
■■■■■■■■■■■■■経営の本質■■■■■■■■■■■■
●北條俊彦
・経営コンサルタント ・前 住友電工タイ社長
■「伝統の家訓」
●私が住友入社時の新人教育で教えられた 住友家の教えについ
て少し触れてみたい。住友家の創業は古く、近代には日本三大財
閥の一つとして国家経営に参画し事業の拡大発展を遂げてきたが
大東亜戦争敗戦後、GHQによって解体されたのはご承知の通りで
すが、住友家には家祖と業祖がおられ,家祖である初代政友(1585
-1652)の書き残された商売上の心得“文殊院旨意書“が住友の事業
精神の原点として現代に引き継がれています。
因みに業祖は蘇我理右衛門で住友家と精銅が繋がる端緒は、政知の
娘婿であった理右衛門が「南蛮吹き」と称される精錬法を学んだこ
とから始まるのです。
その後1882年に広瀬宰平によって「住友家法」が制定され1891
年には家法(企業のルール)と家憲(家長の心得)に分割し“所有と
経営の分離”を明確にしました。その際に「信用を重んじ」を加えた
「営業の要旨」を家法の冒頭に掲げられたのです。
(注)別子銅山記念館資料より抜粋
●私はこれまで、住友家家法にもある経営における「営業」の役割
というものを最重要視してきましたが、改めて営業とは何かを自問
し続け一つの答を導き出しました。
それは、近世大坂商人の大切な心得「始末(しまつ)」という言葉
に端的に表現されているのです。即ち、始末とは始めと終わりのこ
とですが「経済活動(商売)には一貫した計画性が大切である」と
いう意味です。そしてその始末する言葉には、遠大な計画と無駄を
省く合理性と質素倹約(倫理観)までの意味が含まれるのです。
現代風に表現すると「営業とは企業にあってヒト・モノ・カネ・技術
・情報を組織的且つ有機的に統一運営し、事業を主導的且つ永続的に
営む主体的行為」であり「企業が向かうべき方向性と実行シナリオを
描き(戦略の策定)、機能的且つ効果的組織マネジメントを行い、リ
ーダーシップを持って組織引率する行為」だからこそ、企業の社長は
営業トップであると言われる所以です。
●最近経営学者なるものが横行し、“展転支離陸沈“を嘆く一人であ
りますが、要は頭でっかちで何の役にも立たない 知識だけをひけら
かす“学者擬き“が多いということでしょうか。
経営学は”死学“では無く“実学“であり、”実証性に裏付けられ実際社
会に役立ち且つ、人の道や道理に合ったものでなくてはならないの
です。即ち“経営の道を説き、道を解く、そして道を得、徳となるこ
と”現在、それを実践されておられる経営学者は、坂本光司先生では
ないかと思っています。
●今回、現代の日本的経営の原点となった“近世大坂商人の知恵“に
ついてお話を少しさせて頂きます。では“近世大坂商人の知恵”とは
何か?ということですが、それは伝統的な企業倫理(日本的経営理
念)即ち、
・「道(徳)経(済)一体の経営」であり、
・「企業は社会の公器」として企業の社会的責任です。
士農工商の最下位の身分として、近世大坂商人は 自分達の存在価値
と商いの社会的役割を常に模索し続けます。また 武士階級から自分
達の存在を認められるため「法を重んじ 誠実を通し倫理観に裏付け
られた行動」を商売の基本に課したのです。
それが先述の文殊院旨意書のように「家訓(法)」として家業の経営
理念となっていったのですが、武士道ならぬ商人(売)道として現代
に続く経営(家業)の精神的支柱としてその永続的発展を支えてきた
のです。
●現代経営史学における代表的人物といえば、松下幸之助氏とドラ
ッカー氏が私の記憶にすぐ現れるのですが・パナソニック創業者 松
下幸之助氏(1894-1989)は、小学校を9歳で中途退学し船場の商店
に丁稚奉公され15歳まで過ごした経験についてこう述べておられます。
