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「21世紀はアジアとの時代」 (Jtiro🔴Jpn) SDGs.Webサイト(Editor: K.Yamada)

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■追憶のテレサテン

2018-05-08 | ●チェンマイ慕情

■■■■■■■■■■チェンマイ余情■■■■■■■■■■
■「テレサテン ,昭和歌謡の追憶
微笑みのなかに哀愁を秘めた南国の歌姫テレサテンが、
わずか42歳の若さで、喘息発作のためチェンマイのホテル
で急逝してから、もう23年がたつ。

テレサテンが台湾出身の歌手だけに、チェンマイでの突然
の死を
いぶかる日本人フアンが多い。 

ナイトバザールに隣接する、インペリアル,メーピンホテル
では、テ
レサテンが、生前宿泊していた部屋を「テレサテン・
ミュージアム」 
として開館し、6年経過するが、日本や台湾、
中国から連日、100
人から300人のフアンが訪れるという。


(インぺリア・メーピンホテル)
●テレサテンは、10歳の時に台湾のラジオ歌唱コンクール
で優勝し、14歳で天才少女歌手としてデビュー、16歳で女
優として映画に主演した。
その後、台湾、香港、シンガポール、マレーシアで、アジア
のトップスターとして活躍していたが、21歳の時に日本で歌
手デビューを果たした。
デビュー作「つぐない」に続き、第2作「愛人」で日本有線大
賞を獲得、36回紅白歌合戦に初出場する。

●テレサテンは、昭和54年(1979年) 日中国交正常化の影
響で国外退去処分に、一挙に暗転する。
●昭和59年(1984年)日本再デビュ―、「つぐない」で 放送
優先大賞を受賞。

●昭和60年(1985年) 「愛人」 が大ヒットする。
●次いで、昭和61年(1986年) 「時の流れに身おをまかせ
が、空前の大ヒットを記録。
第3作「時の流れに身をまかせ」は、
第1作と同じメンバー、・作詞:荒木とよひさ
・作曲:三木たかし
で、200万枚という大ヒットを
うみだし、テレサテンをスターダム
に押し上げた。

●「時の流れに身をまかせ
もしも あなたと逢えずにいたら
わたしは何をしてたでしょうか

平凡だけど誰かを愛し
普通のの暮らし してたでしょうか
時のながれに身をまかせ
あなたの色に 染められ
一度の人生それさえ

捨てることもかまわない

だからお願いそばに置いてね
今はあなたしかしか愛せない

作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし  うた:テレサテン


テレサテンが、日本デビューした1974年(昭和49年)は、
どういう
社会環境だったか、戦後昭和の世相の中で、昭和
歌謡曲がどのような
役割を果たしたか。振り返ってみたい

●テレサテンが日本デビュ^した昭和49年というと、大阪万
博から5年、
第2次ベビーブームが到来した頃だった。、
その翌年には、山陽新幹線の岡山・博多間が開通。首都東
京と九州博多が、大動脈でつながった。
日本経済は、なにも
かも拡大基調一色だった。

この年、田中首相が東南アジア6ヶ国を初訪問。
ところがバンコクでは、学生
による反日デモが続発、激しい
対応に見舞われた。
この時のバンコクの反日学生デモは、1960年代後半のベトナ
ム反戦
運動を契機にして、世界的に起きた学生運動の一環
だった。
その後、ロッキード疑惑が発覚して田中首相は年末
に辞職、三木内閣
が誕生する。

 

●団塊世代が27歳を迎え、企業の第一線で活躍を始める。
明るさが
増す日本、昭和歌謡全盛の時代がやってくる。 
西城秀樹の「激しい恋」
小坂明子
「あなた」
殿様キングスの「なもだの操」
山口百恵の「ひと夏の経験」 
森進一の「
襟裳岬」
が大ヒットした。

ところで戦後、同じころの自由タイ国は、どうだったのか
1957年に起きたクーデターによる軍事政権が、長期にわたり
政権を握っていたが、1980年代に入り、ブレ―ム・ティンスー
ラ―ノン政権が成立、その後、あの忌まわしい1997年の通貨
危機が発生するが、やがて回復して、2001年のタクシン政権
の成立へとつながる。
その後、何度かのクーデターに悩まされ続けるが、世界経済
台頭の波にのって産業集積が進み、好調な経済が続く。

●台湾で生まれ、香港、中国、シンガポール、マレーシア、タイ
で活躍し、日本でも多くのフアンに愛され続けるたテレサテン、
戦後アジアの創成期を飾る不世出の国際交流スター、伝説
の歌姫として、こからも語り継がれていくことだろう。

■「時代の流れ

(               出所:JIJI.。COM)

