ヒヨドリが鉢植のブロッコリの葉を食べに来る。いつも二羽であることから、きっと「番」(つがい)だと思っている。食べている様子を写そうと思ってカーテンを開けると直ぐに飛び去ってゆく。気にしないで食べればよい、と、言葉が通じるなら言ってあげたい。
仕方なしに、食べられたブロッコリーを撮った。
ヒヨドリは子飼いをすると飼い主の見分けがつくらしい。平安時代には貴族の間では盛んに飼われていたとか。
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ヒヨドリが鉢植のブロッコリの葉を食べに来る。いつも二羽であることから、きっと「番」(つがい)だと思っている。食べている様子を写そうと思ってカーテンを開けると直ぐに飛び去ってゆく。気にしないで食べればよい、と、言葉が通じるなら言ってあげたい。
仕方なしに、食べられたブロッコリーを撮った。
ヒヨドリは子飼いをすると飼い主の見分けがつくらしい。平安時代には貴族の間では盛んに飼われていたとか。
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1月27日(水)、歯科医院の予約日であった。いつもは40~50分の治療を受けるが、今日は20分程度で終わった。色々な器具を使われるが、ドリルの音だけは気持のいいものではない。又、削り過ぎたりされないか、かえって悪くならないかなどと、あらぬ心配もする。
治療が早く終わったことから、ワクワクした気分になり、湖西路161号線をドライブした。滋賀県は琵琶湖を中心に湖東、湖西、湖北、湖南に分けられるが、それぞれに特色がある。
狭隘で暗い感もするが湖西路がよい。琵琶湖大橋から北上するコースが気に入っている。景勝地だと思っている。走っていると左側や前方に比良山系が見える。武奈ヶ岳、比良岳、打見山、蓬莱山などが連なっているようだが、どれがどの山かは知らない。雄大な姿を眺めるだけでよい。右側にはさざなみの琵琶湖が見える。これだけで満足している。それ以上のことは、白洲正子さん著の「近江山河抄」で感動すればよい、そう思っている。
近江八景の一つに「比良の暮雪」があるが、雪が舞い落ちたような程度の積雪であったことから、春にかけてもそんな情緒に巡り合えないだろうと思った。むしろスギ花粉で悩まされることだろう。
途中でセブンイレブンで弁当とコロッケを買って、萩の浜で車を停めて食べた。帰りは、湖西道路を走り、道の駅「妹子の郷」で休憩した。
萩の浜 道の駅から見た比良山系
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1月23日(土)は観光ガイド(ボランティア)の当番日であった。主な案内先は「太郎坊宮」と「万葉の里」。厳寒下、訪れる人はないだろうと思っていたが、一人の観光者があった。大阪の人らしい。歴史に詳しい方であった。よく喋るのには驚いた。ガイドは通常二人で行っているが、今回も膨大な資料を作成・持参の相方にお願いした。さすがに数々の質問にも的確に答えていた。
太郎坊宮
◆ 祭神; 天照皇大神の第一皇子 「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみの みこと)
◆ 創建; 約1400年前。
◆ 信仰; 岩石が露出しており、神が宿る山(神体山)として崇められ、聖徳太子も霊験が顕著であることを聞かれ、国家の安泰と万人の幸福を祈願されたと伝えられている。その後、最澄も感銘し参篭、50余坊を建立し、神社を守護されたとある。盤座(いわくら)信仰、天台山岳宗教、修験道(注)が融合した形態で信仰されてきた。
(注)修験道; 信仰が深まるにつれ修験者が多く現われた。その姿は畏敬され「太郎坊天狗」として伝えられている。「太郎坊」・「太郎坊宮」の名前の由来となっている。
◆ ご神徳・ご利益; 勝運授福。祭神名に由来している。
◆ 社格; 神社本庁に所属する「別表神社」
◆ パワースポット; 本殿の手前の「夫婦岩」は圧巻。パワースポットとして親しまれている。
伝説;
1)聖徳太子ゆかりの寺「瓦屋寺」; 太郎坊宮の鎮座する山・赤神山の山系に「瓦屋寺」(臨済宗)がある。麓に飛鳥時代の瓦窯跡が確認されており、聖徳太子が四天王寺を建立された際、この瓦窯で10万枚以上の瓦が焼かれたと伝えられている。
2)源義経の腰掛岩; 源氏が平氏に敗れた後、鞍馬山から平泉の藤原秀衡の庇護を求めて向かう途中、竜王町「鏡の里」で元服し、太郎坊宮に参詣・源氏の再興を祈願した。このときに腰掛けて休息したと伝えられている岩がある。
<義経から生まれた言葉?>
● 判官贔屓(ほうがんびいき); 「弱い立場に置かれている者に対しては、敢えて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう心理現象。義経の最期は、世上多くの人々から同情を引き、判官贔屓という言葉や多くの伝説や物語を生んだ。薄命な英雄のとして同情から生まれた言葉。