「私が今日あるのは、一面ではこの奉公時代の7年間に 商売の躾とい
いますか、商売道(伝統的な企業倫理)を知らず知らずのうちに体得
したおかげであると思います。」
また大坂商人の「躾」について、それは人間社会・集団の規範、規律
や礼儀作法など 慣習に合った立ち居振る舞いができる(規範の内面化)
ように訓練することだとも述べています。
(●経営学者ピータ―ドラッカ)
近代経営学者ドラッカー(1909-2005)は、「社会的責任と倫理観に
裏付けられ、顧客に満足を与える経営」こそが、日本の伝統的経営理
念であると述べています。
また、日本の経営システムである稟議制度・終身雇用・人事採用制度
・年功序列についてもそれぞれのメリットを高く評価しています。
① 稟議制度は、コンセンサスが社員の中で共有された後の実行力の大
きさ。
② 終身雇用は従業員に安心感を与え、生涯訓練が可能となり生の向上
が大きく見込める。
③ 学校の先輩・後輩等繋がりある人事採用制度は、教育と人事考課を
効率的に機能させる。
④ 年功序列は長期的で多面的な能力評価が可能となり、トップマネジ
メントを選抜するのにも大いに有効である。等です。
これらの経営システムは、現在日本において逆に経営発展の阻害要因と
して死語になりつつありますが、勝ち負けや利益のみが企業目的ではな
い現代社会において企業の永続的発展を考えれば今こそ最も重要な経営
システムなのです。
ではこれらの商人道なるものを生み出した要因は何か?
それは性善説に立った日本人の人生観です。そして商人にとって商いとは
「目的を定め自己実現を一つ一つ図る。併せて、自分の内なるものを高め、
人間としての気概を作り上げてゆく」もの(生き方)と捉えていたことです。
大坂商人の活動の象徴に「襷(たすき)」と「暖簾(のれん)」がありま
すが、「 襷 」は、創業以来の老舗の伝統に基づいた教え家訓、経営理念、
「 暖簾 」は、は事業永続性の象徴、経営理念の社会への表明であり 信用
の蓄積を示すものです。
企業家の皆さんは、是非、自社にとって「襷」や「暖簾」の意味や重要性
について理解を深めて頂きたいと思います。
では「襷」や「暖簾」に表現された大坂商人の知恵の源泉は何だったのか?
それは現代人にも通じる「自分の外にある規範や価値観に絶対的な意味や
重きを置くことができず、それは士農工商の最下位の身分として否定され
ていた商人(新興階級)の「自分探しから」始まった」ということです。
「私はいったい何だろう?」「私は何をする人か?」と商人は、謙虚に、
そして真摯に己を見つめ、先人の知恵や教えを採り入れ 考えを改め「自
分の内側に存在する価値観」を具現化しようとした。即ち“富”や“名声”
だけでは得られない大切なものは何か見つけ出そうとしたのです。
そしてその答えを導き出し理論化した思想家として西川如見や石田梅岩が
現れたのです。彼らは「町人の商行為の倫理的な意義」を説き「商人の武
士道」として、一種の商人道というものを理論化させています。
その商人道は明治以降の日本の近代化に大きく貢献、これが日本的経営の
原型として今日まで連綿と繋がってきているのです。
●梅岩について簡単に紹介しておきますと、石田梅岩は江戸時代の思想家
・倫理学者(1685〜1744)で弟子との問答形式にまとめた書が「都鄙問答」
として知られています。
・「人の道というものは一つである。もちろん士農工商それぞれの道がある
が、それは尊卑ではなく、職分の違いである。」
・「商売の始まりとは、余りある品と不足する品を交換し互いに融通する
ものである。」
・「(従って)商人の得る利益とは武士の俸禄と同じで正当な利益である。
だからこそ商人は正直であることが大切になる。水に落ちた一滴の油の
ように、些細なごまかしが全てを駄目にする。」
