々な文書から「正典(キャノン)」ということで、集められ制定された文書集であり、正しいキリスト教の規準を示している。
それともう一つ、教会という社会的存在のあり方、運営について規定しているものとして、「教会法」というものがある。この「教会法」という言葉も、そのもともとの言葉は英語でいうと「キャノン・ロウ」と呼ばれる。日本聖公会では「封建法規」とよび、日本キリスト教会では「教憲教規」という。つまり、これも「ものさし」である。
これら二つのことに触れたのは、「規矩」とは具体的な文書を目指しているという点である。その意味では、主観的な信仰箇条とか、難解な神学的命題というようなものではなく、具体的な生活箇条に類するものを、少なくとも目指している。
それが、本書の最後に蛇足のように付け加えられている「教養のためにしてはならない百箇条」の意味であろう。一寸、うんざりする箇条もあるが、被害者の方に身を置いて考えると納得する。

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