● 虎の巻; 治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)の勝利は、義経が六韜(兵法の極意)の「虎韜・虎巻」から多くを学び、用いたことにより勝利に繋がったとか。ここから成功のための必読書を「虎の巻」と呼ぶようになった。
当日の本殿からの眺望; 雪景色であった。
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1月20日(水)、今冬初の雪。竜王町(滋賀県蒲生郡竜王町)で開催された観光ボランティアガイドの交流研修会に行ってきた。
明日は大寒。なぜこんな時期に、理由は分らないが。案の定、まさに大寒を証明するかのごとく、県下ではこの冬一番の寒気が流れ込み、竜王町も10数センチの雪が積もっていた。
研修コースは3か所あったが’鏡の里’を訪ねた。当地は鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟である源九郎義経誕生の地。平氏の追っ手の目を欺くために、当地で前髪を落飾し元服したと伝えられている。承安4(1174)年3月3日、義経16歳のときであった。
義経元服の池 鏡神社 (重要文化財)
元服のときにこの池の水を使った。 義経が源氏の再興と武運長久を祈願したと言われている。
義経元服の盥(たらい)
義経が元服のおりに使ったと言われている盥(たらい)の底板。義経が宿泊の旅籠・「白木屋」(現在石碑のみ)に代々伝わってきたもの。現在は鏡神社で保管されている。宮司より特別にご披露いただいた。
最後に、甘酒のサービスがありほっとしたが、寒い一日であった。
ブログを始めた。
1月10日(日)快晴。郷土史家のU氏に雪野山を案内していただいた。
雪野山は、安妃山・安吉山・龍王山とも呼ばれれている。山を取り囲む地元の想いが四つもの名前を生んだのだろう。山頂には、かつて貴船神社をまつる祠が建てられており、龍神が住む神聖な山として崇められていたようだ。平成元年には山頂部で、今は埋め戻されているが未盗掘の竪穴式石室が発見され、古墳時代前期につくられた前方後円墳であることが判明した。又、中世には、後円部を主郭とする山城が築かれるなど、墳丘全体が改変されている。今はいずれの面影もない。
9時50分に近江八幡市倉橋部町地先の腰越の峠道から登り、尾根を縦走し東近江市上羽田町平石に午後2時30分に下山した。おおよそ3時間もあれば縦走できる山だが、稜線の木々の隙間から眼下に映える眺望の雄大さと美しさに感動し、ときには山道の自然-草木や岩石-に親しみながら、ゆっくりしたペースで、気の向くままに休息しながらの尾根歩きであった。山を歩くと少年の頃よく遊んだ故郷の山を思い出す。きっと野山の息吹が優しく身を包み、懐古させてくれるのだろう。
途中で10人もの登山者に出会った。鉄塔付近に同世代の男性二人が休息していた。京都市のどこかの山歩きの会のメンバーらしく、「後日の山歩きの下見に来た」とのことであった。U氏が当地の歴史などを説明されたことから、たいそう喜ばれ、感謝された。U氏のホスピタリティに感心した。
コースルートとしては、尾根歩きを目的とした場合、平石側から登ると、雪野山の山頂に近いことから、いきなり急峻な坂道を登ることになる。頂上で一息ついて腰越に向かうにしても、気分が萎えないか心配したくもなる。どちらを選ぶかは好みにしたがうことになるが、登坂にやさしい腰越から案内していただいてよかったと思った。標高308.8mと低い山ながらも小高い峰もあり楽しめた。尾根道は、雪野山古墳発見以降かと思われるが、自然木を模したコンクリート製の頑健な杭を打ち込んでつくった階段などで整備されていた。しかし反面、この階段の杭がステップより数センチ以上も高いことから歩き難い。下山時は引っかからないよう注意が必要だった。流砂防止、滑り止めを兼ねて整備されたものであろうが、一方では山岳の自然が損なわれているのも事実であった。低くとも身近に山登り気分を満喫させてくれるような工夫があってほしいものだと思った。
腰越から下山までの写真を並べた。
1.腰越展望台からの眺望 2.大岩展望台から岩倉山の眺望 3.げしめ展望台
4.げしめ展望台から布施山の眺望 5.二つの目の盆の木跡展望台(お精霊迎えの聖地) 6.歌坂峠…和泉式部遭難の地
7.溜池展望台 8.みつばつつじの丘 9.女坂・これより山頂まで1180m
(4月下旬に赤紫の花が山を色染めする) (到着時刻 11時20分)
10.鉄塔・これより山頂まで350m 11.山頂・この下が雪野山古墳 12.梅ノ木広場の東屋(ここで昼食)
(到着時刻 12時50分)
有意義な山歩きであった。