・「商人に俸禄を下さるのはお客様なのだから商人はお客様に真実を尽くさ
ねばならない。」
・「商人の蓄える利益とはその者だけのものではない。天下の宝であること
をわきまえなくてはならない。」
・「まことの商人は先も立ちわれも立つことを思ふなり。」近江商人三方
良しに繋がる。
こういった石田梅岩の思想は、企業の社会的責任の本質的な精神を説いて
おり、現代の「CSR/ESG経営の原点」とも考えられます。即ち営利活動を
否定せず、倫理観というよりむしろ「事業の永続的発展」の観点から、本
業の中で社会的責任を果たし、社会的価値を創造してゆくことの重要性を
300年前に既に説いていたのです。
これこそが寄付や援助、投資など本業以外での上目線での「社会貢献」を
活動の中心とする欧米の企業にはないものです。
おまけに、江戸期の三大商人の特徴についても少し触れておきます。
大坂商人 井原西鶴が商売を行う上で必要な心得として「始末」「算用」
「才覚」「信用」を紹介しているが、「始末(しまつ)」を最も大切な心
得としていた。
・商売は牛の涎なり ・商いは飽きない ・商人は笑にして勝なり
・人の行かぬ道に花あり ・損して得とれ・・・などなど
近江商人 (近江商人の商い姿)
・三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」・勤勉・倹約・正直・
堅実・自立の精神
・「奢者必不久」「自彊不息(じきょうふそく)」「百折不撓(ひゃく
せつふとう)」の心
・堪忍・自利利他円満、陰徳善事の功徳、公共福祉への貢献・・少し哲学
的です
伊勢商人
・商の道何にても新法工夫到すべく候
・商の駆け引き、時節に従い考えを凝らし時を見、変を思うべし・・まさ
に 実利主義者 次に大坂商人経営の基礎を支えたのは人財であり家族主
義です。
●経営資源の三要素、ヒト・モノ・カネの中で 最も大切な“ヒト”こそが、
武士にも負けない大坂商人の貴重な財産であったのです。
そしてそれを支えた持続可能な人財育成システムが、丁稚奉公制度であり
ある意味合理的な人材育成システムでした。
即ち“丁稚”→“手代”→“番頭”→“暖簾分け”のシステムです。松下幸之助氏
が認めておられたように「丁稚奉公制度」が「会社=家族間の信頼関係・
絆」「社会の信用」を育んできたということではないかと思います。
因みに、丁稚は基本衣食住付の無給でした。また、よく時代劇で見られた
ように呼び名は丁稚が○松、手代は○吉/七、番頭は○助。
昔、船場の呉服屋を舞台に描かれた志垣太郎さん主演の連続ドラマ「あか
んたれ」など懐かしい限りです。
マズローの欲求階層は皆さんご承知だと思いますが、彼が言うように人財
育成は欠乏欲求を満たし、成長欲求に繋げてゆける環境整備を基本とすべ
きであり、口減らしの為の丁稚奉公から始まる丁稚奉公制度にもその観点
が上手く活かされているように見えます。
●最後に、大坂商人から継承されてきた日本的経営の原点は、人財が全て
(人本主義経営)であり、そこに日本的倫理観“商人道“が色濃く反映されて
いると言うことです。
(1)企業経営とは企業に関わる全ての人々の幸せの追求と実現が 企業経
営の目的と使命だということです。即ち企業における事業行為は“ 利他利“”
利公利“を基とすべきであるということです。
(2)目指すべき“いい企業”とは?
①業績や勝ち負けでなく、関わる人々の幸せを最優先する経営を実践している
企業
②その企業に関わる人々が、大切にされていると実感できる企業だということ
です。
③事業の永続性の中で社会共通の価値を創造し続けている企業。社会に必要と
されている企業だということです。
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