
■■■■■■■■■■チェンマイ余情■■■■■■■■■■
■「テレサテン ,昭和歌謡の追憶」
●微笑みのなかに哀愁を秘めた南国の歌姫テレサテンが、
わずか42歳の若さで、喘息発作のためチェンマイのホテル
で急逝してから、もう23年がたつ。
テレサテンが台湾出身の歌手だけに、チェンマイでの突然
の死をいぶかる日本人フアンが多い。
●ナイトバザールに隣接する、インペリアル,メーピンホテル
では、テレサテンが、生前宿泊していた部屋を「テレサテン・
ミュージアム」 として開館し、6年経過するが、日本や台湾、
中国から連日、100人から300人のフアンが訪れるという。
(インぺリア・メーピンホテル)
●テレサテンは、10歳の時に台湾のラジオ歌唱コンクール
で優勝し、14歳で天才少女歌手としてデビュー、16歳で女
優として映画に主演した。
その後、台湾、香港、シンガポール、マレーシアで、アジア
のトップスターとして活躍していたが、21歳の時に日本で歌
手デビューを果たした。
デビュー作「つぐない」に続き、第2作「愛人」で日本有線大
賞を獲得、36回紅白歌合戦に初出場する。
●テレサテンは、昭和54年(1979年) 日中国交正常化の影
響で国外退去処分に、一挙に暗転する。
●昭和59年(1984年)日本再デビュ―、「つぐない」で 放送
優先大賞を受賞。
●昭和60年(1985年) 「愛人」 が大ヒットする。
●次いで、昭和61年(1986年) 「時の流れに身おをまかせ」
が、空前の大ヒットを記録。第3作「時の流れに身をまかせ」は、
第1作と同じメンバー、・作詞:荒木とよひさ・作曲:三木たかし
で、200万枚という大ヒットをうみだし、テレサテンをスターダム
に押し上げた。
●「時の流れに身をまかせ」
もしも あなたと逢えずにいたら
わたしは何をしてたでしょうか
平凡だけど誰かを愛し
普通のの暮らし してたでしょうか
時のながれに身をまかせ
あなたの色に 染められ
一度の人生それさえ
捨てることもかまわない
だからお願いそばに置いてね
今はあなたしかしか愛せない
作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし うた:テレサテン
●テレサテンが、日本デビューした1974年(昭和49年)は、
どういう社会環境だったか、戦後昭和の世相の中で、昭和
歌謡曲がどのような役割を果たしたか。振り返ってみたい。
●テレサテンが日本デビュ^した昭和49年というと、大阪万
博から5年、第2次ベビーブームが到来した頃だった。、
その翌年には、山陽新幹線の岡山・博多間が開通。首都東
京と九州博多が、大動脈でつながった。日本経済は、なにも
かも拡大基調一色だった。
この年、田中首相が東南アジア6ヶ国を初訪問。
ところがバンコクでは、学生による反日デモが続発、激しい
対応に見舞われた。
この時のバンコクの反日学生デモは、1960年代後半のベトナ
ム反戦運動を契機にして、世界的に起きた学生運動の一環
だった。その後、ロッキード疑惑が発覚して田中首相は年末
に辞職、三木内閣が誕生する。
●団塊世代が27歳を迎え、企業の第一線で活躍を始める。
明るさが増す日本、昭和歌謡全盛の時代がやってくる。
西城秀樹の「激しい恋」
小坂明子「あなた」
殿様キングスの「なもだの操」
山口百恵の「ひと夏の経験」
森進一の「襟裳岬」
が大ヒットした。
●ところで戦後、同じころの自由タイ国は、どうだったのか。
1957年に起きたクーデターによる軍事政権が、長期にわたり
政権を握っていたが、1980年代に入り、ブレ―ム・ティンスー
ラ―ノン政権が成立、その後、あの忌まわしい1997年の通貨
危機が発生するが、やがて回復して、2001年のタクシン政権
の成立へとつながる。
その後、何度かのクーデターに悩まされ続けるが、世界経済
台頭の波にのって産業集積が進み、好調な経済が続く。
●台湾で生まれ、香港、中国、シンガポール、マレーシア、タイ
で活躍し、日本でも多くのフアンに愛され続けるたテレサテン、
戦後アジアの創成期を飾る不世出の国際交流スター、伝説