■「昭和歌謡は、全力疾走の証
昭和40年代の日本は、景気が上昇し期待渦巻く高度成長
期を迎えて、人々は、老いも若きも全力疾走の毎日だった。
1億総レジャー時代の到来で、人々に愛されたのが、時流に
あったモダン
な日本の歌謡曲だった。時局を飾った歌謡曲は、その時を全
力疾走した人々の努力の証(あかし)ともいえるものだった。

その頃、NHKテレビの「夢で逢いましょう」、日本テレビの「シ
ャボン玉ホリディ」がスタート
した。ハナ肇とクレイジーキャッツ
が「スーダラ節」が話題を誘った。 勿論テレビ
はほとんどがま
だ白黒だった。


   (出所・経済企画庁統計資料)

●「歌は世につれ,世は歌につれ」 というが、戦後昭和の歌謡曲
  には、その時局にあった
名曲が多い。

戦後昭和を彩る歌謡曲の足跡」 昭和38年(1963年)~
●昭和38年  舟木一夫     「高校三年生
●昭和39年 西田佐知子     「アカシアの雨がやむ時」 
                   岸  洋子       「夜明けの
●昭和40年 西田佐知子     「赤坂の夜は更けて」
             奥村チヨ       「ごめんねジロウ」
●昭和41年 加山雄三      「お嫁においでよ」
                   園 まり         「夢は夜ひらく」
●昭和42年 伊東ゆかり    「小指の想い出
            菅原洋一      「知りたくないの」
●昭和43年 千昌夫        「星影のワルツ
                   佐川ミ             「今は幸せかい」
●昭和44年   いしだあゆみ   「ブルーライトヨコハマ」
               佐良直美      「いいじゃないの幸せならば」
●昭和45年  ちあきなおみ   「四つのお願い
              菅原陽一      「今日でお別れ
●昭和46年  欧陽フィフィ  「雨の御堂筋
             加藤登紀子  「京都慕情」み
●昭和47年  千秋あおみ   「喝采」
             小柳ルミ子   「瀬戸の花嫁」{
●昭和48年  内山田洋一  「そして神戸」
               チェリシュ     「テントウ虫のサンバ〉
●昭和49年  美空ひばり   「悲しき口笛」
             藤山一郎     「青い山脈」
●昭和50年  布施 明      「シクラメンのかおり」
             細川たかし      「心のころ」
●昭和51年   小幡 実         「あばよ」
●昭和52年   沢田研二     「勝手にしゃがれ」
            狩人          「あずさ2号」

●昭和53年    ピンクレディ     [ サウスポー]
            八神純具       「水色の雨」  
●昭和54年   千 昌夫      「北国の春」
             山口百恵    「いい日旅立ち
●昭和55年    沢田研二     「TOKIO}
             谷倉新司      「昴」
●昭和56年   寺尾 聡      「ルビーの指輪」
             都はるみ     「大阪しぐれ
●昭和57年   細川たかし     「北酒場」
             松田聖 子    「赤いスィートピー」
●昭和58年   細川たかし    「矢切の渡し」
             大川栄           [ さざんかの宿」
●昭和59年   高橋真利子    「桃色吐息
 
             チェッカーズ   「涙のリクエスト」
●昭和60年   吉幾三       「俺ら東京さ行くだ」
●昭和61年   テレサテン    「時の流れに身を任せ」 ●(1986年

 
   
(出所:JIJI COM)

■「時代に吹く風
昭和30年代から60年代、いわゆる戦後昭和は、わが国
復興し、完全に立ち直った貴重な時期だった。
その背景にあったのが、この時々の流れをくんで作られた
昭和歌謡の
名曲の数々だった。
この昭和歌謡がもたらす青春の明るさと希望の力が、
ひい
ては、
経済はもとより景気や株価までも、大きく押し上げる
事になったと思う。

●私など、五木寛之、石原慎太郎という昭和文壇を飾った人
たちと
同年代だが、当時は、仕事に忙殺されて、歌謡曲に
のめりこむ余裕
などなかったが、いま改めて昭和歌謡の名曲
のタイトルを見ると、不思議にもその曲想
が浮かんでくる。
当時、いつしか口ずさんで覚えてい
たのだろうか。

いま振りかえれば、曲想も歌詞も申し分なく素晴らしいが、
歌手の歌唱力も、ただものではなかった。
しかも、みんながこれを聞いて、前を向
いて突っ走っていた
感じがする.そんな中に国際歌手のテレサテンがいたのも、
奇しき因縁と思えてならない。
戦後昭和とは、そんな思いが募る、厳しくも本当に良き時代
だった。  (山)                   

            


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