
■■■■「チェンマイ・ロングステイ今昔■■■■
(第1話・揺籃期)
■海外ロングステイの低迷」
●閉塞感漂う日本を脱出して、高成長するアジアの南国で、心豊かに暮ら日本
人が増えている。従来からある年金移住も活発だが、その目的は多様化
してさまざま、今までの富裕層中心の海外暮らしから、介護移住や教育移住や
短期移住など、全体、の伸びり率は11%を大きく上回っている」
これは、2013年2月9日の経済誌東洋経済の特集記事の一節である。
●わずか2年半前の記事とは裏腹に、日本の海外ロングステイは、いま極端に
低迷している。 何故なのか。
(
(JTIRO。ウアング村ホームステイ)
●そこで今日は、海外ロングステイーが、一般的に取り上げられるようになった
1988年(昭和63年)に遡って、改めて日本の海外ロングステイの経緯を検証
し、JTIROが推奨する魅力的なチェンマイロングステイの真髄に触れて、今後
の復活を期したいと思う。
■「日本における海外ロングステイの経緯」
●実のところ 日本の海外ロングステイが、いつから始まったという確証はない
が、私の記憶では、1986年(昭和61年) 当時の通産省から提案された豊か
な第2の人生を海外で暮らすための海外居住支援計画、いわゆる「シルバー
コロンビア計画」が、始まりではないかと考えている。
●これはリゾート先進の欧州、特にスペインとか北欧のりゾートを擬して、外国
生活の経験がある通産官僚によって発想された計画のようだが、当時輸出旺
盛な時でもあり、ついに老人まで輸出するのかとの悪評を買い、計画倒れに
なったと記憶している。
●という事は、ロングステイという概念は、やはり、古く欧州や北欧では、豊か
な暮らしの形として、リゾートと関連して一般に広く普及していたと考えていい。(東京オリンピック)
●さて1980年代の日本の時代背景は、オイルショックの真最中、最高に華
やかなりし頃だった。戦後の日本はーーーーーーー、
・東北や九州から、集団就職世代が、日本経済の上昇を支えた。
そして
・所得倍増計画、・東京オリンピックや東京新幹線
・大阪万博で、日本の存在感を内外にアピール、高度成長エンジンが始動、
・ソニーやシャー-プの最新ハイテク技術を全世界に売り込んだ。
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