の歌姫として、こからも語り継がれていくことだろう。
■「時代の流れ」
( 出所:JIJI.。COM)
(■「昭和歌謡は、全力疾走の証」
●昭和40年代の日本は、景気が上昇し期待渦巻く高度成長
期を迎えて、人々は、老いも若きも全力疾走の毎日だった。
1億総レジャー時代の到来で、人々に愛されたのが、時流に
あったモダン
な日本の歌謡曲だった。時局を飾った歌謡曲は、その時を全
力疾走した人々の努力の証(あかし)ともいえるものだった。
その頃、NHKテレビの「夢で逢いましょう」、日本テレビの「シ
ャボン玉ホリディ」がスタートした。ハナ肇とクレイジーキャッツ
が「スーダラ節」が話題を誘った。 勿論テレビはほとんどがま
だ白黒だった。
。
(出所・経済企画庁統計資料)
●「歌は世につれ,世は歌につれ」 というが、戦後昭和の歌謡曲
には、その時局にあった名曲が多い。
戦後昭和を彩る歌謡曲の足跡」 昭和38年(1963年)~
●昭和38年 舟木一夫 「高校三年生」
●昭和39年 西田佐知子 「アカシアの雨がやむ時」
岸 洋子 「夜明けの歌」
●昭和40年 西田佐知子 「赤坂の夜は更けて」
奥村チヨ 「ごめんねジロウ」
●昭和41年 加山雄三 「お嫁においでよ」
園 まり 「夢は夜ひらく」
●昭和42年 伊東ゆかり 「小指の想い出」
菅原洋一 「知りたくないの」
●昭和43年 千昌夫 「星影のワルツ」
佐川ミ 「今は幸せかい」
●昭和44年 いしだあゆみ 「ブルーライトヨコハマ」
佐良直美 「いいじゃないの幸せならば」
●昭和45年 ちあきなおみ 「四つのお願い」
菅原陽一 「今日でお別れ」
●昭和46年 欧陽フィフィ 「雨の御堂筋」
加藤登紀子 「京都慕情」み
●昭和47年 千秋あおみ 「喝采」
小柳ルミ子 「瀬戸の花嫁」{
●昭和48年 内山田洋一 「そして神戸」
チェリシュ 「テントウ虫のサンバ〉
●昭和49年 美空ひばり 「悲しき口笛」
藤山一郎 「青い山脈」
●昭和50年 布施 明 「シクラメンのかおり」
細川たかし 「心のころ」
●昭和51年 小幡 実 「あばよ」
●昭和52年 沢田研二 「勝手にしゃがれ」
狩人 「あずさ2号」
●昭和53年 ピンクレディ [ サウスポー]
八神純具 「水色の雨」
●昭和54年 千 昌夫 「北国の春」
山口百恵 「いい日旅立ち」
●昭和55年 沢田研二 「TOKIO}
谷倉新司 「昴」
●昭和56年 寺尾 聡 「ルビーの指輪」
都はるみ 「大阪しぐれ」
●昭和57年 細川たかし 「北酒場」
松田聖 子 「赤いスィートピー」
●昭和58年 細川たかし 「矢切の渡し」
大川栄 [ さざんかの宿」
●昭和59年 高橋真利子 「桃色吐息」
チェッカーズ 「涙のリクエスト」
●昭和60年 吉幾三 「俺ら東京さ行くだ」
●昭和61年 テレサテン 「時の流れに身を任せ」 ●(1986年)
(出所:JIJI COM)
■「時代に吹く風」
●昭和30年代から60年代、いわゆる戦後昭和は、わが国
が復興し、完全に立ち直った貴重な時期だった。
その背景にあったのが、この時々の流れをくんで作られた
昭和歌謡の名曲の数々だった。
この昭和歌謡がもたらす青春の明るさと希望の力が、ひい
ては、経済はもとより景気や株価までも、大きく押し上げる
事になったと思う。
●私など、五木寛之、石原慎太郎という昭和文壇を飾った人
たちと同年代だが、当時は、仕事に忙殺されて、歌謡曲に
のめりこむ余裕などなかったが、いま改めて昭和歌謡の名曲
のタイトルを見ると、不思議にもその曲想が浮かんでくる。
当時、いつしか口ずさんで覚えていたのだろうか。
●いま振りかえれば、曲想も歌詞も申し分なく素晴らしいが、
歌手の歌唱力も、ただものではなかった。
しかも、みんながこれを聞いて、前を向いて突っ走っていた
感じがする.そんな中に国際歌手のテレサテンがいたのも、
奇しき因縁と思えてならない。
戦後昭和とは、そんな思いが募る、厳しくも本当に良き時代
だった。 (山)
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